マニアを惹きつける手法は知っている
2011年当時、都内に南インド料理を出す店は数軒しかありませんでした。イナダさんは、そこにポテンシャルを見出していました。
「ニッチなお店なのは誰の目にも明らかですよね。ニッチなものを売るには、広範囲からマニアを集めるしかありません。マニアの人たちは熱量が高いから、彼らが認めてくれればSNSやレビューサイトにも好意的にプッシュしてくれるだろうと期待しました」
エリックサウスの存在を、マニアにどう届けるか。イナダさんは、マニアの琴線に触れるような情報をSNSで発信し始めました。それは、難しいことではありませんでした。なぜならイナダさん自身がマニアだから。自分の心が動くようなことを投稿すればいいのです。
次第に遠方に住むマニアが興味津々で訪ねてくるようになりました。その時に期待外れだと思われたら、辛辣な批判を浴びるため料理のクオリティには人一倍気を遣いました。岐阜の料理人が集まる店で厨房に立っていた時と同じ緊張感でしたが、不安はありませんでした。
「自分もマニアだから、マニアのツボはわかるんです。自分が食べたいもの、自分が好きなものを出せば良いと思っていました」
日が経つにつれて、レビューサイトに高評価が掲載され始めました。そこには、一般客が読んでも理解が追いつかないような難解な言葉が並んでいます。それこそ、イナダさんが求めたものでした。
「レビューに暗号文みたいな謎のコメントが並んでいて、そこに高得点がついている。その状態になると、マニアじゃない人がネガティブなコメントを気軽に書けなくなるんです。たとえ、口に合わなかったとしても自分が分かってないのかなって思うでしょう。早くこの状態になるように、戦略的に考えていました」
マニアはマニアを惹きつけます。エリックサウスは少しずつその名前を知られるようになり、やがて本格的な南インド料理を出す店の一つとしての地位を確立しました。
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新時代のフードサイコパスの楽園をつくる
エリックサウスは現在11店舗まで増えました。書籍を出し、セブンイレブンとコラボし、コロナ禍には通信販売「おうちdeエリックサウス」もスタート。2011年の八重洲店オープンからおよそ13年、あの手この手で南インド料理を広め、深めてきたイナダさんは今、心境の変化を感じています。
「しばらくはむやみにレシピカードを増やすのではなく、手持ちのカードの使い方を研究したいですね。たとえば、東京と大阪では同じカードデッキでは勝負できないんです。社会や環境の変化に合わせてデッキを組み替えなきゃいけない。それが今のテーマです」
イナダさんはさらに、これまでにない楽しみを見出しました。
「エリックサウスのコンテンツは、ほぼゼロから自分が作りました。だけどここ数年、自分より新しいものを生み出すことに長けたスタッフが続々と現れているんです。彼らの姿からはかつての自分の残像を感じつつ、自分からは絶対この発想は出てこなかったという発見が同時にある。それを食べることに興奮するんですよね。うちのスタッフはみんな変態だなと思います(笑)」
エリックサウスに集結したフードサイコパスたち。彼らの才能を目の当たりにしたイナダさんは、新たな使命を抱いています。
「クリエイターのアイデアを実現しやすい環境と、クリエイターが内部から生まれ育っていく環境を整えるのが、自分の使命です。その使命を果たしたら、彼らの様子をニヤニヤしながら眺めることができる。それって私にとっては最高のご褒美なんですよ」
(文・川内イオ 写真・トヤマタクロウ)