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公開 2015年12月28日  

育児や介護に「束縛されている」と思うのは悪いこと?

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祖母の介護の経験で感じていた辛さを、ある時楽にしてくれたたった1つの考え方があります。育児にも通ずるところがあると思いますので、それをお伝えできればと思います。


目次 祖母は自宅で亡くなりました
ある日、私は怒鳴ってしまった
猛烈に自分を責めてみて、気づいたこと
「束縛されていること」を認めてみる

祖母は自宅で亡くなりました

子育ての話ではありませんが、非常に通ずるところがあると思いますので、介護の話を書かせていただきます。

数年前、祖母が実家で息を引き取りました。

長く糖尿病を患い、入退院を繰り返しながらも、最期は自宅で看取りたいという父の強い希望で、家族で介護をする生活が続きました。

介護の中心は自営業の両親でしたが、私も仕事の都合がつく時は介護をしていました。オムツ替え、入浴、食事等、一通りのことはできるようになったと思います。

ある日、私は怒鳴ってしまった

祖母に強い幻覚と幻聴の症状がある時期がありました。落ちているゴミが虫に見えるというものから、「窓から人が覗いている」と怖がったり、何にも聞こえないのに「あ、またあの人が歌っている。うるさい!」と叫んでいたり。いろんなことを言い出しました。

また、不安が強いからか、夜中になると少しの物音でも「だれ?」と起きてしまい、足腰が悪いにも関わらず庭に出ようとしてしまうこともあったので、家族はその都度、部屋に連れ戻す必要がありました。

そんな状況が続いたある日、「また誰かが見てる」と言う祖母に腹が立ち、私はついに「そんなのいるわけないだろう!」と怒鳴りつけてしまったのです。同時に、自分の予定を調整して介護をすることが、だんだんと苦痛に感じるようにもなってきました。

育児でもよく「自分の子なのに可愛いと思えないんです」「育児が楽しくない」という声を聞きますが、その状況とかなり似ていると思います。

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庭に出る時はいつもこれを履いていました

猛烈に自分を責めてみて、気づいたこと

目の前にいる祖母の介護は、祖母が生きるために必要なことです。その介護に、自分は束縛され、自由を奪われているように感じていました。

しかし本当の問題は、そんな風に祖母と向き合っている自分を責めていることにあるのではないか。ある時ふと、そう思うようになったのです。

なぜ自分を責めてしまうのか。その背景には「家族なんだから、献身的に介護をして当たり前だ。束縛されていると感じるなんて、人として間違っている!」という価値観が横たわっていました。

これを、まずは疑ってみる。その先に辛さの解消の糸口があるかもしれない。
私はそう考えるようになりました。

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祖母の好物はメロンでした

「束縛されていること」を認めてみる

客観的に見て、介護をしている時間。自分は介護から逃げることはできません。つまり、束縛されていると感じること自体は、間違いではないのです。良い悪いという判断は別として、これは事実です。

その事実と向き合わず、「家族なんだから愛するのは当たり前。介護がつらいと思うのはおかしい」と考えるから、現実の住人である自分は押しつぶされそうになってしまうのではないでしょうか。

だから私は「自分は今、祖母の介護に束縛されている」という事実を認めることにしました。

そうすると不思議なことに、それまでよりもずっとゆったりとした気持ちで、余裕を持って祖母と二人でいる「今」に気持ちを置くことができるようになったのです。

育児についても、同じようなことが言えるのではないでしょうか。

この子に振り回されている。この子の育児から逃れられない。そのこと自体はどんなに言葉を選んだとしても、事実です。

そのどうにもならない大変さを否定することは、育児を頑張っている自分自身の否定にもつながってしまう。だからこそ、つらさは増幅していきがちです。

「束縛されていること」を認めてよい。

ちょっと矛盾したように思えますが、この考え方に私はとても救われました。

介護や育児、もしくはその両方のダブルケアをされている方にとって、この考え方が少しでも支えになればと思います。

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