子どもを産んでからというもの、それ義務教育で教えておいてくれないと…と思うことが連綿と続いている。
産んでから、というか厳密に言うと、産み落としたその日からそれは日々やってくる。
例えば、ふにゃふにゃの赤ちゃんに乳をやるのはとても難しいことを赤ん坊を産むまで私達のほとんどは知らない。
昨日まで新生児なんて抱っこしたことがないのに、ままならない手つきで乳を飲ませるなんて、ほとんど芸当だ。
突然なんの練習もなしにやるには難しすぎる。
そして、首も背中もガチガチになりながらどうにか咥えさせても、赤ん坊のほうではそれを断固拒否ということもある。
もちろんそんなこと、事前にひとつも知らされていなかった。
3人目を産んだ産院では、入院中の褥婦が授乳室に一堂に会して「せーの」の勢いで授乳をするシステムだった。
授乳室にぐるりと置かれた丸椅子にそれぞれ座って、指定のヘアバンドをつける。
ヘアバンドには苗字が記されたシールが貼ってあり、助産師さんはその名札を頼りに赤ん坊を次々に渡していく。
明らかに初産と思しき女性ははっきりとその空気に委縮していて、いつも不安気だった。
私も初産だったらその空気に完全に飲まれていたと思う。
飲まない赤ちゃんや飲めない赤ちゃんのこと、そして、飲んだかと思ったら吐き出す赤ちゃんの仕組みなど、産むまでちっとも知らなかったのに、産後1日でそういうものですよと差し出されてもちょっと情緒が追い付かない。
どうしてもお乳を飲もうとしない赤ちゃんを抱いて泣きそうな顔をしていた女性のことを今でも時々思い出す。
その後も、3週目頃に急に起きている時間が長くなって、やたらめったら泣くようになるとか、離乳食が進むとこれまでの快便が嘘だったみたいに頑固な便秘になったりするとか、予防接種のスケジュールって本当に緻密でややこしいとか、世の中には子育て支援センターなるものがあるよ、ということなど、義務教育で履修していたかったと思うことはいくらでもあった。
変化が著しい乳児期を抱える親はいつだって、知らなかったいろいろを吸収し続けていると言っていい。
そして、知らなかったいろいろは学童期に入ってもやはりあって、私の場合、もっとも度肝を抜かれたのは、小学生には夏休みの預け先がない、ということだった。
それまで、幼稚園では夏休みでも預かり保育が利用できたし、そういうものだと思って生きてきた。
なのに、小1になったとたんに、怖ろしいほど預け先が見つからない。
子どもたちの小学校にある学童は年間契約をしないと夏休みには預けられない仕組みで、よしんば民間の施設で預け先があったかと思えば、今度はぎょっとするような金額だった。
長女が小1の夏休み、「なんで誰も教えてくれんかったん……」と愕然とした。
さらに、最近私の目の前に現れたのが、「ギャングエイジ」というもの。
教育関係のお仕事をしている知り合いの口から出たその単語を調べて、またも、「なんで誰も教えてくれんかったん」と思った。
というのも、そこに書かれてあることはほとんどすべて、心当たりがあった。
ギャングエイジの「ギャング」というのは「仲間」を指しているらしく、つまり、「ギャングエイジ」とは、お友達関係が密になることによるいろんな軋轢が起きる年代です、ということらしい。
概ね、小3から小4を指すとのことだ。
女子では、「私たちズッ友だよね」と強固な繋がりを求めるあまり互いの温度差が生じたり、ほかのお友達関係に支障が出たりすることがあるとか。
男子ではグループのつながりを重視するようになり、悪い言葉を使ったり、時には悪いことに手を出したりすることもあるとか。
そういう構図は子どもの頃に漫画でも読んだことあるし、聞いたこともある。
でもそれ等は特別な学園ドラマではなく、ひとつの通過点だと知りたかった。
女子のそれも、男子のそれも、それなりに心当たりがあってそれなりに頭を悩ませてきた。
お友達関係の悩みは小学校2年生の終わりごろから複雑になって、以降、ほんとうに尽きない。
子どもたちから悩みを打ち明けられたり、先生に相談したり、なにかと気を揉んできたけれど、これがほんとうに思った以上に手強いのだ。
大人の力をもってすればある程度なんとかなるのではと傲慢にも思ってしまうのだけど、これがどうしてなかなか、どうにもならない。
話せば分かる、が通用するのは大人の世界のことらしく、子どもの世界では思いのほか通用しない。
なんていうか、理性とか良心とかそういうことの遥か向こう側で起きている出来事という感じがするのだ。
ある種の個人には抗えない自然の摂理のような不思議な力がある。
とは言え、出会った大人としての責任もあるので、なにも言わないわけにもいかないものでもあって。
私は腹に据えておくことができない性分なので、根気よくあれもそれも熱心に話をするのだけど、いつそれが本当の意味で彼らに届くのかは誰にも分からない。
そのくらい、大いなる力を感じている。
非常にもどかしいけれど、「ギャングエイジ」という言葉で包んでもらうことで、イヤイヤ期のあの頃みたいに、今はそういう時期としてじっと耐える理屈も並行して存在できるのだ。
つまり、ほんの少し冷静になれるところもある。
さもなくば、白黒つけることしか頭にない私みたいな人間は、なかなか白にも黒にも決着がつかないあれこれに、いつか子どもみたいに憤怒して、いろんな方面から信用を失ってしまうに決まっている。
だから、義務教育で教えておいてほしいってわけ。
おそらく、この先にも私がまだ想像もしなかった壁らしきものがそびえているに違いない。
10代の半ばで、牛乳をがぶ飲みする時期がやってきたり、夜中にそば打ちをする時期がやってきたりするのかもしれない。
クライマックスの反抗期だって、実は私が想像する何倍も複雑な形をしているのかもしれない。
きっと私はこれから何度も「し、知らなんだ」としりもちをつくんだろう。
どれも過ぎてしまえば笑い話になることも分かっているけれど、やはりすべてにおいて渦中というのは息苦しいもので、どうにかならないかと悪あがきしてしまうものでもある。
そんなときに、ほんの少し慰めになるのはよく似た誰かのお話だったりするのだ。
だから、こうして私も書いて残しておく。
ギャングエイジというものがあって、それはほんとうに大いなる力ですので、どうかいったん落ち着いて。
チョコを食べてから作戦会議をしましょうね。