末っ子が、ますますしっかりしてきてひるんでいる。
ますます、と言うのは、末っ子は物心つくような頃からすでにしっかりしていたのだ。
最初のうちは「お姉さんぶりたいのかしらね」と微笑ましく見ていたのだけど、いつまでたってもブレずにずっとしっかりしていて、いったい、これは、なに……?
と一生しっかりしない私は毎日フレッシュに驚かされている。
現在、彼女は小学生になって、ますます、これはいったい、と思う日々だ。
おそらく、我が家で一番しっかりしているのは末っ子で間違いない。
あれは初めて、託児所のお世話になったとき。
末っ子は確か、1歳10ヶ月だった。
初めての託児所、初めてのお預かり。
いったいどれだけ泣くだろう、という私の不安をよそに末っ子はしっかり楽しんでいた。
託児所からスマホに送られてきた写真は終始笑顔で、楽しくビニール袋で凧を制作し、公園で出来上がった凧をあげ、おいしくお弁当を食べ、健やかにお昼寝をする姿だった。
終始満面の笑みでカメラに向かってまだできない指が1本だけのピースサインを向けていた。
夕方、夫が迎えに行ったときには、「どうぞ中にお入りください」と言わんばかりに、部屋の中へ向かって右手を伸ばしてお辞儀をしたらしい。
幼稚園の年少さんにあがると、2歳児クラスから通っていた末っ子は先輩の貫録を漂わせ逞しく成長していき、やがて年中さんにあがると、それまでも垣間見えていたしっかりものの片鱗がより確かなものへとなっていった。
年中さんになった末っ子は、曜日感覚が冴えわたり、木曜日はスイミング、金曜日は預かり保育というルーティーンをきちんと把握するようになっていた。
なにも言わずとも朝からその日に合わせた準備を整えていた。
朝の私は、暖機運転の時間が非常に長く、夢と現を行き来するばかりだ。
まず、今日が何曜日かを思い出すのに時間がかかる。
えーっと、今日は……昨日が月曜日だから、今日はその次の日で……水曜……じゃなくて、えっと、などと考えている横で、末っ子は「今日は木曜日だからスイミングでしょ!」と利発に言って、スイミングバッグに水着やタオルを入れていた。
年長さんにあがると、ついには私より早く起きて、制服を着て、お荷物を用意して、検温と検温票の記入も済ませているようになり、いよいよ完全に人間として仕上がっていた。
出発時刻になっても家の中をウロウロしている私に「遅れちゃうよ。早く幼稚園行こうよ」と声をかけてくれるので、遅刻することがほとんどなくなった。
それにしても、なぜ私はいっこうに仕上がらないんだろう。
私がちっとも仕上がらないというのに、末っ子はどんどんしっかりして、いよいよ小学生になった。
宿題をきちんとやるのはもちろん、準備も抜かりない。
この週末も、遠出をしていて、帰りの車で末っ子は眠ってしまったのだけど、帰宅するとちゃんと歯を磨いて、お風呂に入って、干してある上靴を上靴袋に入れ、明日の朝着る服を準備してから床に就いた。
なんなの、成人なの?
朝もきょうだいの中で一番早起きで、よく私を起こしてくれる。
たまに、彼女にも起きにくい日があるのだけど、それでも6時30分にはいったん薄目を開けて「ママ、そろそろごはんつくって……」と布団から出渋っている私を見透かすように声をかけてくる。
保護者かな。
これが親子逆なら「あと10分……」と言うところだけど、私よりうんと幼いはずの小学生にそんなことを言えるはずもないので、大人らしくちゃんと起きている。
スマホのアラームよりちゃんと起きられる末っ子の声、とてもありがたい。
働かない頭に鞭を打って、毎朝頑張って朝食をつくっている。
子どもたちの学校は遠いので、しっかり食べないとあっという間にお腹が空いてしまう。
手を変え品を変え、朝からもりもり食べるにはいったいどうしたらいいのか日々頭を抱えている。
「どれ、ちゃんと食べられているかしら。あら、長女はおにぎりが減っていないのでは。真ん中はもうほとんど残っていないけど足りてるのかしら。末っ子、ソーセージに手を付けないじゃないの」
私は彼らが朝食を食べている間、いつもそんなことを考えながら、ぼうっと立っている。
その日も、キッチンカウンターの向こうで、いつもどおり、白湯を飲みながらぼうっと立っていたら、末っ子が朝食を食べながら言った。
「ママ、今のうちに水筒の用意をしたらいいんじゃない?あとで間に合わなくなるし」
はっと、現実に返って時計を見れば、7時10分。
家を出るまでまだ時間は十分にあるけれど、そうか、時間が十分にあるうちにやってしまえばあとで慌てないのか。
そんな当たり前みたいなことに気が付いて驚いた。
すでに仕上がっている大人の人たちからすると、当たり前のことかもしれないけれど、依然、仕上がり不足な成人の私は、「はあ、なるほど」とずいぶんと感心したのだった。
あの日以来、私は、彼らが朝食を食べ始めると、あれこれ考え事ばかりするのをよして、すぐに水筒の用意をすることにしている。
朝の送り出しがずいぶんとスムーズになった。
毎朝、彼らが家を出る段になってバタバタと走り回る日々だったのは、そういう訳だったらしい。
なぜ、末っ子がそんなにしっかりしているのか、家族の誰にも分からない。
私は、いつもぼうっと考え事をしているうちに時間が過ぎてしまう人生だし、長女と夫はまさに遺伝子を分かち合ったと言い切れるほど等しくのんびり屋さんだ。
真ん中はどちらかと言えばしっかりしているけれど、根が図太いのでいろいろ鈍感に取りこぼしつつ逞しく生きている。
各々がそれぞれだ。
だからと言うのはなんだけど、私が実はしっかりしているから末っ子がしっかりしたとは思わないし、私がしっかりしていないからと言って、末っ子がしっかりしたとも思っていない。
このことだけでなく、私がなにを言っても響かないこともあれば、言ったこと以上を超えてくることもある。
彼らを見ていて、よく思うことのひとつだけれど、親の影響なんてほんとうにたかが知れている。
彼らの盛んな新陳代謝の前で我々の力なんてあまりにちっぽけだ。
健やかにそれぞれが伸びていくその様を私は、ただ、見落とさないようにしていよう、と思うだけ。