子どもだって人間だから、気分がいい時もあれば悪い時もある。
そんなこと分かっているんだけど、やはり少しでも「いい時」が長く続いてほしいと思うものでもある。
冬の初めのことだった。
8歳の長男が「明日学校に行きたくないなぁ」とぼやく日が増えた。
どうしたの?と訊ねるとお友達との些細ないざこざや、授業が退屈、学校が遠い、などぼやぼやした不満がこぼれてくる。
帰宅後おやつを食べながら面白くないという顔をして話す8歳に、相槌を打ちながらやり過ごしていた。
やり過ごしながらも「どうしたもんかな」と考えてしまう。
ただ、聞いてほしいだけなのかもしれない。
私が「仕事したくないなぁ」とぼやくようなもので、ただぼやきたいだけなのかもしれない。
だけどやっぱり一事が万事と思わないわけではないから厄介だ。
今の「行きたくない」が例えば10のうち「2イキタクナイ」だとして、ここできちんとしかるべき姿勢で対応しなかったら、もしも「9.8イキタクナイ」の日がやってきたときに「どうせ休めないし我慢しないと」と思われたらそれはとても悲しい。
いざと言うときは休んでもいいのよ、と思う心構えはあるけれど、その「いざ」は果たして今なのか、そうじゃないのかお母さんは悩んでしまう。
「1イキタクナイ」で休んでいたら、そのうち「今日は暑いし行きたくない」とか「今日は給食の気分じゃないから行きたくない」とかになりませんか。
どうなんですか。
ねえ、ほんと。
それから数日後。
布団に入った長女(10歳)がなにやらすすり泣いている。
「どうしたの?」と訊ねるとこちらはなんだか深刻なお悩み。
誰も悪くないのだけど、繊細な長女には胸を痛めるような出来事がそこにあった。
長女は、気の強い女子だった私とは全然違う性格をしている。
優しくて繊細で誰も傷つけたくないのだ。
だからこそ、うんと悩んでしまうことが時々ある。
いかんせん、私と長女は性格があまりに違うので「こう言ってみたら」と私が提案するアドバイスのほとんどは的を得ない。
ほとんど全部が長女にとって、想像するだけで動悸が激しくなるようなことなのだ。
結局その日は、あれこれ話して少し元気が出たように見えるのだけど、目をつむると涙があふれる…そんなことを繰り返してしまう夜だった。
長女がようやく眠りについたのは深夜0時を迎える頃だった。
どうにかみんな寝たけれど、さあ、困った。
布団の中で考える。
翌日私は遠方で取材が入っていた。
そして、訳あって次女が撮影のお手伝いに同行することが決まっていた。
おそらくあの調子では長女の登校は難しい。
そうなると、ここのところ登校を渋っていた長男が黙っているはずがないのだ。
さあ、どうする。
ねえ、どうしよう。
考えようとするそばからそのうち私も眠くて瞼が下がる。
そして気がついたら当然朝を迎えていて、出発の時刻が迫ってただ焦る。
昨日の夜の「どうしよう」からなんの進展もないのに、朝ごはんは用意しないといけないし、身支度を整えないといけない。
今すぐやるべきことが目の前にわんさとある。
相変わらず、長男は「学校に行きたくないなぁ」とぼやいているし、長女はいつもより遅く起きてきて、やはり暗い顔をしている。
次女はママとお出かけが楽しみでただ浮かれている。
夫は早朝に出勤してしまった。
分からない。
どうしたらいいのかひとつも分からない。
目の下のクマにコンシーラーを叩きこみながら、誰か本日の我が家の身の処し方を決めといてくれないかな????と本気で思った。
腰を据えて考える時間の余裕も、心の余裕もない。
とりあえず小学校の始業時刻が迫っているので電話をかけることに。
「すみません、登校を渋っていて遅れそうです。というか行けるかも分かりません。ですが私はそろそろ仕事に行かなければならず、どうしたものやらという感じです。はっきりしなくてすみません……」
電話口の先生は「なるほど、分かりました。大丈夫ですよ。担任に伝えますね」と合点が早く、優しい対応をしてくださってとてもありがたかった。
少し気が楽になったけれど、さて、どうしよう。
依然、どうしよう。
長女は今日のところは思い切ってお休みさせて、担任の先生に一度相談したい。
が、そうなると次女の同行の件もある中、最近学校に後ろ向きな長男をどう説得するのか、いやそもそも彼もなにか抱えているのか、え、待って、彼も休ませる??ねえ、どうする??ていうか休んだ結果、長女と長男ふたりでお留守番いける?お昼ご飯の算段なんて何もないのだけど????
出発時刻が迫りに迫って、訳が分からなくなった私は、3人まとめて車に乗せて現場へ直行した。
現場で子連れになってしまった旨をひたすら平謝りして、どうにか仕事を終えて帰宅したら、それぞれ担任の先生から電話があり、長女と長男の話をした。
長女が悩んでいるお友達関係、なんだかここのところ学校へ行きたがらない長男。
そして、どうしたものかと頭を抱えてしまっている私のこと。
詳細は省くのだけど、いずれの担任の先生からもなんだか大きなもので包んでもらって、とても心強かった。
先生からの伝言をそれぞれ子どもたちに伝えると、ふたりともすっかり安心して、次の日はあっけないほどあっさりと元気に登校していったから驚いてしまう。
長女の深刻に思えた悩みも、翌日には誰も傷つくことなくきちんと丸く収まったと先生からも長女からも聞いて胸をなでおろした。
子どもたちが小学校へ上がる前は、家庭の責任みたいなものをもっと重たく考えていた節があって、幼稚園ほど親の気持ちに寄り添ってはもらえないんだろうと思っていた。
ところが蓋を開けてみたら、小学校が冷たかったことなんて一度もなくて、困っていると伝えれば、いつも担任の先生が寄り添ってくれて、子どもの手を引いてくれる。
子どもたちに勉強を教えるだけでも大変なのに、御面倒をお掛けして申し訳ないと思っているのと同じ重さかそれ以上で、寄り添ってくれる先生が頼もしくて有難い。
あの朝、右往左往しながらも脳裏の片隅では、先生に相談する、というカードを握りしめて心を保っていた。
そのくらい私は担任の先生を信頼している。
学童期はまだ始まったばかりだし、末っ子なんてまだこれから。
この先また何度でも「で、どうしたらいいの」と思うことがあると思うけれど、多分なんとかなるんだろう。
心配性で不安がりの私がそう思えるくらいには、よい学校と先生に出会えたんだと思っている。