「大人になりたい」から乃木坂46を卒業。生駒里奈が見つけた「幸せな人生」を送るための自分ルール

2018年にアイドルグループ「乃木坂46」を卒業した生駒里奈さん。5曲連続でのセンターポジション抜擢は、今でもファンの間で語り草になっています。個人での活動も今年で6年目に突入し、俳優として確固たる地位を築いています。これまでは流れに身をゆだねてきた生駒さんですが、このごろは取り巻く環境が少しずつ変化しているのだとか。はたらき方、後輩との関係、将来の夢……俳優・生駒里奈の“現在地”を伺いました。

もっと大人になりたい……。乃木坂46時代に抱えていた焦り

──乃木坂46卒業直後のインタビュー記事では「もっと大人になって成長したい」とおっしゃっていました。当時は、ご自身の現在の姿をイメージできていましたか?

卒業はちょうど5年ほど前の話なので、個人で活動するようになって今年で6年目ということになりますね。6年と言うと、小学1年生が中学1年生に成長するほどの時間の流れです。6、7才の子どもが12才の自分の姿の想像がつかないように、当時私も将来のビジョンはまったく見えていませんでした。

「大人になりたい」と言ったのは、社会性を身につけたかったからです。乃木坂46時代は、プライベートのことはなんでも親に任せきり。一般社会で常識とされていることにも疎かったくらい。ただ年を重ねるのではなく“そっち”の方でもちゃんと大人にならなきゃ、という気持ちが強かったです。

──一般の人たちと自分を比較して、焦りを感じていた?

そういう感覚がありましたね。人格形成にも関わるような大事な期間を仕事に費やしていたので、自立のためのステップアップが充分にできていないと感じていたんです。卒業するまでは、「ちゃんと大人になれるかな……」という不安をずっと抱えていました。もちろん、これはあくまでも私の話です。中には、ちゃんと自立して芸能活動をしているアイドルもいます。

──その「大人になりたい」という気持ちが、乃木坂46卒業の後押しになったのでしょうか?

はい、それが卒業を決めた理由の一つです。グループを離れることに迷いはありませんでした。いつかは辞めなくてはいけない日がくると思っていました。

漠然とした不安はずっとつきまとっていて、先々のことを考えて貯金するようにしていました(笑)。けっこう堅実なんです。

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アイドルの生駒里奈から、俳優の生駒里奈へ

──何か大きな目標があって卒業した、というわけではなかったんですね。

私、仕事で目標を立てても、達成できないことが多くて。「この舞台に出たい!」「〇〇の賞をとりたい!」と強く願っても、ことごとく残念な結果に終わる。なぜか、退けちゃうんですよね。

逆に、自信がなくて完全に落とされると思っていたオーディションに受かったりする。なので、私は大きな目標を持たずに、目の前の仕事に一生懸命向き合っていたほうが性に合っているのかもしれません。

成り行き任せだと思われるかもしれませんが、目標に向かって突き進むことだけが人生じゃないと思うんです。よく「目標を持て、大志を抱け」と言いますが、それは望みを叶えることができた一部の人たちの言い分なのでは?なんて思ってしまったり。私はちょっとひねくれているところもあるので、素直に受けいれることができないのかもしれません。

──目標を達成することが仕事のモチベーションになっている人も多いと思いますが、生駒さんはどのようにしてモチベーションを維持しているのでしょうか。

やはり、お客さんやファンの方々からの応援がモチベーションアップにつながりますね。舞台の仕事は、観客の反応がコール・アンド・レスポンスで返ってくるので特にやりがいを感じます。観客席からどよめきや拍手が起こると、このために生きているなあって。

漫画やアニメからも元気をもらえます。私は乃木坂時代、オタクキャラで通していましたが、じつは個人で活動しはじめてしばらくの間は「オタ活」から距離を置いていたんです。なんだか、乃木坂時代を引きずってしまいそうで、コレクションも処分して。すべてをリセットしたかった。仕事とプライベートを切り離して考えられるようになったのは、ここ数年のこと。オタ活も本格的に再開して、楽しい時間を過ごしています。

──やはり、アイドル業と俳優業とでは勝手がちがうものですか?

アイドルは「自分」のキャラクターで勝負しなくてはいけないですよね。でも、私はそれがあまり得意ではなくて……、本当によくやってこれたなぁと思います(笑)。俳優として舞台に立っているときは、与えられた役の仮面をかぶっているような感覚。「自分」を出さなくていいから、楽なんです。どこか、生駒里奈個人としての責任から解放されるというか。

──何がきっかけで、俳優業の魅力に目覚めたんですか?

2017年に上演された「モマの火星探検記」がターニングポイントですかね。劇団・少年社中が手がけていて、これが私の初主演舞台になりました。乃木坂46卒業後も少年社中の舞台に度々出演することになり、次第に俳優としての自覚が芽生えていきました。もう乃木坂46の生駒里奈ではないのだと、けじめをつけるきっかけにもなりました。

メディアに出ると「元乃木坂46」という肩書きが付くことも少なくありませんが、そこにしがらみは感じていません。在籍していたことは紛れもない事実だし、乃木坂46の一員としてがむしゃらになって活動に打ちこんできたからこそ、今の私があると思っています。