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公開 2015年10月29日  

「親のくせに子どもの気持ちも分からんのか!」と言われる社会って、ちょっと窮屈。

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画一的な価値観で染まる社会から脱却し、少なくとも理想としては、多様性を受け入れる社会へと移行しようとさまざまな情報発信が盛んになっています。結論は出ていないのですが、私の正直な考えを綴ってみました。


「相手の立場を理解する」の正論

子どもも、お年寄りも、障害者も、LGBTも、外国人も、妊婦さんも・・・、みんな同じ社会を生きている。

「共生」「多様性」「相互理解」「異文化交流」

こうした言葉を、道徳の時間で習ったり、政治家が演説で唱えていたり、テレビのニュースでも良く耳にするようになりました。

記憶に新しいところでは、マタニティマーク論争で妊婦への理解を訴えた一連の報道や、渋谷区で同性パートナー条例が成立した事をきっかけに、性の多様性について一気に認知が広まる動きがありました。

こうした社会の動きを受けて、私も教育に携わってきた一人として、どんなときも、相手の立場が理解できる人を育てたいと願い、子どもたちにもそう伝えてきたつもりです。そしてそれは、まさにこれからの社会を作るにふさわしい理念だとも思っていました。

その「相手」というのは、何パターンあるのだろうか

しかし正直に言うと、その「どんなときも、相手の立場を理解する」という考え方に、ある時から違和感を感じ始めた自分がいました。

世の中には人の数だけ「立場」があり、その全てを傷つけないように「どんなときも」相手に配慮し理解するだなんて実現不可能な話じゃないか。

マタニティマークに無理解な中年男性を糾弾している人は、普段から目に見えない内部疾患のある人にも気づき、同じく配慮しているのか。

多様な性的マイノリティーの方々がカミングアウトした時に、なんて声をかけたら相手が安心できるかという事について、どれだけの人が答えを持っているのだろうか。

親子関係の重要性を訴える人たちのどれくらいが、ひとり親や孤児の立場に立てているのだろうか。


どんなときも相手の立場に立つという事を本気でシュミレーションしてみた後・・・



・・・めんどくせえ!!!!!



と思ってしまったんです(笑)。

世の中の正義観としての

無知が人を傷つける。だからこそ世の中には多様な人がいることを知り、学び、理解できる様になるべきだ。

という考え方。

もちろん理解する努力は大切なんだけれども、この言葉を無条件で飲み込んでしまったがために、今度は「無知でいると、とことん叩かれる社会」ができつつある様に思えます。

そんな社会、ちょっと窮屈過ぎると思いませんか?

「他人のことはよく分からない」から出発したほうがいい

大人が子どもの気持ちを100%理解することも。

自分と違う性的指向を理解することも。

全く文化の違う外国人の考え方を理解することも。

最終的には、たぶん、難しいことなんだと思います。

だからこそ、その「他人のことは、結局よく分からないかもしれない」という事実を、一旦、積極的に受け入れてみる。

分からないものは、分からない!と言っていい。

そうすることでむしろ、「分かっていることにする」よりもずっと、人の多様性に対して誠実に向き合える様な気がするのです。

そのほうが、必要以上に自分も他人も責めなくて済むと思うのです。


子育てでも同じことが言えます。


私が子育て相談に乗っていた頃、「子どもが何を考えているかさっぱり分からなくて・・・」というお母さんの声を良く聞きました。

でも、自分の子どもだって他人には変わりありませんから、理解できなくて自然なのです。

「親なのに子どもの気持ちもわからんのか!」と言う方もたまにいますが、そういう時は「わっかんないっす!」でOKです(笑)。

むしろ、「自分は親なんだから子どものことは私が一番良く知っています」という方ほど、目の前の子どもと向き合えずに推測や想像で分かったつもりになっていることが多いです。

「分からない」と言うのはとても勇気がいることではありますが、しっかり向き合ったからこそ、言えるセリフでもあるはず。我が子の子育てなら尚更です。

そんな正直な子どもや他人との向き合い方が当たり前になったら、もっと多くの人が生きやすい社会になると私は思います。

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