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公開 2015年12月29日  

「ありがとう」は強要できない~子どもは親の言うとおりではなく親のようになる~

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みなさんは、子育てしている中で「譲れない価値観」のようなものってありますか?私は「あいさつ」にこだわっていました。それが子どものためだと思っていました。でも、よく考えると、それ、ほんとに子どものためだった?と思う案件が発生。子どもの成長のために、自分は一体何ができるのか、考えてみました。


楽しみに待っていた、おじいちゃんの持ってくる「柿」

10月に、実家から私の母と祖母が遊びに来ました。それで、ちょっと早いのですが、長男の七五三のお祝いをかねて、義父母も招待し、自宅でお食事会をすることになりました。

そのとき、義父が柿を持ってきてくれました。

義父は、山野草を育てるのが趣味で、お庭の手入れもとっても行き届いています。そんな義父の、風情ある素敵なお庭には、柿の木が一本生えていて。そんなに大きい木じゃないんですけど、ものすごく甘くて大きくて、おいしい実がなるんです。

それで、長男は育先で柿の絵カードが出てくると「柿!おじいちゃんが持ってくる。」とか言っちゃうくらい(笑)
柿と言えばおじいちゃん!!みたいに思ってるんですね。

孫たちに食べさせるために、柿の木にネットを巡らせて、野鳥から実を守りながら、大事に育ててくれた義父。

長男&次男は、

「明日はおじいちゃんとおばあちゃん来るね~♪」

「柿も来るね~♪」

と何回も何回も言い合っていました。
息子たちは二人とも、とっても楽しみにしていたんですね。

勃発した、「ありがとう、言わない!!」事件

さて、当日。
義父と義母は、車で小一時間ほどかかる我が家へ、例の立派な柿を携えて、七五三のお祝いに来てくださいました。

玄関を開け、みんなでお出迎え。

と、肝心の長男ハルがいない。玄関に連れてきたはずが、いつの間にか奥の部屋に引っ込んじゃってました。

思えばこの時、「あ~、おじいちゃんと久しぶりに会うから、恥ずかしいんだな。」って、気づいてあげられれば良かったんですけど。というか、ちょっと考えたら分かったはずなんですが。


「ちょっと~!!!おじいちゃんとおばあちゃん、来たよ~!!!!」

と、慌てて再度部屋からハルを連れ出した私。


すると、さっそく義父が
「ハルくん、七五三おめでとう!!」
と言って、立派な柿が5つも入った袋を、ハルに差し出しました。


「……。」

それを無言で受け取る長男。


いやいやいや!!!!無言って!!
それ、あなた待ってた柿でしょ!!!
おじいちゃんが今日のために手塩にかけて育てた柿でしょ!!!!

そんな心中の私。

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私 「ハル、そういう時、なんていうのかな~??」

長男「……。」

次男「おじーちゃん、ありがとう!!」

私 「ヒロ、上手に言えたね~♪えらいえらい。じゃあハルも言ってみよう♪」

長男「……。」

私 「ハル、ありがとうって言ったら、おじいちゃんうれしいよ~♪」

長男「……。」

  「言わない。」

私 「えっ?」

長男 「言わない!!!ヤダ!!!」


えーーーーーーーっ!!!!この場面で言わないって!!!!!


私 「そっかぁ。じゃあ、ありがとうのタッチにしよう♪」

長男「……。」

  「しない。ヤダ!!!!」

えーーーーーーーっ!!!!タッチも!?!?

(いつもはあいさつが難しい時、タッチならできることが多いんです。)




そんなやりとりがしばしあり。

義母「いいよいいよ、そんなのさ。ね!」

と助け船を義母が出してくれたにも関わらず。

私はハルを別室へ連れていき、無駄な説得を始めたのでした。

全く逆効果な説得

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「ハル、あんなにおじいちゃんが来るの、楽しみにしてたじゃん。」
「ハルの大好きな柿、持ってきてくれたんだよ。」
「誰かにうれしいことをしてもらったら、ありがとうって言うんだよ。」
「ハルがありがとうって言ったら、おじいちゃんうれしいと思うよ。」

などなど、思いつく限りの言葉で長男を説得してみました。

しかし、ハルは何を言っても

「ヤダ!!!言わない!!!!!」

の一点張り。


そんなやり取りに、私はだんだんイライラしてきて、ヒートアップ。

「そんなこと言ってたら、誰も何もしてくれなくなるよ!!もう、お母さん知らないよ!!!」

はい、脅しに入ってます。
だからそれ、効果ないって。むしろ悪影響だから。と、その時の自分に言いたいです。

すっかり「ありがとうを言わせる」ことに固執しまっている自分がいました。

「譲れない価値観・譲れないしつけ」を疑ってみる

私の説得は徒労に終わり、事態を悪化させただけでした。そして、ちょっと冷静さを取り戻した時に不思議に思ったのは「なぜ子どもを追い詰めてまでありがとうを言わせたいのか」ということです。

いくつかの理由を考えてみました。

・長男が挨拶できない→自分のしつけが悪い、みたいに思われるのがイヤ
・学校でさんざん「挨拶は大事」と言われて&言ってきた(私自身が学校で働いています)
・挨拶なんて簡単なのに、しない&できない長男にイライラする

う~ん、どれもそうかも、と思いながら、大元はそこではない気がしました。なぜかというと、長男が挨拶できないということは、他の場面でもよくあることなのですが

いつもなら「あ~、ちょっと恥ずかしいのね~。」なんて相手に言って、ごめんなさいね、と済ませるところ。なぜ、自分はこの時はここまで「あいさつさせること」に固執してしまったのかというと。

“義父を喜ばせたかった”

これが正解じゃないかな、と思いました。

どういうことかというと、思い返せば自分も子どものころ、来客にきちんと挨拶のできる子どもではありませんでした。家族にだって、「ありがとう」って恥ずかしくて言えなかったことも多かったのです。

本当はうれしいのに「ありがとう」の一言が出ない長男を見て、同じように対応をしていた過去の自分と重ねていたのではないかと思ったのです。

自分が子どものころに、おじいちゃんやおばあちゃんに

「もっと優しくしてあげればよかった」
「もっと喜んであげればよかった」
「もっとありがとうってちゃんと言えばよかった」

そう思って後悔していることを、長男に背負わせようとしていたのかな、と思いました。

挨拶をさせることではなく、挨拶の奥にある気持ちを見つめること

義父にとっては、きっとハルが「ありがとう」って受け取らなくたって、
長男が「おいしい」って言って、その柿を次々にほおばっているだけで、きっと十分に思っていてくださっている。

そして、長男も「ありがとう」の意味を知らないわけじゃなくて、
特別な場面でなく、日常の中で、慣れた人相手になら、自然と「ありがとう」って言えているのです。

大切なのは、ハルが感謝の気持ちをもって、自分から、心から「ありがとう」って言えること。その過程に、当たり前だけど自分の過去を背負わせちゃいけない、そんな風に思いました。

子どもは親の言うとおりではなく親のようになる 

そんなことを思いながら、私は以前読んだ一冊の本のことを思い出していました。
矢野惣一さんの著書「愛の言葉がけ 子どもの人生を一生幸せにする」。以下、引用です。


子どもは親の言う通りにはなりません。親のようになります。

ですから、あなたが見本を示してあげてください。口で命令するのではなく、言って聞かせるのでもなく、目の前でやって見せるのです。

あなたは、お子さんに、どんな人間になってほしいですか?

そういう人間に親のあなたがなって、見せてあげてください。

まずは、自分がどう在りたいか。

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「ありがとうって言うんだよ。」って、無理強いするんじゃなくて、まず自分が心を込めて、ありがとうって言えばいいんだ。
自分が「ありがとう」って感謝の気持ちを相手に伝えているところを、たくさんたくさん、長男に見せよう。

そう思うようになりました。

食事会の後、義父と義母が帰る時に「今日は本当にありがとうございました。」って、心を込めてお伝えしました。

ふと、「ハル、お母さんもう一回ありがとう言うけど、ハルも一緒に言う?」って言ってみました。
そしたら、すんごいちっちゃい声だったけど。
長男も、ちゃんと義父と義母の方を見て「ありがとう。」って言ってました。

長男だって、きっと「ありがとう」ってずっと思っていたんですよね。
でも、「ありがとう」って言葉に出すのが難しい時もあるんだと思います。

「おはよう」「ごめんね」「ありがとう」「おやすみ」

日本にはたくさんの言葉がけがありますが、
子どもに挨拶を大切にしてほしいなら、まずは自分が進んで、そして楽しんで気持ち良い挨拶をしよう、そう思います。

即効性はなくても、きっとそんな私の姿を見てくれることで、自然とハルの中にも「挨拶は気持ちいい」って思いが育っていくんじゃないかな、と思いました。

「子どもにどうなってほしいか」ではなく、「自分がどうありたいか」

それが大切なんだなぁと思ったできごとでした。

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