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公開 2023年11月27日  

友達と遊ぶ時間が大事になった娘に、あえて「ピアノ、続ける?」と聞いた理由

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何かが閉じていくような、そんな気がしながら。


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「ただいまー」

勢いよく玄関があいて威勢のいい声が聞こえたかと思うと、声の主はランドセルを玄関に放り投げ、リュックにおやつとケータイをつめた。

「いってきまーす」

と出ていこうとするので、慌てて

「今日ピアノだよ」

と声をかける。

「時間になったら公園に迎えにきて」

と、娘。


「あ、はい」

と、私。

「じゃ、いってきまーす」

ドアがバタンと閉まる。


嵐が過ぎ去ったかのような室内で、夫と顔を合わせる。

「何あれ?」

夫も首を傾げる。


小2の娘は、ピアノを習い始めて 1年半が過ぎる。

もともと得意で、保育園の頃から、習った歌をおもちゃのピアノで弾くことができた。

もちろんつっかかりながらではあるのだけれど、集中して音を探すことを楽しんでいたし、弾いているうちにそれなりに聞こえてきた。

ちょっと、我が子、天才なのでは……?と、夫婦で沸いたりした。


それでもすぐにピアノ教室に通わせなかったのは、「練習」になると嫌いになってしまうのではないかと思ったからだ。

1人で、自分の世界で楽しんで弾いているうちは、そっとしておきたいと思った。

我ながらいい判断だと思った。

舞い上がってはいけない。娘の楽しい気持ちを大事にしたい。ピアニストになってほしい訳ではないのだ。

音を楽しむと書いて音楽。

今は何も気にせずに、のびのび弾いてほしい。


この考えが覆ったのは、娘が小学校に入学してからだ。

親子ともども「小1の壁」にぶち当たって、必死に新しい環境に適応しようともがいて、それもなんとか落ち着いてきた5月ごろ。

公園で遊んでいた娘のお友達が

「これからピアノ」

と言って去っていくのを見ながら、私はふと考えた。

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これから娘は、いつか必ず、本当にピアノの上手な子と出会うだろう。

娘のピアノも上手ではある。

でもそれは、習っていないのにここまで弾けて上手、という意味で、本当の本当に天才的に上手、完璧に耳コピして弾ける、という訳ではない。


しかし、娘はいろんな大人(私とか夫、祖父母、友達のお母さんなど)から、

「すごい!」

「上手!」

と言われて育ってきた。

そして言われた通り、自分はピアノが上手だと自認していた。


そんな娘が、ちゃんとピアノを習って楽譜通りに弾けるように練習してきたお友達と出会ったら、娘はどう思うだろうか。

ショックを受けやしないだろうか?

あるいは、あの時の大人たちは嘘つきだったと思いやしないだろうか?

そして、本当の本当にピアノを嫌いになったりはしないだろうか?


それをそのまま味わうことも、一つの成長のステップだと思う。

人生の早いうちに挫折をした方がいい、なんて話も聞いたことがある。

それも一理ある気もする。


しかし、できれば、何かが自分より上手い子に出会った時、

「たくさん練習したんだな」

と思えるようになってほしい。


余談になるが、上記のような考えに至ったのは「私が美大出身だから」かもしれない。

私が美大出身だというと、

「自分、絵の才能全然ないんですよー、だから絵が描ける人尊敬しちゃう」

と返ってくることが、よくある。

これは美大出身あるあるだと思うし、この会話自体、世間話の社交辞令みたいなもんで、

「いやいや、私も最近全然描いてなくて、昔の話ですよー」

とか言っとけばいい。


そう思うものの、このやり取り、毎回違和感があるのである。

少なくとも、美大の中では「絵の才能」という言葉は一度も聞いたことがなかった。

「君には才能がある……!!」

と取り乱してしまう教授とかももちろんいなかったし、「自分は絵の才能があったから美大にきた」と思っている美大生も、多分いなかったと思う……多分。

美大生は、受験生が塾とか予備校に通って受験勉強をするように、美術予備校に通って絵の勉強をしていただけなのだ。

他の人が勉強に費やす時間を絵を描くことに費やして、

「これで受かるだろう」

と思う絵を描けるようになった、ということだと思う。


私の体感で言わせてもらえれば、全く絵を描いてこなかった人でも、3年美術予備校に通うとどこかしらの美大にはいけると思う。

「才能」という言葉が、そのイメージ通りに使われている業界ってあるんだろうか?

私は、無いような気がする。


そんな気持ちもあってか、娘には、自分よりピアノの上手な子に出会ったときに

「私より才能がある」

とは思ってほしくない。

なんというか、それは多分間違っている。正しくは

「たくさん練習したんだな」

なんじゃないかと思う。

そういうことを感じてもらえるようにするためには、実際にピアノを習わせるしかないと思った。


何事も勢いで生きている娘は

「ピアノ習う?」

と聞くと、

「習う」

と二つ返事でOKした。

私たちは、安い電子キーボードを購入した。


……そして、1年半たった今。

冒頭の有様である。


こっちも朝、念押ししておいたのだ。

「今日はピアノがあるから、友達と約束してこないでね。行く前に練習するからね」

「わかった!」

確かに、そういう会話をしたのだ。したのだが。


ご機嫌に公園に遊びに行ってしまった娘。

「もう、ピアノ辞めてもいいかな……」

私がいうと、

「僕もそう思った」

と夫。

上手くなるには練習が必要だということは、もう分かっただろうし、友達と公園で遊ぶことも大事だと思う。


「聞いてみる」


時間になって公園にいくと、娘はいつもの友達と滑り台の上でクスクス笑い合っていた。

「ピアノだよー」

と、声をかける。

「ピアノ終わったらまた公園くるから、待ってて」

と友達に言い残して、娘が降りてくる。

遊ぶ時間はいくらあっても足りないんだろう。


娘と並んで歩いて教室に向かう。

「ピアノ、続ける?」

思いきって声をかけた。

辞める?と聞くと勢いで「辞める」と言われそうで、なんとなく「続ける」という言葉を選んだ。

えっ?という表情の娘は、何も言わない。

「練習する時間よりも友達と遊ぶ時間の方が大事になってきたなら、ピアノ辞めてもいいよ」



「辞める」



娘は、勢いではなく、言った。

「分かった」

と、私も言った。


教室に着いて、先生に娘を引き渡し、受付の人に

「ちょっと出ます」

と声をかけ、近くのカフェでコーヒーを頼んだ。

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なんだか寂しい。

ピアノ教室自体は楽しんでいたし、見学させてもらったときも先生とケラケラ笑い合っていて、娘に合っている先生だな、と思った。

ピアニストになってほしいとか、音大に行ってほしいとか思っている訳ではない(というか、音大に行きたいとか言い出したら、どうしようという感じの経済状況である)。

娘の将来に直結させたい訳ではないけれど、何か一つの可能性が閉じていくような気がした。

そしてそれは、私自身にも原因があるように思われた。


娘が帰ってきて、すぐに公園に遊びに行ってくれるのは、親としても都合のいい部分があったのだ。

その間、私も夫も静かに仕事に集中することができる。

夕方のパートもある。


私がもっと練習に付き合って、やる気が出るような声かけをしてやれたら良かったのではないか。

あるいは、ピアノコンサートに連れて行って、興味を持たせるようなこともできたかもしれない。

しかし我々は、核家族の共働きなのである。

その中で子どもにしてやれること、やれないことを選んでいかなければならないのだ。


これから何度もこういうことに出会うんだろうな、と思いつつ、コーヒーを飲み干して、また教室に戻った。


娘のレッスンの終わる時間までは、あと5分ほどあった。

一呼吸して、受付の女性に声をかける。


「すみません……」

「はい、どうされました?」

いつも明るく対応してくださったこの方とも、まもなく関わりがなくなってしまう。

「実は、辞めようと思っていまして……」

受付の女性は、はっと息を飲んで、

「ど、どうして……」

と言った。


ぼんやりと、演技なのかな、演技だとしても嬉しいもんだな……とか考えつつ、娘が練習をしなくなったこと、友達と公園で遊ぶ時間の優先順位が上がったこと、自分も仕事が忙しくなかなか練習するよう促せないことなどを伝えた。

すると

「練習が負担なんですね」

と返ってきた。

「あ、はい、そうです」

「レッスンは嫌がってますか?」

「いえ、レッスン自体は楽しんでいるみたいです」

「色んなお子さんがいますし、それぞれ色んな時代がありますからね。先生と相談して、宿題や練習の量を減らしてもいいですよ。もし、まだお母さんのお気持ちが固まっていなければ……」

受付の女性は、ゆっくりと言葉を選びながら言った。

すると、教室の防音のドアの向こうから、娘のケラケラと笑う声が聞こえてきた。

「楽しんでますね……」

思わず口に出してしまう。

「気持ちは、全然固まってないです」

ついでに本音も漏らしてしまう。

「素晴らしい先生に出会えたと思っているし、娘も楽しそうだし、ただ、練習できてないのが申し訳なくて……でもそれでもいいなら辞めさせたくないです……」


「よかった〜!」

と、嬉しそうに胸の前で手を握る受付の女性。

本当に娘のことを思って安堵してくれているのかもしれないし、ただ単に、自分の役割として退会希望者を引き止められて安堵しているのかもしれない。

でも、なんだかこのリアクションに、私も安堵してしまったような気がした。

「先生には相談しておきます。辞めるのはいつでもできるんで、練習を減らしてもうちょっと様子を見ていきましょう」

「はい」

気がつけば私も手を胸の前に握っている。


そこへ、何も知らない先生と、辞めると思っている娘が、教室から出てきた。

「今日はここをやりました」

「ありがとうございます」

先生がいつも通り、連絡事項を伝えてくれる。

娘は

「ありがとうございます」

と言って、もう出口に向かっている。早く友達のところに戻りたいのだ。

「あ、あの、では、よろしくお願いします。」

と受付の女性にあいさつし、もう一度

「ありがとうございました」

と先生に言って、娘のあとを追った。



公園に向かう娘と、家に帰る私。

信号待ちをしていたとき、こう切り出した。


「ねえねえ、レッスンは楽しい?」

「うん」

「練習しなくても続けていいんだって。ピアノ続けたい?」

「うん」


本心なのかな。それとも早く公園に行きたいだけなのかな。

分からないけど、辞めるのはいつでもいいし。


そんなつもりなかったのに、妙に力が入っていたのかもしれないな、と思った。

「じゃ、やっぱり続けようか」

「うん、そうする」

娘は、明るく答えた。


子どもにも親にも、色んな時代があるのだ。

これからも何度も今日のような日が訪れるのだろう。


「じゃあね」

「暗くなる前に帰ってきてね」

「はーい」

そう言いながら、娘はもう公園に向かっていた。

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※ この記事は2024年09月27日に再公開された記事です。

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