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公開 2016年02月20日  

子どもを褒めることを「苦手」に感じるあなたに、立ち止まって考えてみて欲しいこと

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コップに半分入った水を「まだ半分もある」と思う人と「もう半分しかない」と思う人がいます。70点とってきたとき「70点とれたね」と努力を認める親と「70点しかとれていない」と叱る親がいます。どんな育てられ方をされたかで大人になったときの物の考え方が変わってくるのではないでしょうか。


子どもを褒めるのが得意な人と苦手な人がいます。

子育て本を読んだり、セミナーのはしごをして“子どもは褒めて育てなくてはいけない”と反省し、テクニックとして「いいところに目を向けましょう」「否定的な言い方をしない」「他の子どもと比較しない」と学んでも、長年染みついてしまった考え方の癖はそう簡単には直らないものです。

そこで今日は、『1人でできる子が育つ テキトー母さんのすすめ』の著者の立石美津子が、「思考の癖」についてお話ししたいと思います。

同じ事実でも、人により捉え方は異なる

同じ事実でも人により、その捉え方は大きく異なります。

●コップに半分入った水を見て
  ・半分も入っている
  ・半分しか入っていない

●40歳の誕生日を迎えて
  ・もう、おばさんになってしまった
  ・あと、40年は生きられる、楽しみだ

●90点をとって
  ・満点ではないと嘆く人
  ・90点も取れたと喜ぶ人

●早期がんが見つかって
  ・ああ、もう死ぬんだ。終わりだと思う人
  ・早く見つかってラッキーだったと思う人

●子育てをしていて
  ・子どもが可愛くて毎日が楽しい
  ・「他の子どもと比べてあれが出来ない、これができない」と悩む

同じ状況に置かれたとき、不幸だと感じる人と幸せだと感じる人に分かれます。これはそこにある事実が人の感情を決めるのではなく、“自分の心がそのことをどうとらえるか”で変わってきます。

あなたはどんな種を見つけるのが得意な人ですか?

世の中には“不幸の種を見つけるのが得意な人”と“幸せな種を見つけるのが得意な人”がいるようです。

不幸の種を見つけやすい人は欲しい物を手に入れても、満足することは出来ず「私にはあれがない、まだこれが足りない」とストイックに自分に次の課題を課します。完璧主義で責任感も強く真面目なので一生懸命、努力します。

その結果、たとえそれで成功し周りから評価をされても、心は次を追い求めていますので、成功をしみじみと喜ぶ余裕はなく更に頑張ってしまいます。

90点をとったときの母の言葉

私が小学生の頃、クラスの平均点が80点のテストで、60点をとってしまいました。母は「どうして平均点に行かなかったの」と落胆して悲しい顔をしていました。

私は頑張って次のテストで平均点をこえる90点をとりました。テスト用紙を喜んで持ち帰り見せると「今度は100点をとれるように頑張りなさい」と言われました。

更に努力して100点取りました。すると「これを維持するように努力しようね。2番にならないようにね。落とすんじゃあないよ」と言われました。

「何をやっても次を求めて励ます」そんな母に育てられた私の性格は・・・
・完璧主義
・ストイック
・上昇志向が強い
・責任感が強い
・真面目
になりました。

これで仕事面では成功し「凄いね。立派だね」と他人から評価されることもありますが、「コップに半分も水が入っている」と思える性格ではないので「まだ、これが足りない、あれもしなくてはならない」と自分を奮い立たせ、追い込むので、けっこうしんどい毎日です。

私の考え方は変わらない、でも子どもには同じ考えを引き継いでほしくない

私は、子育てをお題にした講演会に講師としてよく招かれます。そして、こんな質問を受けることが多くあります。

「よく“子どもは褒めて育てなさい”と耳にするけれども、子どもをどうやって褒めたらいいのかわからないのです。褒めるのとても苦手なんです」

多分、その人は自分の親から褒められたり認められる子育てをされてこなかったので体験がないのです。だから、自分が親になったとき我が子をどうやって褒めたらいいのかわからなないのだと思います。

更に子育てしている自分に対しても完璧母さんを目指して「もっといいママにならないといけない」「他のママに比べて、あれが出来ていない、これができていない」とダメ出しをしてしまうので「子育てが楽しい」とは思えないのです。

私たちは、知らず知らずのうちに、自分が小さい頃にされた子育てのやり方に影響を受けていることがあります。

思考の癖を変えるのは難しい

ではどうすればいいのでしょうか。

自己啓発本を読んでも、セミナーのハシゴをしても長きに渡って沁み付いてしまったマイナス思考はなかなか直らないものです。さらに勉強して努力してもそうはなれない自分をますます追い込んでしまうことになります。

私の場合は“優秀な子どもに育てて、能力を伸ばしていい学校に入れて・・・それが子どもの幸せである”と思い込んでいました。そしてそれが母親自身の幸せにもつながると信じていました。ですから、息子に生まれた直後から毎日、20冊近くの絵本の読み聞かせをして、漢字カードを見せていました。

けれども、息子は2歳のとき“知的障害がある自閉症”と診断されました。その時から「あれこれ期待しても無駄だ」と思うようになり、いい意味でさじを投げてしまいました。他の子と比較しようがなく、結果的には“子どものあるがまま”を認めることが出来るようになりました。

例えば周りの子どもが2歳でオムツが取れていても「まあ、息子は元々ペースが遅いのだから仕方がない、小学校に入学する頃に取れればラッキーだな」くらい思うようになりました。

失ってみてわかるものもある

縁起でもありませんが子どもが大病したり、事故にあったり、誘拐されたりすると「生きて帰ってきてくれさえすればいい」と思うものです。

食べ物の好き嫌いが多いだとか、スーパーで地べた泣きしてお菓子を欲しがって困るだとか、落ち着きがなくて困るなどは、「なんてちっぽけな鼻くそのようなことだったんだろう。こんなことで悩んでいた自分は贅沢だった」とシミジミ思います。

でも、このようなショックな出来事は誰の身にも起こる訳ではありません。ですから考え方を180度変えるなんてことはなかなか出来ないのです。

赤ちゃんが生まれた時のアルバムをめくろう

赤ちゃんを産んだ頃のアルバムを取り出してみてください。

その頃、抱いた感情をじっくりと思い出してください。生まれる前は「男の子でも女の子でもどちらでもよい。五体満足であれさえすればそれでいい」と思い「指はあるかな、目は見えているかな」と思ったはずです。子どもが寝ていると口元に手をかざし「息はしているかな」と心配した日々もあったことでしょう。

でも、段々と自分が親からされた子育てが顔を出してきて“立つのが遅い早い“”言葉が早い遅い“勉強が出来る出来ない“と他の子どもや兄弟姉妹と比較してあれこれ望んでしまうのです。

一回リセットしましょう。

子どもには幸せになってほしい

完璧を求める子育てをしていると、いつしか子どもの心には「白か黒か曖昧は認めない」「常に人より優れていなくてはならない」という価値観が沁み付いてしまいます。ちょっとでも不足すると自己否定。自己肯定感が低く、何を手に入れても満足できない。

出産した時は「この子には幸せになってほしい」と願ったはずです。

親なら誰しも我が子には「幸せになってほしい」と願います。それには“幸せを感じる感度の高い脳”をつくってあげなくてはなりません。

代々、受け継がれてしまった“子育ての負の連鎖”をこの辺りで断ち切りませんか?

自分自身に対しても「私は子どもを生んで育てているだけで立派」「私は毎日、御飯作っているだけで素敵」子どもに対しても「元気に生きているだけでいい」そう思ってみませんか。

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