コノビー編集部の選りすぐり!何度でも読みたい、名作体験談。
今回はコノビーで「育てる風景」を連載中の、ニシハラハコさんのエピソードをご紹介いたします!子育て世代に限らず、ご近所付き合いの大切さについて考えさせられます。
初回公開はこちらです。
https://mama.smt.docomo.ne.jp/conobie/article/27092
下の階のご婦人から、みかんをいただいた。
私がパートに行っている間に、持ってきてくれたそうだ。
最近見かけなかったので、お元気そうでよかった。
ご婦人は1人で住んでいる。
足が悪く、いつも外で会う時は杖をついているが、時々親族らしき人が車で迎えにきて、外出している。
その時に美味しそうなものを見つけると、我が家の分まで買って、持ってきてくれるのだ。
ジュースだったり、パンだったり、野菜や果物、糠漬け、お赤飯などなど。
色んなものをくれる。いつも
「1人では食べきれないから」
と言って渡してくれるのだが、明らかに我が家の分を買っていると分かる。
私はありがたくいただいて
「何かお返しできるものがあるといいんですが……」
と言うと、
「いいのよ、お返しなんてしないでね」
と言って帰ってゆく。
一度、家に梨があったので、2つほど袋に入れて持って行ったら、
「ありがたく頂戴するわね。でももういいからね」
と言われた。
ご婦人との「お付き合い」の始まりは、娘が2歳くらいの頃。約4、5年前までさかのぼる。
それまでは、あいさつ程度の付き合いだった。
その日もいつものようにあいさつすると、にっこりと返してくれ、その微笑みのまま、
「お子さん、元気ね。意外と足音って響くのね」
と言われた。
あ、と思った。
これは、苦情だ。
子どもの足音は確かに響く。
というか、大人は自然と足音が響かないように歩いていたんだな、と子育てを始めてから気づいた。
子どものそれは何度注意してもすぐには治らない、成長を待たなければいけないものだった。
我が家の上の階もお子さんがいらっしゃるようで、その騒音はわかる。
ファミリータイプのマンションにはつきものだろうと思っていた。
しかし、私たち家族が住む部屋はリフォーム前、長らく空き部屋だったらしい。
ご婦人は静かに暮らしていたのだろう。
数日後、菓子折りを持ってごあいさつに行った。
するとご婦人は
「あら、いいのよ、変なこと言ってごめんなさいね」
といつもの上品さで、でもちょっと慌てた様子で言った。
気にしなくてもよかったのかもしれない。
ご婦人も、決してとがめるつもりはなく、世間話的に口にしただけのことかもしれない。
けれど、菓子折りを持ってあいさつに行くというのは、メッセージのつもりだった。
得体の知れない家族ではないですよ、社会と共存していきたいと考えている家族ですよ、というメッセージ。
こういうあいさつによって、互いに不安を抱えることなくマンションに住んでいられるんじゃないかと思った。
しかしそれ以来、会う度に
「本当に気にしないでね」
と言われるようになった。
やっぱり逆に気を遣わせてしまったかもしれない。
私も何度も
「ドタバタしてすみません」
と言うようになってしまった。
安心してもらおうと思ってやったことが、逆に居心地を悪くしてしまったかもしれない。
そのまましばらく月日が経った。
ある時、台所で洗い物をしていると、みるみるうちに蛇口から出る水の量が減っていき、とうとう出なくなってしまった。
何度も蛇口を開け閉めしてみる。が、やっぱり出ない。
おかしい。お風呂場も洗面所も出ない。
娘は保育園に行っている時間だった。
在宅勤務の夫と、なんだろう?と言い合いながら、自然とマンション外の共有部分まで出てみる。
なぜかはわからないけど、同じように他の部屋の住人たちも自然と外に出てきたらしく、1か所に集まって「水が出ない」「うちも」「うちも」と不安げに言い合っていた。
不安げにしておきながら、普段はあいさつ程度しか会話しない住人たちとの非日常の交流に、みな、少しだけワクワクもしていたかもしれない。
「何々をしていた時に出なくなった」
「うちは何々をしていると止まった」
と、問題解決には関係のない話をダラダラとしゃべっていた。
すると、事態を把握したらしい夫が、マンションの管理会社に電話した。
じゃあ、あとは待つばかりなんで、と、みんなもさっさと解散してしまった。
非日常の交流は終了。
若干の名残惜しさを胸にしまい、忙しい現代人らしく部屋に戻っていく住人たちであった。
さて、これから一体どれくらいの間、水が出ないのか分からない。
夫はなぜか、不動産会社と管理会社の仲介みたいな役割になって双方に電話をしていた。
私はふと思い立って、備蓄していた2リットル入りのペットボトルの水を2本持って、1階のご婦人のお宅に持っていくことにした。
先ほどわらわらと住人たちで集まっていた中に、ご婦人はいらっしゃらなかった。
お留守かも知れないな、と思いつつインターホンを押すと、
「あら」
という表情のご婦人が出てきた。
ご婦人は、水が出ないことについ先ほど気がついた様子で、私は夫が管理会社に連絡していることなどを説明して
「もしお困りでしたら」
と、水を差し出した。
するといつもの上品な微笑みで
「ありがとう、でもうちにも備蓄している水があるから大丈夫よ、本当にありがとう」
と言った。
私が帰宅してから1時間ほどして、無事に水が出るようになった。
ご婦人が食べ物を持ってきてくれるようになったのは、それからである。
「これ、食べきれないから食べて」
と、大量のパンをいただいた。
食パンやら菓子パン、惣菜パンなど。
「ここのパン美味しいのよ。どれもこれも美味しそうで、つい買いすぎちゃって。」
いいのかな、と思いつつありがたくちょうだいした。
確かに美味しいパンだった。
それ以降、会うと必ず、
「あ、奥さんこれ、持っていって」
と食べ物をくれるようになった。
偶然会う時だけでなく、わざわざ階段を上がって持ってきてくれたりもした。
玄関先で
「いつもありがとうございます」
と食べ物を受け取って、少し世間話をする。
「何かお返しできるものがあるといいんですけど……」
と、我が家で何かお裾分けできるものがないか考えるが、いつも、特に何もない。
「いいのよ、1人だからね。たくさんは食べられないから持ってきてるだけなのよ」
ご婦人は繰り返した。
初めのうちこそ、お返しをしなくてはいけないと思っていたが、だんだんと「交流しにきてくれているんだな」と感じるようになり、毎度ありがたくちょうだいするようになった。
「お母さん、晩ごはん食べた後にデザートにしていいよ」
娘が、みかんを1つテーブルに置いた。
我が家がスーパーで時々買うものよりも一回り大きく、ツヤツヤのオレンジ色だった。
私は夫が作ってくれた晩ごはんを食べた後に、みかんをいただいた。
それは、酸味と甘味がぎゅっと詰まった、元気になるような味がした。
「いいみかんだ」
「いいみかんだね」
と、夫婦で言い合った。
「相当気に入られてるね」
と夫が言う。
「あなたがいなくて残念そうだった」
夫曰く、私がいる時といない時では、ご婦人の明るさが違うらしい。
「あの時水を持って行っただけで、こんなに気に入られるとは……」
と、少しおどけて答えると、
「それだけじゃ無いんだと思うよ」
と夫が真面目に返した。
そうなんだろうと思う。
大都会という訳ではないけど、マンションの密集するベッドタウンで、1人で暮らしをするご婦人の気持ちはなんとなく想像できる。
「僕に対してじゃ無いんだよね」
と夫が笑いながら言った。
ははは、と私も笑う。
水が出なくなった時、実際の問題解決のために動いたのは夫の方なのに。
マンションの住人にあいさつをするようになったのは、いつ頃からだろう。
一人暮らしをしていた20代の頃は、こんな風にあいさつをしなかった。
単身用マンションで、他の住人たちも特にあいさつはしていなかった。
あの時は、あいさつしない、干渉しないというのが、暗黙のルールだったかもしれない。
干渉しませんよ、というメッセージを送り合っていた。
そのほうが心地よかったのだ。
夫と2人で住むようになってファミリータイプのマンションに引っ越してから、あいさつをするようになった。
他の住人があいさつをしていて、それにならったのだろう。
次第に、その方がなんとなくいいのだ、という気がしてきた。
人間の中の、本能的な部分の気配を感じる。
本能が、生存率の高い方を選択しているのだという気がする。
階下のご婦人は、近くに親族の方が住んでおられるとはいえ、一人暮らしである。
私もいつかそんな日が来るかもしれない。
脈々とつながる人間社会の営みを感じる。
こうやって、関わりあって生きてきたのだな、と思う。
本能が生存率を上げるためにご近所付き合いがある、としてしまうと、なんだか打算的にも思えてくるが、どこかに行って、美味しいみかんを見つけて我が家を思い出してくれたと思うと、素直に嬉しい。
やはり、お返しを何か持っていきたいような気がする。
それは、お礼の意味ではなく、我が家に関わってくださることを嬉しく思っていますよ、というメッセージとして。