自分という小屋の中から世界を覗く窓があるとして、「学ぶ」という行為はその窓を「磨く」ことなのかなと思いました。

分かると面白い!という感覚を身に付けている娘は、
これからも「何のために勉強するのか」という意味を自分で見つけられるのではないかと思います。

私も娘と一緒に楽しみながら、さまざまな窓を磨いていきたいです。