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公開 2015年10月18日  

「どんなに正しいことでも、伝わらないと意味が無い」FC東京権田選手が息子に教わったこと

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今をときめく「気になるあの人」が、どのような環境で育ち、どのように周囲の大人や親が関わったことによってその個性が磨かれたのでしょうか。『原石の磨き方』を明らかにしていく当インタビュー特集第7回目。FC東京のゴールキーパー権田選手の素顔に迫ります!


最初の記憶は、バスケットボール

僕の両親はバスケットボールの選手でした。僕が小さいころは、父が実業団のコーチや大学のヘッドコーチをしていたので、試合を見に行く機会が多かったです。だから、サッカーよりバスケットボールの記憶の方が先ですね。

ゴールが高いので「ずいぶん高くて、届かないなあ」と思ったことを覚えています。幼稚園に入る前でしょうか。

幼稚園に入ったころJリーグが始まり、世の中はサッカーブーム。幼稚園にもサッカー教室ができたので入りました。親は元気すぎる3歳児のエネルギーをなんとか発散しなければと思ったのかもしれません。僕はすぐにサッカーが大好きになりました。

足も遅いし、リフティングも下手だった

僕がゴールキーパーになったのは、小学校のときに体が大きい割にはサッカーがあまり上手くなかったからなんです。足もそれほど速くないし、リフティングがそれほどうまいわけでもない。ゴールキーパーでなければ、試合にも出られなかったかもしれません。

これからは、一番サッカーのうまい子がゴールキーパーというポジションを選ぶように変えていきたいですけれどね。

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サポート役に徹してくれた父

僕の父は、僕にバスケットボールボールの選手になって欲しかったようです。でもそんなことは一度も言われたことはなかった。そんな風に思っていたことは最近知ったんですよ。

小学校のときにはいった地元のサッカーチームは、お父さんが持ち回りで監督をするという地域密着型のチームでした。

僕の父は、「修一のコーチになってやろう」といってチームの監督に就任し、本を読んでいろいろと研究してくれ、ゴールキーパーとしての僕の最初のコーチとなってくれました。

空間認知能力は、休み時間に養った

ところで、僕は小学生のころ1日中サッカーをやっていたかというとそうでもないんです。
小学校は休み時間はサッカー禁止。だから休み時間はもっぱらドッジボールかバスケットボールをやっていました。

僕は体が大きかった。だから、バスケットボールならリバウンドをとる。ドッジボールなら、敵の外野同士が広く高く投げ合って回しているボールを、ラインギリギリでとる。そういう役回りでした。

ドッジボールなら、敵の外野の目の前でもしボールを取れなかったら、すぐにボールを当てられて負けてしまいます。この角度であそこから投げたら、どの位置でいつジャンプしたらボールを取れるのか。

バスケットボールであれば、ボールがリングにどの角度に当たれば、軌跡はどう変わってどこに落ちてくるのか、誰よりも早くその地点に行くにはどうしたらいいのか。毎日遊びながら必死に考えていました。

たとえば、センタリングをあげられて、飛び出してキャッチするのか我慢してゴールを守るかという今のゴールキーパーとしての判断は、小学生のときいろいろな遊びをしながら鍛えられたのかもしれません。

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6時夕食9時就寝、7時起床の規則正しい生活

放課後は暗くなるまでずっとサッカーボールを追いかけていました。でも、6時には絶対何があっても家に帰るんです。
なぜかというと、僕の家の夕食は6時。弟の分といっしょに皿に盛られた食事は、僕が遅れれば、弟に食べられてなくなってしまうから(笑)。

そんなわけで、6時きっかりにご飯をたっぷり食べ、9時には就寝。朝の7時までぐっすり眠るという規則正しい生活を送ったおかげで、小学生のうちに身長は170センチを超えていました。

今でも講演などで小学生に話す機会があれば、「ご飯をしっかり食べて、早寝早起きが大切だよ」と話しています。

唯一「全然ダメ」と評価してくれたチームに入った

小学校6年生になると、複数のクラブユースチームから誘いがありました。

横浜F・マリノス、川崎フロンターレ、FC東京、湘南ベルマーレ。

その中で、自分のチームとして最終的に決めたのがFC東京です。選んだ決め手になったのは、1日練習会に参加したときにFC東京のコーチにだけ、「全然ダメだね」と言われたことでした。

小学生のときには、ゴールキーパーとして川崎選抜、神奈川選抜と選ばれていて、どこにいっても「君が一番だよ」と言われていたのに、初めて「ダメ」と言われた。悔しかったけれど、言われてみるとすべて正しいことですし、先輩のプレーを見てみると、すごくうまい。

このコーチの言うことを聞いていたらこんなに上手くなれるのかなと思って、FC東京に決めました。

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目の前の敵に勝ち続けること

サッカーをやっている子って、みんなサッカーが大好き。その中でプロになるには、ひとつは「負けず嫌いであること」。もう一つは、「とことん自分の強みにこだわること」でしょうか。

僕はキーパーですから、ゴールを取られないようにするにはどうしたらいいのか。いつもそこにはすごくこだわっていました。

ドリブルが強みの人なら「絶対目の前の敵を抜くこと」にとことんこだわることです。
「この選手は抜けないだろうからパスする」という思考の選手は、ドリブルでは一番にはなれません。

「抜けなかったから、もうドリブルはいいや」ではなくて、「どうしたらこの選手を抜けるようになるのか」。これを常日頃から考えているのは結構難しいことですけれど、やっぱりそれができないとプロにはなれないでしょうね。

僕は、ゴールを守ることにとことんこだわり続け、プロになりました。そこには運やタイミングもあったと思いますが、それを引き寄せる力も含めて自分の力だと思っています。

「ダメなものはダメ」と言っても通じない相手ができた

2年前に子どもが生まれ、自分の中で変わった部分があります。

我が子は2歳になり、だんだん会話ができるようになってきましたが、なかなかこちらの言いたいことが伝わらない。
たとえば「危ないよ」と言っても相手に通じないときに、なんと言えばわかってもらえるのだろう。

そんなふうに子どもに対しての伝え方を考えていると、そこで求められる工夫は、ほかの大人に対しても同じなのではないかなと思うようになりました。

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正しいことでも、伝わらなければ意味がない

元々僕は、誰に対してでも「それは、違うよ」とストレートに言ってしまうタイプでした。

ストイックに突き詰めて「どうすれば目の前の敵に勝てるか」考える。サッカーのチーム内でも、社会生活の中でも正しいと思うことをはっきりと言う、それ自体を間違っているとは今でも思わない。ただ、それですべてが上手くいくわけでもないのです。

正しいことをスパっと言っても「そうだね」とわかってくれる人と「どうして?」と思う人がいる。

だから「それはダメだよ」だけではなくて、「こうした方がいいんじゃないの?」「こういうやり方はどうかな」というふうに伝え方を考えるようになりました。

言わなくてはいけないことはこれからも言うけれど「相手に伝わらなかったら意味がない」ということを2歳の子どもに教わったような気がします。

よその子も、大事な子ども

また、まわりの大人に対してだけではなく、周りにいる子どもに対しても、接し方は変わってきました。

ファンと選手の交流の場で、選手に対して呼び捨てにする子がいます。「○○選手」と言うべきだと僕は思います。またサインをして欲しいときに、黙って色紙をニュっと出す子もいます。ともすれば後ろから保護者の方が「この子、人見知りなんで」と言い訳をすることも。

人見知りをする子は、挨拶をしなくてもいいということはないでしょう。

マナーができていない子どもに対して、以前は知らんぷりをしてきました。でも自分の子どもができてからは、「保護者が注意できない子にはまわりの大人が言ってあげないと、大事なことを知らずに大きくなってしまうんじゃないかな」と思うようになりました。

だから、そういう子にもサインはして、
「次に選手にお願いするときには、『○○選手、お願いします』って言ってあげてね」と一言添えています。

よその子であってもきちんと教えてあげることが、本当のファンサービスかなと考えるようにしています。

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【プロフィール】
1989年東京都世田谷区出身。プロサッカー選手。JリーグFC東京所属。ポジションはゴールキーパー。


※このインタビューは2015年6月下旬に実施されたものです。
(取材・文:宗像陽子 / 写真:龍田浩之)

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