長女がオーストラリアへ行った。
始まりは1年ほど前。
英語に興味を持って、語学アプリをかじり始めた彼女は「海外に行ってみたい!」と言うようになった。
言うが早いか、オーストラリアに住んでいる夫の姉にコンタクトを取って「遊びに行きたいの!」と直訴した。
生きる意欲に満ちていて眩しいことこの上ない。
あれよあれよとあちらと調整を重ね、いよいよこの春長女は飛び立った。
滞在期間は約10日。
そんなに長女と離れるなんて、初めてのこと。
下のふたりのお産のときでさえ、5日ほどだ。
しかもお産ときなんてこちらは肉体がズタズタな上に、授乳に追われていて、安全な場所にいる長女を案ずる余裕なんてほとんどなかった。
ところが、今回は違う。
そもそも長女のほうが自宅を離れるわけで、しかもそれは国外だ。
今まで送り出してきたお友達の家のお泊り会や、県内でのサマーキャンプとはわけが違う。
期間も、距離も、スケールがぜんぜん違う。
なんてことないと思っていたけれど、いざ長女が飛び立つと、これは全然、まったく、今までのあれらとは違う、と思い知った。
まずは中部国際空港から羽田空港までひとっ飛び。
当初は単身でオーストラリアへ向かう予定だったけれど、夫の母が帯同を買って出てくれてふたり旅に。
「大人がいれば安心でしょう、なんとかなるなる」と幾分呑気にかまえていたけれど、実際に現れた目の前の現実は想像以上のエネルギーを持っていた。
なんだか足元がふわふわする。
口では「大丈夫だよ!楽しんでおいで」と大人らしいことを言いながら、気持ちがどこかを浮遊するのが自分でもわかる。
なにがそこまで私をざわつかせるのか正体が見えないまま、とりあえず大人らしくしゃんとした顔をして、搭乗口で笑顔で長女を見送った。
胸の奥にソワソワと騒ぐなにか。
長女を見送った後、早朝に家を出て朝食を済ませていなかった長男と末っ子がお腹が空いたと騒ぐので、空港内で朝食をとることに。
「ラーメンが食べたい!」
「ハンバーガーにする!」
空腹の彼らの元へ食べ物を配給して、私も隣でハンバーガーを食べた。
ジンジャーエールが喉に染みる。
その間も、胸の奥でソワソワが次第に大きくなる。
長女はおばあちゃんといるし、東京では信頼できる知人がアテンドしてくれることになっている。
何も心配することはないのだ。
それなのに、ハンバーガーは味がしないし、ジンジャーエールはやけにビリビリする。
視界の片隅にいる夫のことなんて1㎜だって考えられない。
私はどうしてしまったんだろう。
朝食を終えて、時計を見るとまだ9時前。
そうだ、みんなで今から東京へ行こう。
とち狂った私は夫に提案し、やはりとち狂った夫は、時刻表を検索した。
長女の出国は夜の10時。
東京で1日を過ごすのだから、退屈な我々も行けばいいじゃない。
真っ直ぐに狂った目をした我々は、さくっと切符を購入して特急電車に飛び乗った。
行先は名古屋。
名古屋へ行けば新幹線に乗って東京へ。
楽勝だ。
電車に揺られて名古屋駅に着いた。
券売機に人数分のチケット代が映し出されてようやく、はっと気が付いた。
「普通に高い」
馬鹿かもしれない。
私も夫もそれなりの大人なのに、いざ現金を投入する段になってようやく、立ち止まった。
名古屋まで来たのにどうするの。
「早く東京行こうよう」
と飛び跳ねる長男と末っ子をなだめながら、「高いね」と当たり前のことを夫と言い合う。
朝家を出てから、夜家に帰るまでの金額をようやく計算した。
空港まで船に乗って、今から東京名古屋間を往復して、名古屋からさらに地元に帰る。
まさかの総額で10万円程度がはじき出された。
なんだこれは。
ちょっとした素敵な旅行ができてしまうよ。
ようやく現実と向き合って成人らしい頭を取り戻した我々は、大人しく名古屋で遊んで帰ることにしたのだった。
ほんとうにどうかしている。
東京にいる長女からスマホに届くメッセージに安堵しつつも、メッセージが届くたびに胸の奥のソワソワが高まっていく。
長女が初めての場所で初めてのものを食べて、なんだか都会らしいかわいいお店にも連れて行ってもらって、ああ私はそこにいないのだと思う。
どんな顔をしてそのカラフルなジュースを飲んだんだろうと、スマホの画面に見入ってしまう。
まだ出国もしないうちからこんなんでどうすると自分でも思ったけれど、予想通りいざ飛行機が離陸する頃には動揺は頂点を迎えていた。
名古屋から帰宅した私は、スマホを片手に家の中をウロウロするだけの熊に成り下がっていた。
ほんとうになんの役にも立たず、夫があらゆる家事を巻き取る横で、スマホを握りしめたままただ脱衣場とリビングを用もなく行ったり来たりしていた。
パフォーマンスが悪すぎることこの上ない。
飛行機で眠れるだろうか。
お腹が痛くなったら言えるだろうか。
さみしくないだろうか。
喉が渇いたらCAさんを呼べるだろうか。
夜の機内でトイレにちゃんと行けるだろうか。
冷静になればなるほど、考えることなんていくらでもあって、考えるほど胸がぎゅっとなる。
こんなに毎秒ごとに長女のことを考えるなんていったいいつぶりだろう。
まるで、長女が産まれて間もない、あの日々のようだ。
平気なふりをして押し殺していたソワソワは、いつしかはっきりと動揺に変わってその夜、私を揺さぶり続けた。
翌朝長女は無事にオーストラリアへ着き、早速美味しいものをたくさん食べさせてもらっていると写真が届いた。
食いしん坊な彼女のことだから、美味しいものを食べていればさぞかし楽しいことだろう。
いとこたちがアテンドしてくれて、刺激的に過ごしている様子が伝わってくる。
こうして私が一緒に見ることのできない景色を、子どもたちはこの先いくつも重ねていくんだろう。
未来がうんと果てしない。果てしなくて嬉しい。嬉しくてほんの少しだけさみしい。
「飛行機の中で少しだけさみしくなった」と長女からメッセージが届いた。
さみしいに決まっている。
そんなの分かり切ったことだ。
分かり切っていても飛び出していった長女がかっこいい。
飛んで行って抱きしめてあげられなくてもどかしいけれど、その分帰ってきたらたくさんハグしよう。
きっとこんな夜を私も長女もこの先何度も越えていく。
心身ともに丸々と大きくなった長女を「お帰り」と抱きしめるのを楽しみにしている。