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公開 2015年10月30日  

「三歳児神話」は実は優しい?新しい解釈を考えてみた

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誰もが知っている三歳児神話をめぐって様々な論争が繰り広げられプレッシャーを感じている人も少なくないのではないでしょうか。すでにどなたかがどこかで提唱されているのかもしれませんが、「こんなことを伝えようとしてくれているのでは?」という、子育て中に私を支えてくれたちょっと変わった自分なりの解釈をお伝えます。


重圧がハンパない「三歳児神話」

生後~3歳という期間は、育ちにおいて最も大切な時期です。子どもにとって安全な場所を確保し、基本的欲求を満たし、食事を与え、スキンシップたっぷりに世話をし十分な愛情を注ぐべきだ、という意見に全く異論はありません。母親だけではなく、周囲の大人たち、そして社会全体が全力で保障する必要があると思っています。

「三歳児神話」では、この時期に母親または保育者が正しい方向に躾けなければ、きちんとした人格には育たず、社会人として適応は難しくなる、それは百歳になっても変えられない、という解釈をよく聞きます。

印象としては母親にとってちょっと厳しい戒めのようなイメージが否めません。ここで失敗したらヤバい、正しく躾けなければならない、というような。母親の責任、重圧感がハンパなく、当事者の母親は赤ちゃんを抱きながら背中に重い何かも背負っているような感じです。

ところがある時ふと論争の土俵をそっと降りて、ちがう角度から見つめてみると、パッと心が軽くなるような新しい解釈が浮かびました。

三つ子の魂 百まで

この言葉がいつ頃から言われているのか不勉強でわからないのですが、昔からある言葉ならば「三つ子」とは数え年でいうと2歳かも?すると、じんわりと胸が熱くなるような想いが広がってきました。

生後から2歳のお誕生日ころまで、それは、人として必要なものが満たされ大人にきちんと守られた生活が送れていれば、自分をいっさい隠すことなく全てをさらけ出してくれる時期。

個人差は大きくありますが、2歳を過ぎ、イヤイヤ期が終わるころからは、周りの状況に適応して幼児なりに心や思考を働かせて要求を諦めたり、時にはウソをついたり、感情をさらけ出すことについて躊躇する場面も増えるようになるのではないでしょうか。いわゆる空気を読んで反応できるようになるのですね。それこそ成長の証です。

我が子に関して言えば、2歳のお誕生日まではありのまま。心のまま。周囲を振り回しまくってくれました。そしてイヤイヤ期を過ぎるころから少しずつ、程度の差はありますが時によって母や大人の顔色をうかがって言葉を選んだり泣くのを我慢したりするようになったように記憶しています。(結構長い間「イヤ」を表現するタイプの子もいて翻弄もされましたが…)

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僕は僕なのだ

子育てのヒントが満載のギフトのような時期

「僕ってこんな心を持っているの。こんなことが悲しいの。こんなことが嬉しいの。これが好き。これが嫌。こんなことで元気がでるの。これが我慢できないの。こんなことが楽しいの!くじけた時には自分では立ち直れないの、手をかしてね。くじけても自分でなんとかしたいの、そっと見守っててね…」

このように、なんの加工もせずにさらけ出してくれる。もって生まれた性格やクセ、偏り、個性。すべてをオープンに、言葉以外の方法を使って、全身全霊で教えてくれている。これらは、100歳になっても変わることなく、僕を僕たらしめる大切な宝物です。

それを、父母ともにじっくり見つめて味わって体験していってみたらどうでしょう。もちろん、いつでも子どもの言いなりになる、ということでは無く、発信することよりも、受信することに重きをおいてみること。

そうして魂に刻まれたありのままの子どもの姿は、その後成長するにつれて、本当の想いを隠すようになっても、口も心も閉ざして過ごす思春期になっても、困難にあって挫折を味わっている時でも、自分自身がわからなくなって迷っている時でも、敢えて放っておくのか、激励が必要なのか、叱るべきか、そばでどう寄り添えばいいのか・・・そっと導いてくれるのではないでしょうか。

「三歳児神話」でいう3歳という時期は、世界でたった一つの僕だけのための子育てのヒントが満載のギフトのような時期なんだよと、絶え間なく命と向き合う子育ての現場で過ごすうち、いつとはなく名も知らぬ数えきれないほどのこの国の先人たちの励ましのように感じられるようになったのです。昔の親たちの大らかな想いを、語りかけてくれているような気がしてなりませんでした。

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さらけ出します

その子その子にあった子育てのヒントを教えてくれる時期

ところで、ある時期、子どもがテーブルに乗っている鍵や必要なものを下へ落としたりしそれをじっと見つめたりしませんでしたか?拾ってテーブルのもとの場所に置くと、再びつまんでポトン。誰でもきっと1度はハマるであろう、必殺 鍵落とし。例えば我が家では長男が1歳を迎えたころでした。

拾いあげるたびに飽きずに落としては真剣な表情で鍵を見つめている息子がただ面白くて、はて何回続くかな?と軽い気持ちで数え始めました。すると、時間がたっぷりの我ら親子はこれを繰り返すこと90回近く。予想をはるかに上回る結果に本当に驚きました。

こりゃ、公園からすんなり帰らせてもらえないわけです。イヤと言ったらイヤなわけです。深い探究心と執念深さ、脳と心がフル回転している小さな研究者。我が子ながら感動し尊敬の念を抱いたものです。出来る限り付き合うしかないな…この時、腹をくくりました。

また次男の場合。1歳過ぎてその時が訪れました。嬉々として興味津々、記録更新なるか?と拾い続けましたが30回近くでパッとほかのことに興味をしめしてやめてしまいました。同じ両親の子として、同じお腹から生まれましたがこの違い。あっさりさっぱり、多分ごまかそうとすればいくらでもごまかせたと思います。それでもご機嫌でいるような子でした。

さて、大きく成長した彼らの様子を見るにつけ、鍵落としで披露してくれた姿勢は変わっていません。たぶん両者とも100歳までこのままなのでしょう。執念深く突き詰めるタイプと、広く浅く色々と楽しむタイプ、兄弟が真逆です。

どちらが優れている、というわけではありません。持って生まれた性格なのです。その子に合わせた対応を心がけました。自然な心のベクトルをねじ曲げたり正しさを強制することなくそれぞれのペースを保てるよう工夫を楽しみました。

「その子その子にあった子育てのヒントを存分に示してくれる大切な、そして楽しい時期をうんと味わって楽しみなさい」という先人達の優しい声に支えられて過ごすひととき。ぜひ多くの若いお母さんたちにも、そんな大らかな気持ちで極上の時期を味わっていただけたらと思います。

その子を「まるごと」感じよう

ただし、観察して分析して、レッテルを貼る。これでは百害あって一利なしです。

私の場合は次男坊を、とてつもなく打たれ強い子だと決めつけてしまい、ちょっと放置しすぎたことを今になって後悔しております。いくらあっさりした性格だとしても男子は繊細でもっとフォローが必要だったかな、と反省中です。

もちろん環境や経験でいくらでも変化、成長していくわけですから「この子はこういう子!」とカテゴライズするのではなく、こんな傾向があるよなあ、くらいの緩い感じを忘れないことも重要ですね。

専業主婦とか働いているとか拘らずに、自分が向き合える範囲の中で、一生のうちのほんのひと時「すべてをさらけ出してくれる姿」をただただ楽しんで、その子をまるごと感じてみませんか?

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