料理人が集う居酒屋で「セルフ修業」の日々
居酒屋のコンセプトは「自分たちが本気で行きたい店」。2人のフードサイコパスがこだわり抜いたお店は、すぐに繁盛店になり、そのうちに近隣の同業者が集まるお店となりました。舌の肥えた客が増えたことで、二人のモチベーションは一層刺激されます。
「僕らの性格として、たとえばイタリアンのシェフに中途半端なパスタを出すことはできないんです。本職の人を納得させるためにはそのジャンルのマナーに沿った『正しい料理』じゃなければいけない。なので、彼らを満足させるためにその分野の知識を得て、料理を学ぶようにしました。そうやって自分たちを追い詰めて、セルフ修業していましたね」
いろいろなジャンルの料理人が来れば来るほど、料理の知識とレパートリーが増えていく。それは、イナダさんにとってアドレナリンが溢れ出る環境でした。
「レシピや技術という自分のコレクションが増えていく感覚なんです。カードゲームって、手持ちのカード多ければ多いほど最強デッキが組めるじゃないですか。私はコレクターのようにカードが増えていくことに喜びを感じるんです。だから、すごく楽しかった」
どんな料理人にも認められる料理を出そうと研究しているうちに、オールジャンルに対応できる腕と実力がつきました。その味はさらにお客さまからの評判を呼び、2店舗目、3店舗目とお店は拡大していきます。開業当初「ちょっと手伝うつもり」だったイナダさんは、いつの間にか主力の料理人に成長していました。
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「知識ゼロ」からシェフがいなくなったカレー店を引き継ぐ
3店舗目にエスニック系の居酒屋がオープンした直後、イナダさんは知り合いから川崎にあるテイクアウト専門のカレー屋のコンサルティングを依頼されました。これが、カレーと向き合うきっかけとなります。
その店は、シェフが毎日熱心にはたらいていて、お昼になれば行列もできるのに、利益が上がらないのが課題でした。それまでインドカレーをつくったことがなかったイナダさんは、味ではなく調理の効率を上げることを目指し、料理の工程を改善しようと考えました。恐らく職人気質だったシェフは、それが耐えられなかったのでしょう。ある日、突然姿を現さなくなり、そのまま退職してしまいます。
困り果てた店舗のオーナーから「店をやってくれないか」と頼まれたイナダさんは、カレーに精通していなかったこともありあっさりと断りました。そこで折れずに粘ったオーナーが口にした「好きにやってくれていいんです」という言葉に、レシピコレクターの心が動きます。
「カレーの知識はほぼゼロに近い状況でした。だから、これはゼロから研究する許可が出たということだなと(笑)」
店には、辞めたシェフが残していった冷凍カレーとスパイスがありました。店を再開するなら、まずそのカレーを再現しなければいけません。イナダさんは、店にこもってカレーづくりに没頭しました。その様子を見にきた友人からは「ずっとニヤニヤしていて、怖かった」と言われるほどの熱中ぶり。
およそ1カ月かけてカレーを完成させて店を再開すると、評判は上々。店が入るオフィスビルのIT企業ではたらくインド人エンジニアもよく買いに来るようになりました。そんなある日、ムンバイ出身のお客さまから「南インドのカレーに似ている」と言われたそうです。
「本場の味は意識せず、日本人の舌に合わせたレシピを考えたのですが、それが偶然南インド風になったんです」
南インド風のカレーができあがったそのお店の名前は「エリックカレー」。店を去ったシェフが自分の師匠の名前からとった店名でした。