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公開 2015年12月05日  

私はこうして、毒親の呪縛から解き放たれていった

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私の母親はいわゆる教育ママでした。そして、それは少々度が過ぎて、今考えれば私の母親は「教育虐待をする毒母」でした。そんな私の経験と、そこから抜け出す事ができたきっかけを、ご紹介します。


母の「私、新聞に載りたいわ」という言葉

私が小学生の時、母がふと私に「私、新聞に載りたいわ」と言いました。

その時、私は母の言ってる意味が分かりませんでしたが、よく聞いてみると「あなたが将来有名になったら、私が死んだ時に”〇〇さんの母”という形の訃報が新聞に出るでしょう?」ということでした。

新聞には、国会議員さんや作家さんなど、有名な方のご母堂の訃報が、小さいながらに載っているのを知っていますか?どうやら母は、私に有名になってほしい、そして自分の訃報が新聞に載ることを願っていたようなのです。

私の母は「娘を有名にしたい毒母」だったのです。

中学から大学まで続いた母からのプレッシャー

小学生のころは、私はまだ母に従順な子どもでした。
幸い、勉強が好きで真面目、学校の先生にもウケがいい優等生タイプだったので、母はいつもご機嫌でした。

しかし中学に入り、高校受験が近づいてきたころには、私も自分自身で物事を考えるようになり始め、いわゆる反抗期に突入しました。悩んだり、迷走したり、母親に対して率直な疑問をぶつける娘に対し、明らかに母はいらついていました。

当時は、母からこんな言葉をかけられていました。

「日本に大学は4つだけ。」
「親は子どもより偉いに決まっている。」


今では迷言としていろいろな所でネタにしていますが、当時の私にとって、その言葉はとても重圧になっていました。

中学・高校時代はもちろん、大学で一人暮らしをしても、週に1度は手紙が送られて来ました。不定期の電話が夜9時にアパートにかかり、不在の場合、帰宅するまで何度も電話がかかってきました。

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どん底に落ちた自尊心と、皮肉な関係改善のきっかけ

母からの重圧が苦しい。その一方で、期待に答えられない自分の能力のなさに自己嫌悪に陥る。
逃げ出したい、でも期待に応えないことで罪悪感が生まれる。

母親という他人に人生を預けた状態の私は、「自分自身を認めて自分のために頑張る」ということができなくなり、特に大学生になってからの数年間は、無為な日々を送りました。
当時は、「私なんて」という思いから、仕事でも恋愛でも自分を犠牲にしてばかりでした。

その一方で母は、「あんなに期待して、お金と時間をかけてきた娘が、期待通りにならなかった」と失望をし、娘に期待をしなくなりました。娘という存在を使って、自らの夢を体現しようとしていた母は、それが叶わないと知るや、自分のやりたいように生きることをはじめたのです。

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自分の好きなことで、自らの願望を叶えた母

母は今、その趣味の世界で認知度を広げ、自分の名前で本を出し、先生と呼ばれています。

昔、有名人の母親として掲載されることを望んだ訃報ではなく、自らの名前で新聞に取材を受けているようです。死ぬ前に新聞に出られて、本当に良かったと思います(笑)

母は娘の存在を借りず、自分自身の好きなことに熱中することで、「世の中に認められたい」という願望を叶えることができるようになったのです。

その結果、母が私の一挙手一投足にあれやこれやを言ってくることは、ほぼなくなりました。母が新聞に出ればその切り抜きが、母が本を出せばその本が、すごいでしょアピールと共に自宅に送りつけられるというようなことは多々ありますが、昔を思えばかわいいものです(笑)

「母も一人の人間」と思えたことで、呪縛から逃れられた

私自身も、彼女のことを母ではなく「一人の人間」と思えたのがきっかけで、母から離れることが出来ました。

自分自身のやりたいことでルンルンしている母に、気兼ねすることがなくなり、母の評価を恐れずに、自分のやりたいこと・やるべきことをやるようになり、自分を大切にすることができるようになりました。

評価を他人に預けない人生は、同時に責任も自分自身で引き受ける重さがありますが、それでも地に足がつき、仕事も家庭も充実しています。

母が私を産んでから、自活するまで育ててくれたことについて、その時間と労力には敬意を評しますが、私は母とは、趣味趣向や性格などが合わなかったのだと思っています。

母でありながら自分らしさを失わない

私は今、自らが運営する事業の中で、母になった女性が一人の人間に戻れる時間を提供しています。母であることの前に、一人の人間として、自分自身の尊厳、時間、欲望すらも大事に扱って欲しいと思っているからです。

母が私にしてきた行動や発してきた言葉は、一般の家庭に比べれば特殊だったと思います。これらのことは、母が「母であること」に自分の人生をすべて重ねてしまったことが、全ての発端だと思うのです。

母としての責務はまっとうしながらも、自分らしさを失わない。これからの時代は、そういう母親像を広めていくことが、未来を担う子どもたちのためにも良いのではないかなと思っています。

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