SNS等で、冒頭の写真を目にした方もいらっしゃるかもしれません。水着姿の彼女の右腹部には、袋のようなものがついています。この袋はパウチと呼ばれ、大腸がんなどの病気や事故でストーマ(人工肛門・人工膀胱)を造設した方の排泄物を受け取る役目を担っています。そして、ストーマを造設した方はオストメイトと呼ばれています。
彼女の名前は、エマ・大辻・ピックルスさん。エマさんは16歳のときに難病を患い、41歳でストーマを造設、オストメイトになりました。2020年に自ら服を脱ぎ、オストメイトであることを公表。NHKのドキュメンタリーに取り上げられたことをきっかけに、日本で最初のオストメイトモデルとして活躍されています。医師も兼務しているエマさんのはたらき方を紐解くと、そこには彼女の生き方が詰まっていました。
負けず嫌いでシャイな性格。弁護士を目指していた高校生のときに異変が
現在のエマさんは、医師でありながらオストメイトモデルとして活躍されている「はたらく女性」。オストメイトモデルは、一般的な“ モデル ”の仕事とは異なり、オスメイトたちが使う商品PRの撮影や、オストメイトについての講演などが主な仕事です。
イギリス人の父と、日本人の母のもとに生まれ、3歳で日本にやってきたエマさん。幼いころは、負けず嫌いな性格だったそう。
「女性は結婚したら専業主婦になるのが一般的だった時代、私の母は「はたらく女性」で、自立している姿に憧れをもっていました。だから、母にとって『自慢の娘になりたい』という気持ちがすごく強くて、子ども心にいつも『褒められたい』と思っていた気がします」
また、子どものときはシャイな性格でもあったそうです。
「人前に立つことは苦ではありませんでしたが、特別好きだという気持ちもなくて。ただ、クラスのみんなや先生からお願いされれば、校歌隊の指揮者をしたり、委員会の代表を務めて人前でスピーチをしたりしていました」
「イギリスの血が入っており、見た目が日本人とは違うので『エマならできるだろう』と求められやすかったのかもしれません」と話します。その後、中学生のときにターニングポイントが訪れました。
「音楽に力をいれている中学校で、音楽の歌唱試験はクラス全員の前で1人ずつ歌を歌わなければならなかったんですよ。成績に関わるから、恥ずかしいなんて言っていられないのですが、周りのクラスメイトたちが『緊張する』と言っているのを聞いて、『そういえば私は、人前で歌っていても緊張しないな』ということに気が付ついて。それ以来、人前に立つことがだんだんと好きなりましたね」
小学校から大学まで一気通貫して進学できる私立学校に通っていたエマさんですが、弁護士になるため外部の大学に進学することに決めました。
「幼いときから母に、『女性一人でも生きていけるように、資格をとって弁護士になりなさい』と言われてきました。女性がはたらくことが一般的ではない世の中で、手に職をつけてほしいとの思いからだったと思います。私は、素直に『そうか、弁護士になろう』と受け止めていましたね。
そう思えたのも、きっと母が、私は理系ではなく文系だと分かっていて、私が好きだと思う方向に導いてくれていたから。もし、『医者になれ』と言われていたら反発していたかもしれません(笑)。母と一緒に法廷もののドラマもたくさん見ていたので、私にとって弁護士という選択肢は自然な成り行きでした」
ドラマをきっかけに法医学という学問に惹かれ、法医学を学べる慶応義塾大学を第一志望に決めたエマさん。大学受験に向け、1日3時間睡眠で勉強漬けの毎日を過ごしていました。その矢先、16歳になった彼女を病魔が襲います。
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優等生から、劣等生へ。原因不明の病に翻弄された
「16歳ごろから、食事をするとお腹が膨らんで、なかなか元に戻らなくなってしまって。ただ、夜眠ると元に戻るんですよ。だから朝学校に行くときは問題ないのですが、昼食を食べた後にお腹がパンパンに膨らんでしまって、帰りはウエストのボタンを外して帰っていました」
しかし当時は、「食事をしたからお腹が膨らんだだけ」と思っており、病気だという認識はありませんでした。話したことはないけれど、きっと周りの友人たちも食事をするとこんなふうにお腹が膨らむのだろう、と思っていたそう。
それ以外に大きな体調の変化はなく、大学受験を迎えて、無事に第一志望だった慶応義塾大学に合格しました。
「法医学を活かして医療関連の訴訟をする弁護士になりたいと思っていたのですが、勉強を進めるにつれ、どうしても医学の知識も必要だと感じ始めて。
そこで4年生のときに、文系からでも編入できる医学部を探し、そのうちの1つだった鹿児島大学への編入試験を受けることを決めました。10人の枠に対して250人が受験していたので、ダメもとで……と思っていたところ、見事合格!宝くじに当たったと思うくらいうれしかったです」
ところが、医学部生になったエマさんは、これまでと異なる分野の勉強になかなか追いつけず、だんだんと劣等生に。追試、追々試でなんとか留年を免れる日々。大学受験、医学部受験と大きな山場を乗り越えたことで生まれた「優等生の自分」という自負が砕かれていきました。
さらに、追い打ちをかけるように26歳のときに病状が悪化します。
「医学部生のときもお腹が膨らむ症状は変わらず、食べると膨らんでしまうので1日1食生活をしていました。周りの友人たちからは『エマはかなりストイックなダイエットをしているんだね』と言われたことがあります。
発症してから10年が経ったと思われる26歳のとき、試験前に徹夜をしていたら経験したことのない腹痛に襲われ、すぐに救急車で搬送されました。医学の知識もついていたので『自分の体に何かが起こっている』と感じたのですが、検査をしても何も見当たらず、診断がつきませんでした」
以来、検査入院も含めて20回以上の入退院を繰り返す生活が始まりました。ありとあらゆる検査を受けるも、原因不明。当時のことを振り返り、苦しい時期だったと話します。
「目に見える原因がないために診断してもらえず、『ストレスです』『あなたは心が弱いからですね』と言われたこともありました。
原因が分からない不調を抱えたままでは勉強との両立は難しく、食事を摂っていないせいで、長時間立ちっぱなしの実習授業では途中で倒れてしまうこともよくありました。周りからは、サボっている人と思われてしまうのですが、病名がないので弁明することもできない……。
せっかく編入までしたのにと、悔しい思いをすると同時に『もしかしたら、ほんとうに私は心が弱いのかもしれない』とも思うようになりました」