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公開 2016年06月06日  

「お母さんのおなかに宿れた、それだけでとても喜んでいる。」流産した私を救ってくれた言葉

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わたくし事ですが、妊娠3ヶ月でけいりゅう流産を経験しました。高齢ゆえ「これが最後」と覚悟して臨んだ妊娠だったので、ショックも大きく打ちのめされました。そんな経験から私がどう、気持ちを切り替えたのか、もしかしたら同じ痛みを抱える誰かの1歩になるかもしれない。そう思いお話させていただきます。


「赤ちゃんの心音が確認できません」

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妊婦検診に行ったら、先生からこう言われました。

「赤ちゃんの心音が確認できません。」


医学的には、8~15%の確率で起こると言われている流産。
 
私自身初めての経験ではなかったし、

けっして珍しいことでもないと頭では分かっていますが、

それでも「赤ちゃんの心音が確認できません」

そう告げられた時は、

まるで誰か他の人の話を聞いているかのように、

意識がすうっと遠くなるのを感じました。
 

誰のせいでもないし、どうにか出来ることではなかったというのも分かっている。

 
だけど、赤ちゃんが育っていないことが分かってから、

頑張りたくても頑張れない。

前向きになろうと思っても布団から起き上がれない。

ひたすらスマホアプリで漫画を読みふけて、

現実と向き合えない日々を過ごしました。

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流産でなにが辛いのか。

それは、「描いていた未来が奪われること」だと思うんです。
 

私にも、描いた未来がありました。 

お互いに高齢(43歳)ゆえ、自然に授かっただけでも奇跡と言われた妊娠。

私自身、これが最後と覚悟があった。


新しい生命とともに作り上げていく、家族のかたち。

本当に楽しみでした。


でも、その覚悟ごと粉々に砕かれて

心がぽきって音を立てて、折れてしまったんです。
 

そんな私を救ってくれた言葉があります

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そんな時に、ある言葉に出逢いました。

それは、胎内記憶で有名な、池川明先生の言葉。

「赤ちゃんはみんな、メッセージを持ってやって来る。
 
たとえこの世に生まれ出なかったとしても、お母さんのおなかに宿れた、それだけでとても喜んでいる。
 
中には、生まれてこないことを、自分で決めてきている赤ちゃんもいる。
 
だから例え、生まれてこなかったとしても、生んであげられなかったと、お母さんが自分を責める必要もなければ、生まれて来れなかったことを、赤ちゃん自身も悔やんでいない。
 
意味のない命はひとつもなくて、お空に還る赤ちゃんも、残される人に大きなプレゼントを残していってくれる」
 

この言葉を知った時、

それまでグレーな世界をなんとか手探りで歩いてきたけれど、

目の前の霧がすうっと晴れたような、そんな安堵感を覚えました。

そして私の中で、ぱちん!となにかが切り替わった瞬間になりました。

わたしは、赤ちゃんからちゃんとメッセージを受け取れた

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もちろんこの池川先生の話を信じる人もいれば、

「そんな非科学的な話」と、信じられない人もいると思います。

 
人それぞれみな価値観が違うので、

いろんな意見や捉え方があるのは当然ですし、どんな捉え方をしてもいい。
 
ただ大切なのは「正しさ」じゃない。

その後、前を向いて歩いていくこと。
 

そのために、起きたことを財産に変えられるような、

自分にとって一番「都合のいい」捉え方を選べばいい。

そんな風に私は思います。


私は、おなかの子と過ごした時間は短かったけれども、

その間とてもしあわせな夢を見させてもらいました。
 
また、その子がお空に還ってしまったことで、

気付かせてもらったこともたくさんあった。
 

池川先生のおっしゃるように、

赤ちゃんは命がけでお母さんにメッセージを伝えにやってくるのだとしたら、

私は「そのメッセージを受け取った」。

 
だとしたら、その受け取ったメッセージを実際に行動に移したり、

自分のしあわせのために活かすことが、

「母親」として私が出来ることだと、そんな風に思えたんです。

あなたの痛みは、あなただけのもの

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例えおなじ流産でも、

人それぞれ過程も違えば環境も違う、

痛みの大きさも違います。
 

「分かる」なんて軽々しいことは私には言えないし、

誰のどんな痛みも、その人だけのもの。

他の人が代わりに担えるものではないと思っています。
 

それでも私のこの経験が、

誰かの一歩を踏み出す勇気になれば。

そんな想いを込めてシェアさせていただきました。 
 

あなたの明日が、どうか光に満ちたものであるように願っています。

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