「なんでみんなと同窓会に行ったらいけないの?」
19歳の私は、その言葉をぐっと飲み込みました。
父親の怒りに満ちた目の奥と、母親の憐れむような視線に耐えられなかったからです。
それは私が、成人式当日の夜について話していた時のことでした。
「成人式の後、中学の同窓会するんだけど来ない?」
大学生2年生の夏、私のガラケーに届いたメール。
成人式で着る振袖などを選んでいる時期だったと思います。
「懐かしいな~、行きたいな」
そんな軽い気持ちで行く気になっていた当時の私。
ただ、わが家は門限もあったので、夜の外出は親に確認が必要でした。
「成人式の後、夜は中学の同窓会に行ってもいい?」
それを聞いて一瞬困ったような顔をした母。
しばらく黙った後、「お父さんに聞いてみなさい」と、私の顔も見ずに言いました。
なんとなく雲行きが怪しいな……と思いつつ、遅く帰宅した父親にも聞いてみることに。
私の父親はいわゆる九州男児。
家庭内で圧倒的な存在であり癇癪持ちで、気に入らないことがあると睨まれたり怒鳴られたりと、とにかく恐ろしい存在でした。
特に私に対しては食事のマナーや門限が厳しくて、常にビクビクしながら過ごしていました。
母親はそんな父親の言いなり、というようにしか見えていませんでした。
とはいえ19歳の自分にとって、成人式は一大イベント。
キレイにヘアセットとメイクをして、みんなで楽しく集まりたい。その日くらい夜に外出してもいいでしょ?
そんな気分でいっぱいでした。
でも、「同窓会に行っていいか?」と確認し、父親から返ってきた言葉は、正反対のものでした。
「あんたは何を考えているんだ」
「成人式の夜は家族で晩ご飯を食べるぞ」
「おじいちゃんたちも楽しみにしているんだから」
当時の私はショックで「えっ」という顔をしていたと思うのですが、それがまた父親の逆鱗に触れたようでした。
「家族で過ごすのが当たり前やろうが!」
そこで話は終了。
私は絶望的な気持ちで、友人に断りのメールを入れました。
当時の私は不満でいっぱいでした。
「いつも親のせいでやりたいことができないし、行きたいところにも行けない」
「私には自由が無い」
成人式当日のヘアスタイルにまで父親に口を出されて、余計にそう思った記憶あります。
そんなことばかり考えていましたが、大人になって、自分も親になった今だからこそ見えてくるものがあります。
特にこの話に関しては、今振り返ると、家族の思いに気づけていなかった自分が恥ずかしく、申し訳ない気持ちでいっぱいになるのです。
実は成人式の振袖は、祖父が私の晴れの日のために、ずっと貯金をして買ってくれたものでした。
それほど裕福でなかったわが家にとって、振袖をレンタルするのではなく「買う」というのは、大きな出費だったと思います。
でも、それも今だから推察できること。
当時の私は、
「振袖買ってもらえるんだ、ヤッター」
「レンタルだと好きなの選べないもんね」
くらいの、スナック菓子よりも軽~い心持ちでした。
おそらく祖父に対しても、上っ面なお礼の言葉しか口にしていなかったと思います。
振袖の価格を知る今となっては、思い返しながらこれを書いていてゾッとします。
そして、価格よりも何よりも、「孫の晴れの日を祝ってあげたい」という祖父の想いを、まったく理解していなかった当時の自分に絶望しています。
「恩知らず!」
もしタイムマシーンがあって当時の私に会えるなら、まずそう言って叱り飛ばしてやりたいです。
そして今思うと、「夜に同窓会に行きたい」と言ったあの時の私に対して、その一言を一番言いたかったのは、父親なのではないでしょうか。
あの時、私も父親も、言いたいことをグッと飲み込んだのだと思います。
この件に関してはきっと、祖父を含めた家族を、残念な気持ちにさせたと思っています。祖父はもう亡くなっているので確かめようもないのですが……
成人式の後は、親がフォトスタジオを予約してくれていました。
写真の中の私は、同窓会に行けないことと、自分で決めたヘアスタイルを父親から却下されたことが不満で、ぶすっとした顔で写っています。
親と祖父母に、何から何までお膳立てしてもらいながら、まったく感謝の気持ちが持てていなかった自分にはガッカリするのですが、当時の私は全然わかっていませんでした。
そして成人式の次の年、祖父が亡くなりました。
母親は今でも「おじいちゃんは、死ぬ前にあなたの振り袖姿が見られてよかったと思う」と話すことがあります。
それを聞くたび、私は当時の恩知らずな自分を思い出し、胸がチクチクします。
感謝を感じる心が無いと、色々なことに気付くことができない。
自分が愛されていることも、恵まれていることもわからない。
子どもにそれを、なんと伝えていったらいいのか悩むところです。
おそらく当時の両親も、そう思っていたかもしれません。(情けない娘で申し訳ない気持ちでいっぱいです……)
どんなことでも「当たり前ではない」こと。
支えてくれる存在の「有り難さ」。
そんな意識を忘れずに、これからも日々を過ごしていきたいと思っています。