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公開 2016年02月08日  

15年前に出生前診断を受けた私がいま、思うこと

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私は15年前、出生前診断を受けました。羊水検査をして胎児にはダウン症などの染色体異常はないことがわかりました。でも、検査を受けた2年後“自閉症”と診断されました。ここで「この子はいりません」と言っても拒否は出来ませんでした。


“お腹の子どもに障害があると判明したら産むか産まないか“

2013年にスタートした新型出生前診断。

産まない選択をした親を他人が責めることは出来ません。それぞれの事情があるので正しい選択、間違った選択は存在しないと思います。

今日は、『1人でできる子が育つ テキトー母さんのすすめ』の著者で自身がこの検査を受けた立石美津子が自らの経験と思いをお伝えしたいと思います。

安易に受けた

私は今から15年前、2年間の不妊治療を経て38歳で妊娠しました。「やっとママになれる」と喜んでいたとき、不妊治療のクリニックのポスターが目に留まりました。

“高齢出産の方 トリプルマーカーテストを受けませんか”

これからの長い10ヶ月の妊娠期間、悶悶と「お腹の子どもが障がい児だったらどうしよう」と不安を抱えながら過ごしたくはありませんでした。そんな軽い気持ちで受けた検査でした。

採血の結果、渡された用紙に「ダウン症候群の可能性80%」と書かれていました。

当時の検査は今の新型出生前診断と異なり、まず妊婦の血液を採血して確率を出し、その後、精密検査である羊水検査に進むというものでした。医師から紹介状を書いてもらい細かい検査を受けることになりました。

クリニックの帰り道、今まで妊娠がわかってからバラ色に見えていた街並みが全部灰色に見えました。頭がクラクラしてどうやって帰ったか覚えていません。

羊水検査中、医師から叱られた

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紹介状をもらい5日後に羊水検査を受けに行きました。

検査の当日、通されたのは出産間際の妊婦たちがいる部屋でした。陣痛で苦しんでいる人の声も聞こえました。そんな中で周りの妊婦たちと180度状況が違う自分が情けなくなり、ずっと泣いていました。優しい看護師さんが背中をさすってくれ「そんなに泣いていたらお腹の子どもに障るわよ」と慰めてくれました。

でも、医師は厳しくこう私に言いました。

「何をそんなに泣いているんですか!『障がい児だったらいらない』からこの検査を受けるんでしょ?どんな子どもでも産む覚悟ならばこの検査を受けないでしょ。泣いて悩んだって仕方がないでしょ!検査するのを止めますか?」と・・・

この医師は言っていることは当たり前のことで、どんな子どもでも産んで育てるつもりだったら、この検査をそもそも受けることはなかったのです。“産む、産まない”を選択する検査ではなく“産まないための検査”なのです。

テレビの産婦人科医の言葉

テレビを見ていたらこんなことを産婦人科医が言っていました。

「お腹の赤ちゃんに障害があるとわかった場合は出産後の育て方について妊娠中、十分、考えることが出来るようになります」

諸外国ではこのような考え方を持つ妊婦も多いようです。

でも日本では“お腹の子に障害がある”ことが判明すると90%が人工中絶をしているそうです。

つまり“育て方を考える”なんて人は一割にも満たないのです。

私も、そんな中の一人でした。

結果を待つ期間

この検査は羊水に胎児の染色体が浮かぶ妊娠15週以降に行われ、羊水検査の結果は1ヶ月後にわかるというものでした。

日本では母体に危険が及ぶということで21週と6日までしか中絶は認められていません。ですから医師から「検査結果が出て1週間以内に産むか産まないか決めてください」と言われました。20週と言えば妊娠5ヶ月で、胎動も感じている時期です。

ポコポコと鳴る胎動を感じながら結果が出るまで相当悩みました。何を食べても美味しくなく、何を見ても嬉しくなく、頭はこのことで支配され「心ここにあらず」の状態になりました。

母からは「大変な子どもを産んであなたが苦労するのは目に見えている。それから子どもだって『産んでほしくなかった』と思うこともあるのよ、あなたも子どもも幸せになれない。だからダウン症だったら中絶をしなさい」と言われました。

結果判明

さて、検査結果を聞きに行きました。結果は“お腹の子どもは染色体異常ではない”でした。病院に向かう車の中から見た空は灰色でしたが、帰り道はピンク色に輝いて見えました。

嬉しくて一人で回転寿司屋に入りお祝いに何皿も食べました。それからは、ウキウキな幸せな妊娠期間を過ごした後、出産しました。

でも、どうも子どもの様子がおかしいのです。

2歳になっても人に関心を示さず、声もほとんど出さないのです。

そこで小児神経科を受診しました。医師から「お子さんは知的障害を伴う自閉症です。」と言われました。

目の前が真っ白になり、病院の待合室で子どもをバギーに乗せたまま、泣いていました。優しい看護婦さんがやって来て背中をさすってくれました。2年前に羊水検査を受けたときと同じ状況です。

私は看護師に向かって「この子をちっとも可愛いとは思えない!育てられない!こんな子じゃあなかったらよかった!」と言い、泣きつきました。

でも、2年前の私には中絶という選択肢が許されていましたが、もう子どもは胎児ではありません。

目の前にいる2歳の生きている子どもを病院に置き去りにしては帰ることは許されませんでした。
(※息子は食物アレルギーも発症していて体中がアトピーで汚く、“食物アレルギー+自閉症”のダブルパンチで神経が参っていました)

すべての障害が判明しない検査

出生前診断でわかるのは“13トリソミー・18トリソミー・21トリソミー(ダウン症候群)・二分脊椎・特定の遺伝性疾患”などの一部の障害です。

これは星の数ほどある障害の中の一部です。

ですから、この検査で”お腹の子どもには100%障害がありません“ということを証明されたわけではないのです。

視覚障害や聴覚障害、人口の6%を占めるといわれている自閉症などの発達障害はわかりません。これらがないとしても、出産時のトラブルで脳性麻痺、また、生まれてから高熱を出し脳にダメージを受けたり、交通事故にあって重い後遺症が残ることもあります。

ということは…出生前診断を受けるということは “染色体異常など出生前診断でわからない障害児であれば受け入れて育てる決心”も同時にしなくてはなりません。

子どもが生まれた後“自閉症”であると知って、子育てを放棄できません。もし放棄したら虐待していると言われ、殺してしまったら殺人者となるのです。出生前診断のように中絶して命を絶つことは許されないからです。

母親になるってなんだろう

たとえ健康な子どもが生まれたとしても、不登校になったり、非行に走ったり、引き籠ったり予期せぬ出来事が起こります。また自分自身も今後、事故にあったり病気になったり、統合失調症や鬱病などの精神疾患を患うかもしれません。


出産前はまだ正確には親にはなっていなかった自分が、育てているうちに「こういう子は受け入れない。こういう子だったら受け入れる」という“条件付きの愛”にはならなくなりました。育てているうちに自分なりの母性が出てきたからかもしれません。

妊娠中、たとえ検査を受けて選ばれた命であっても、出産後はどんな状況になっても受け入れ育てていく、これが“親になる”ということではないでしょうか。

今の私には、息子の存在が生き甲斐です。

子どもは、母として生きるためのエネルギーになると同時に、私を悩まし、ストレスや疲労の元凶でもありますが、一日でも自分が長生きして子どもを支えてやりたいと今は思っています。

まとめ

「障がい児を育てる勇気や自信がどうしても持てない」
「将来、下の子に障害があることで、上の子の将来、結婚できなくなるかもしれない」
「親亡き後、他の兄弟に大きな負担がかかると思う、障がい児とわかっているお腹の子を産むわけにいかない」

このように悩み苦しみ、産まない選択ができるようになりました。この検査が認められていることはそれ自体を国が容認していることなのですから、産まない選択をした人に事情を知らない他人が非難をしてはならないと思います。

ただ、「簡単にできるから便利」とすぐに検査を受けるのではなく、よく情報を集めて決断をしてほしいと思います。


私自身が出生前診断を受けながらこんなことを言うのはおかしいのですが、当時は障がい児を産み育てるなんて自分の人生設計図の中には全くありませんでした。でも、苦労もあり喜びもありプラスマイナスしたら“プラス”のように思います。

そして、15年前に戻って過去の私に「その検査受けなくてもいいんじゃないの」と言ってやりたい気がします。

皆さんはこのテーマ、どう思われますか?

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