日本初。人口肛門を露わにした「水着オストメイトモデル」とは。エマさんが語る。

走りを止めて立ち止まったことで得た、はたらきがい

浪人しながらもなんとか医師国家試験に合格し、医師になったエマさん。弁護士ではなく医師としてのキャリアを歩み始めますが、病気もあり思うように研修ができない日が続きます。医師であるにもかかわらず、知識を生かせないことで少しずつ自身の存在価値を見失っていきました。

「私は、人間と動物の違いは因果関係を追求するかどうかだと思っていて。人間は原因や理由があれば耐えられるし、乗り越えられる。だけど当時の私は、原因も理由も分からない。

鬱々とした日々の中、心ない声からうつ病になってしまったんです。この期間は、そうですね……人生で初めて立ち止まった時間、かもしれません。それまで常に目標に向かって進んできていて、たとえば大学受験もそうですし、医学部への編入も、国家試験もそう。1つの目標を達成すれば、また次の目標に向かって走り続け、今思うと生き急いでいたのかもしれないです。だからこそ、自分にとっての幸せは何か、何をしたいのか、改めて自分を見つめ直していました」

体調不良や入退院の関係から医師としてのキャリアを一度中断し、フリーランスで保険金請求の際に必要となる鑑定書を書く仕事を始めます。

「保険会社から依頼をもらい、たとえば、傷害事故に遭われた方の資料を読み解き、ほんとうに事故なのか、事件性はないのかを見極め、医学的な観点と法律的な観点から鑑定書を書く、という仕事です。

なぜこの傷害事故が起こったのか、から筋道を立てて考えることは自分の性に合っていましたし、何よりこれまでインプットしてきた医学と法律、両方の知識を社会に還元できたことがうれしかったですね」

この仕事をきっかけに学んできたことのアウトプットが増え、精神的にも少しずつ回復に向かっていったエマさん。時期を同じくして、息子さんを出産したことも、生きる責任が湧いてきたと話します。

「息子が生きるための大きな活力になったことは間違いないですね。私がこの子を育てなければならないという一種の義務感が、苦しかった時期の支えになっていました」

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ようやく診断がつき、オストメイトになる決断をした

そして2016年。38歳のとき、ついにエマさんに診断がつきました。慢性偽性腸閉塞症、通称 CIPO(シーポ)と呼ばれる難病だったのです。20年以上かかり、ようやく診断がついた瞬間にエマさんは何を感じたのでしょうか。

「『勝った』と思いました。診断がつくまでいろいろなことがあって、それでも私は粘って生きてきたぞって。

同時に、『もしかしたら私は、自分を救うために医者になったのかもしれない』とも感じましたね。診断をつけてくれた先生はもちろん、ここまで生き延びてこられたのは、多くの医療従事者の方々のおかげ。ラッキーに恵まれていました」

診断がついた一方、CIPOには明確な治療法がありませんでした。しかし、そんな中でも、エマさんは膨張してしまった胃の8割を切除。生きるための最終手段としてストーマの造設を担当医から提案されました。

「提案されたとき、先生から『大辻さん、これでトンカツが食べられるようになるよ』と言われたんです。残っている2割の胃に負担をかけないために、油ものなどを割けていた私にとっては朗報でした(笑)。

ストーマの造設は体型が大きく変化してしまうので、提案を受け入れ難い患者さんも多いのですが、ストーマ造設で喜んだ私は、珍しいオストメイトだと思いますね」

ですが、そんなふうに思っていたエマさんも手術が終わり、自分の腹部に目を向けたとき、思わず立ち眩みがしたそう。そこには、ソーセージのような剝き出しの腸が横たわっていました。ここから、オストメイトとしての生活が始まったのです。

「ストーマは腸がむき出しになっており、肛門と違って筋肉がありません。そのため、排泄物をせき止められず、それらを受け止めるパウチを24時間装着しています。パウチは1日〜数日程度で取り替えるのですが、最初はこの取り替え作業のコツが掴めず、何度か排泄物を漏らしてしまったこともあります。

また、日本で流通しているのは透明なパウチなので、24時間自分の排泄物を直視し続ける生活に。医師として、ストーマの造設は治療の一環だと分かっている私ですらも、少しずつ、だけど確実に自尊心が紙やすりで削られていく感覚を味わいました」