【本人取材】アンゴラ村長。早稲田の新卒からお笑い芸人で大ブレイクも葛藤した20代

お笑いコンビ「にゃんこスター」アンゴラ村長の写真集デジタル写真集『151センチ、48キロ』が異例の売り上げで注目を集めています。アンゴラ村長のありのままの標準体型を収めた写真集は、ほかの写真集とは違った魅力があります。
アンゴラ村長は早稲田大学を卒業後、芸人と会社員のパラレルキャリアをスタート。『キングオブコント2017』で準優勝し、縄跳びネタで一世を風靡して会社を休職した期間もありましたが、その時からずっと籍を置いたままにしてくれて、今は必要なときに稼働する持ちつ持たれつな関係で働いているそうです。
結成してから7年を迎えた2024年に写真集制作と初の単独ライブに挑戦したアンゴラ村長に、芸人と会社員のパラレルキャリア、結成わずか半年で売れたからこその苦労、大ヒット写真集制作の裏側などを伺い、どのように今の場所までたどり着いたかを教えてもらいました。

気付けば芸人に。早稲田大学を卒業し、副業可の会社へ就職

―芸人を目指したきっかけは?

早稲田大学のお笑いサークルに入り活動をしていたのですが、大学1年生のときワタナベエンターテインメント主催の大学生向けお笑い大会で決勝まで進出しました。その時の副賞でワタナベエンターテイメントの養成所に格安で入学できたので「知らない世界に飛び込むには安すぎる!」と入学しました。実際に通ってみるとお笑いに人生を賭けている人がたくさんいて「本気でやらなきゃ!」って感化されて、大学3年生で事務所に所属することができました。

―大学に通いながら養成所にも通っていたんですね。

週末の養成所に向けて毎週1本新ネタを作らなきゃいけなかったので、大学と両立するのは大変でした。当時は漫才をしていたのですが、大学を卒業する前に解散することになってしまって。

―それから就活をしたんでしょうか?

大学を卒業しても芸人を続けようと思っていたので、副業できる会社を探しました。ただ、当時は今ほど副業OKの会社がなくて苦労しましたね。私、嘘をつけない性格なんですよ。最終面接で「学生時代に頑張ったことはなんですか?」「お笑いです!大会で賞も取りました」「だったら芸人になりたいんじゃないですか?」「はい、芸人になります!副業で続けたいです!」と正直に答えたらお祈りメールが届いて。友人たちがどんどん内定を取るなか、私だけ苦戦していました。

―だったら会社員一本にしようとは思いませんでしたか?

思わなかったです。アルバイトが苦手で、一般企業ではたらいてもうまくいかないだろうなって思っていたんですよ。大学時代に個人経営のカフェでアルバイトしていたんですけど、お笑いイベントで遅刻してしまった時に「これからも遅刻する?」と聞かれて、絶対にしないってことはないなと思って「はい、します!」って答えてクビになっちゃって。
芸人はそういう不器用さや変な方向でもそのまっすぐさを受け入れてくれるので助かっています。芸人をやりながら副業で会社員が出来たら、母数も少ないし新しくていいなと思っていたんです。

―それでどんな会社に入ったんですか?

「どヘンタイ募集」と謳っていたベンチャー企業です。「どヘンタイ募集」と言っているくらいだから副業はOKだろうと思って「芸人をしながらはたらきたいです」と言ったら「いいね!」と認めてくれて、ようやく内定をもらえました。
それからずっとフレックスの時給制ではたいています。入社してから半年間は週5日1日8時間ではたらいていましたが、ブレイクして忙しくなってからは2~3年休職させてもらいました。今は月数回の勤務で、SNS運用をしたり「これからキッズ」というお子さん向けのプログラミング教室に関わったりしています。

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ブレイクしたものの、技術不足を実感する日々。救ってくれたアイドルの言葉

―入社直後にスーパー3助さんとコンビ結成し、わずか半年で『キングオブコント2017』で準優勝し、生活が一気に変わったのでは?

本当に、異世界転生みたいでした。昨日と同じ世界を生きているはずなのに、街を歩いているだけで指を指されるようになって、まったく違う世界に来た感覚で。
すぐに売れたのはありがたかったですけど、手放しでは喜べなかったですね。ほかのネタのストックがないし、まだ技術もないから、終わりが見えている気がしました。経験も知識もないと、何が良くてウケているのか分からないんですよ。スーパー3助さんの大声がいいのか、歌に合わせて踊るのがいいのか、縄跳びがいいのか分からないまま、自分たちが消費されていく状態でした。実力のなさは実感しつつも、どう頑張ったらいいのか分からない状態でした。

―ブレイクの波が落ち着いてからも、芸人を続けられた理由は?

落ち込んでいた時に、元乃木坂46の堀未央奈さんの言葉を目にしたんです。堀未央奈さんは2期生でいきなりセンターに抜擢されたんですけど、そのあとアンダーという表題曲を歌わないメンバーにもなりました。でも、ブログで「ここが自分の本当のスタートだと思っています。成長させていただける機会をいただきました」と書いていて、勇気をもらいました。「私も今は努力する時間なんだ」と思って、たくさんネタを書きましたね。

―芸能活動の取り組み方に変化はありましたか?

向いてない仕事は「出来ません」とちゃんと断れるようになりました。ブレイクした時は右も左もわからない23歳で、仕事をいただけるだけでありがたいと思って受けて、その結果、言いたくないプライベートな話も答えて自業自得ながら勝手に傷付くこともありました。
自分の心に従って仕事に向き合えるようになったのは、週に1回文章を投稿するアプリで文字を書いてきたおかげでもあります。文章を書いていると、自分の気持ちが整理されるんですよね。だから「自分がどうなりたいか」から逆算して仕事に向き合うようにしています。