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公開 2015年12月30日  

虐待は他人事じゃない。私も自分を抑えられなかった。

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我が子についカッとなって怒ってしまうこと、ありませんか?私は最近、子どもは何も悪くないのに平手打ちをしてしまい、「子どもを傷つけてしまった…」とひどく後悔して悲しみを感じました。その時の状況と心境を交えながら、頑張りすぎたあげく子どもに当たってしまう親について、私が思うことをお伝えします。


虐待とは?

「虐待」とは、英語のabuse(濫用)の訳で、相手に対し身体的・心理的に苦痛を与えることをいいます。専門家たちの間では、「不適切な関わり」と訳すのがいいのでは?という考え方もあるようです。

2004年の、虐待により幼い命が奪われた事件をきっかけに活動が始まった、子どもの虐待防止を啓発する「オレンジリボン運動」。事件のあった栃木県小山市のNPO団体によって、2005年から始められています。

最近は特に、虐待による痛ましい事件・事故を耳にする機会も多くなったように感じます。

虐待は他人事?

さてみなさんは、「虐待」はどこか遠い場所で、本当に悲惨な家庭の子どもにだけ起こることだと思っていませんか?あるいは、虐待に見えてしまうほど我が子を怒鳴ってしまうことはあるかもしれないけれど、それはきっと誰にでもあることだろう…と感じるかもしれません。

私も子どもを産むまでは、やはり「虐待」はどこか他人事のような気がしていました。それが子育てが始まって子どもに向き合うようになってからは、我が子を強く怒鳴ってしまう親御さんの気持ちも分かるようになりました。

しかし私は、どんな親御さんでも子どもに怒鳴る時にある程度自分の感情をコントロールできて、「あーあ自分ってダメだな」「虐待みたいに見えてしまうのかな」なんて後悔したりするんだろうな~、などと軽く考えていたのです。

けれどもそんな私が、実際に我が子を自分の感情に任せて叩いてしまったという経験をして、初めてこの考えが間違いだと気がつきました。後になって冷静に考えてみると、その時の私は、何も考えられないぐらいのパニック状態でした…。

私が子どもをぶってしまった時のこと

その日は土曜でした。私は仕事をしているのですが、体調の悪い一週間を無遅刻無欠勤でなんとか乗り越え、平日の朝のすきま時間に夕食の準備をし、金曜の夜は気晴らしに友人と食事に行きました。そこで夜更かしをした翌日だったので眠気はあったものの、気持ち的には元気でした。

夫はもともと土曜出勤だったのに加え、突然の出張になり不在。天気の悪い一週間だったので溜まった洗濯物がたくさんありましたし、平日にできていなかった部屋の掃除。午後には遠方からの来客予定があったので、保育園の運動会で脱臼した箇所のリハビリのため、急いで病院に行きました。

ここまででもかなり大変な半日を過ごしていることを、もっと強く意識したほうがよかったのだと思います。ですがその日の私は、そのまま客人と昼食をとり、友人の娘さんが昼寝しないうちに…と公園にも行きました。

そしてその帰り道のことです。息子は大好きなストライダーにまたがり、車通りの少ない道路を走っていました。いつもならゆっくりと私の近くを走るのに、いいところを見せたかったのでしょうか、いきなり反対方向に走り出し、車道に少し飛び出しました。
両手いっぱいに荷物を持っていた私は、「危ない!」と大きな声で息子を怒鳴りました。息子はシュンとして戻り、再びふらふらとストライダーを漕いでいました。

そこへ、中年の女性数人が自転車でやってきました。息子の脇を通っていきます。息子のストライダーは速度が遅くてふらふらしていました。その人達は脇を通り過ぎながら、「危ないわね、もっと端を走らせなさいよ」と、母親である私に言い捨てました。

そこで、自分の中で何かが溢れてしまったのです。私は友人の前で、息子にきつく当たり始めました。はじめは「降りなさい」と言ったことを覚えています。息子は「いやだ」と言いました。私は「さっき車道にも出たし、まっすぐ走れないからダメ」と言いました。息子は再び「いやだ」と答えます。

ここで私は、どう対応していいか分からなくなりました。今になって考えてみると、その時の私は、通りがかった中年女性の批判を受け入れたくなかったのだと思います。「私は誰にも文句を言われないよう周囲に気を使って子育てをしている」というプライドから、息子にストライダーで道路を走らせた自分の落ち度を、なんとか修正したかったのです。その思いが、息子をストライダーから降ろすことに過剰に執着させたのではないかと思います。

私は息子の頬を叩き、ストライダーを引っ張りました。持っていたカバンを息子のお腹めがけて投げつけ、手に持っていたおもちゃを地面に叩きつけました。友人は私を落ち着かせようとうろたえていました。もちろん息子は泣いていました。

自分を抑えられなかった情けなさと惨めさ

あの日のことを振り返ると、とにかく自分の全てが情けなく、惨めでした。物を乱暴に扱ったり、息子を心理的・身体的に傷つけたりする行為など、一番したくないしやってはいけないことです。それでも、自分の中で溢れた感情を、あの時の私は制御できませんでした。

これまでも、息子に優しくできないことはたびたびありました。けれども、「息子の頬を叩き、彼の大切なものを目の前で投げて悲しませてしまった」という初めての事態に、私は自分が加害者でありながらもショックを受け、うちのめされていました。

「息抜きが苦手な自分」の克服を心がける

私はもともと、息抜きが苦手な人間です。社会人になるまで身近にいた私の母も、家事に仕事にとほとんど休むことがなく、唐突に機嫌が悪くなることでストレスを発散させているような人でした。そんな母を見て育った私は、自分はそうはなりたくないと思いながらも、結局うまくストレスを発散させられないでいることに、また愕然とします。

けれども私は諦めずに、息抜きが上手になりたいと願い続けようと思います。夕飯を考えたくないほど疲れている時はデリバリーを頼むこともできるようになりましたし、気を張った時間が続いたあとは、ストレスを感じとれなくなるほどの限界に達する前に、自分にちょっとだけ無駄遣いを許したり…うまくストレス発散をすることを心がけています。

虐待を見かけたら、どう対応するべきか

数年前、ある母親が子どもを蹴り飛ばす動画がSNSに投稿されたことを、私はよく思い出します。

その動画に対して、「勇気を出して止めに入ればいいのに」といったコメントがついていました。それは、ある意味「母親だけを悪者にする」ことです。もう限界まで頑張っている彼女を責めることは、あまりに酷な対応ではないか当時の私は思ったのです。

もちろん、子どもが傷つけられて良いわけがありません。でも私がもしその場に居合わせたなら、子どもを蹴ってしまっている母親を抱きしめて止めてあげたいと思ったことを、今でも覚えています。

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また、こんなこともありました。私が専業主婦時代によく通っていた児童館に、お子さんにきつくあたる母親がいました。それを見ていた私は、もっとやさしく接してあげたら…と思うこともありましたが、それを口に出して伝えることはできませんでした。

一度、その母親がおむつが足りずに困っていたので、おむつをあげたことがありました。その母親は最初、頑なに断りましたが、私がしつこくおむつを引っ込めなかったので、彼女はひどく恐縮しながらおむつを受け取りました。

これは想像ですが…きっと彼女は、「誰にも頼ってはいけない。この子を自分がしっかり育てなければ!」と考えていた、言いかえれば非常に真面目な母親だったのかもしれません。

まとめ

私はもう二度と感情的に我が子を叩かないよう、苦手な息抜きを頑張ろうと思っています。

もちろん私は、子どもが傷つけられることを肯定するつもりは全くありませんし、虐待はあってはならないことだと思います。自分のしたことを正当化するつもりはありません。

けれどそれでも、1人で必死に頑張ってしまったあげく子どもに手を上げてしまう母親を、簡単に責める気持ちにもなれません。

虐待が疑われる場合は、児童相談所や市区町村の担当窓口に通報することができます。また、自分自身が虐待をしてしまいそう・してしまっているかも。という時の相談もできるようです。

通報は子どもの命を救い、そして同時に虐待を行っている人のことも救うのかもしれない。私はそう考えています。

全国共通の通報・相談窓口はこちら

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