フジテレビのドキュメンタリー番組『ザ・ノンフィクション』への出演を皮切りに、“カリスマ婚活アドバイザー”として脚光を浴びている植草美幸さん。「結婚したい」と願う男女を、厳しくも愛ある婚活アドバイスでサポートする姿が視聴者の目を釘付けにし、一時はXで「結婚相談所」がトレンド入りしました。
植草さんの婚活コースは、成婚率約80%。その婚活ノウハウが数多くのメディアで取り上げられていますが、植草さん自身はどのようなキャリアを歩み、カリスマと呼ばれるようになったのでしょうか?「結婚相談所マリーミー」を設立した理由や、婚活アドバイザーという仕事への想いを深掘りします。
「ビジネスにしてみるのもいいかもしれない」
——植草さんは以前アパレル関連のお仕事をされていたそうですが、なぜ、結婚相談所を設立したのですか。
私は1995年に、アパレル業界に特化した人材派遣会社を立ち上げ、長らく百貨店でのレディースファッションブランドの店舗運営や人材派遣業に力を入れてきました。
それが2008年のリーマンショックで、百貨店の売上が非常に落ちたんですね。高価なブランドファッションより、安くて機能的な服が売れる時代になったのです。
1件、2件、3件……と店舗を閉鎖せざるを得ない中で、ブランドの店舗ではたらく約150人の従業員たちの雇用を守らなければなりませんでした。そのころ、たまたま事務員と人材派遣コーディネーターの人手が足りず募集したところ、約200人の男性から応募があったんです。皆さん高学歴で、職歴も申し分ない方たちでした。リーマンショックによるリストラが背景にありました。
『ザ・ノンフィクション』では、交際経験ゼロの20代男性や実家暮らしの30代女性の婚活をサポートする植草さんが映し出され話題に
「いよいよ本当の不景気だ」と思い、経営再建のために新たな事業を展開することに決めました。そこで社内のメンバー3人に、「事業のアイデアをそれぞれ考えてきてほしい」と伝えたんですね。挙がってきた案は4つ。保育園、高齢者向けの介護施設、結婚相談所、パーソナルスタイリストでした。
すべてリサーチすると、保育園と介護施設は建設コストと社員の資格取得がハードルになり、今すぐには難しいと判断。パーソナルスタイリストは、会社を立て直せるほどの規模感ではなく断念しました。
私のキャパシティや従業員数も考慮した上で、「これなら」と考えたのが結婚相談所だったのです。
——なぜ、「結婚相談所」がアイデアとして挙がったのでしょうか。
社員の一人が、ある私の話を覚えていてくれたのです。
私は高校生のころから、「この子とこの子、結婚したらいいのに」と身近な友人・知人の仲人(なこうど)をしていたんですね。もちろん高校生同士は結婚できませんが、高校・大学を卒業すると同時に結婚したカップルもいますし、アパレルの会社を立ち上げてからは従業員同士の仲人を務めたりして、気が付くと数十組が成婚していました。結婚相談というほど本格的ではないですし、ボランティアのようなものでした。
ある時、私が一年に何度も結婚式に呼ばれるので、社員に「植草さん、どうしてそんなに結婚式に呼ばれるんですか?」と聞かれ、上記の経緯を話したのです。
そのことを社員が覚えていて、「結婚相談所というのが実際にあるくらいなので、仲人もきっと事業になります。やってみたらよいのでは?」と。私も、「そうだなぁ、ビジネスにしてみるのもいいかもしれない」と思いました。
結婚相談所マリーミーのある渋谷区神宮前
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菓子折り持参で「新参者です」と挨拶回り
——そうして、2009年に別事業でマリーミーを立ち上げられたのですね。立ち上げ時、大変なことはありましたか?
最初はアパレル(に特化した人材派遣会社)と同時進行でしたので、マリーミーは私一人で立ち上げました。だから、相談相手は誰もいません。そこで、先輩方に教えを乞うために、個人で結婚相談所を運営されている仲人の先生方を訪ねて回りました。菓子折り持参で「これからこの業界に参入する新参者です」と、一日に何軒も何軒も。20年、30年と仲人業をされてきた方が多かったですね。
——その後、どうやってマリーミーを成長させてこられたのですか。
先生方に話を聞いて分かったのは、まず私がやるべきは「集客」だということ。名の知れない人に「自分の人生を預けよう」と思う人はいませんから、多くの人はCMで有名な大手結婚相談所か、口コミで評判の良いところを選びます。
「自分の力で集客をしなくては」と、まずは身近な従業員の結婚を無償でサポートして実績をつくったり、100人以上が集まるセミナー会場へ出向いて婚活セミナーをやらせてもらったりしましたね。1人か2人、話を聞いてくれればいい、という思いで。
人が集まる場所へ出向き、婚活セミナーを開いた
そのうちに、「きちんとサポートしてくれる」と評判が広まっていきました。
——具体的に、どのような点が評判になったのですか。
たとえば35歳の女性なら、「これまで結婚できなかった理由の、真実を教えてくれる。その真実をどう変えていけば結婚しやすくなるのか?を教えてくれるよ」と。というのも、結婚できない女性には夢見がちな人が多いんですね。そうした女性には結婚生活をイメージできるよう具体的なアドバイスをしています。お相手とのコミュニケーションの取り方や外見の磨き方は、人材派遣業で培ったレッスン経験を応用しました。皆さん外見も話し方も、別人になります。
立ち上げから10年ほど経ったころ、結婚相談所の売上がアパレルを超えたんですね。そのタイミングでアパレル関連の事業をすべてクローズし、結婚相談所一本に絞ることにしたのです。
——それは、植草さんの中で婚活アドバイザーの仕事が楽しくなってきていた、という理由もあるのでしょうか。
楽しさで仕事を選ぶ、という発想はなかったですね。当時は、従業員のお給料を払えるか?オフィスの家賃を払えるか?ということに必死でしたし、むしろ私はアパレルの人間として自分がお洒落をしたり、人を綺麗にしたりするのが好きですから、楽しさで選ぶならそちらを続けていたほうが良かったのです。
一方で、人材派遣業では、企業からの「何月何日までに販売員を20人派遣してほしい」という依頼に対して相応のスタッフを送り出すといった「企業と人」をつなぐ仕事をしていたので、それがたった一人の「人と人」になったとしても、規模が小さくなるだけで、同じように喜びを感じられると思いました。私が仕事で重視するのは、楽しさより喜びかもしれません。