『大いなる不在』(7月12日公開)

 幼い頃に自分と母を捨てた父・陽二(藤竜也)が警察に捕まったという知らせを受け、久しぶりに父のもとを訪れた卓(森山未來)は、認知症で変わり果てた父と再会する。

 さらに、父の再婚相手の直美(原日出子)が行方不明になっていた。一体、彼らの間に何があったのか。卓は、父と義母の生活を調べ始め、父の家に残されていた大量の手紙やメモ、そして父を知る人たちの話を基に、彼の人生をたどっていくが…。

 藤とタッグを組んだ長編デビュー作『コンプリシティ 優しい共犯』(18)が、海外でも高い評価を得た近浦啓の監督第2作で、森山と藤が親子役で初共演を果たしたヒューマンサスペンス。卓の妻の夕希役を真木よう子が演じる。

 第71回サン・セバスチャン国際映画祭のコンペティション部門で、藤がシルバー・シェル賞(最優秀俳優賞)を受賞。第67回サンフランシスコ国際映画祭では、最高賞のグローバル・ビジョンアワードを受賞した。

 この映画は、近浦監督の父親との実体験がモチーフになっているという。過去と現在と回想を錯綜させながら、夫婦や父と子のぎくしゃくとした関係や葛藤、あるいは認知症になった陽二と彼の回りの人々が見る情景の違いから、記憶という名の迷宮が浮かび上がる。

 その点で、アンソニー・ホプキンスが主演した『ファーザー』(20)と通じるところもあるのだが、この映画は陽二の見る“幻想”を見せないところに現実感があるし、妻の失踪をめぐるミステリーとしての要素もあるところがユニークだ。

 藤は『初恋~お父さん、チビがいなくなりました』(19)でもボケの兆候がある頑固おやじの役を演じていたが、今回はさらに進んだ認知症の老人を演じている。ただし、それでも往年のダンディーな姿の残り香を感じさせるところが彼の真骨頂。

 そこに映画の“うそ”があるのだが、この場合、陽二の役を生々しくリアルに見せられたら、悲惨さが先に立って見ていられないと思う。藤が演じればこそ、劇映画として成立しているといっても過言ではないのだ。

藤竜也、近浦啓監督インタビューも公開中。

『お母さんが一緒』(7月12日公開)

 親孝行のつもりで母親を温泉旅行に連れてきた三姉妹。長女・弥生(江口のりこ)は美人姉妹といわれる妹たちにコンプレックスを持ち、次女・愛美(内田慈)は優等生の長女と比べられたせいで能力を発揮できなかった恨みを心の奥に抱えている。三女・清美(古川琴音)はそんな姉たちを冷めた目で観察する。

 「母親みたいな人生を送りたくない」という共通の思いを持つ3人は、宿の一室で母親への愚痴を爆発させているうちにエスカレート。互いをののしり合う修羅場と化す。そこへ清美がサプライズで呼んだ恋人のタカヒロ(青山フォール勝ち)が現れ、事態は思わぬ方向へと展開していく。

 橋口亮輔の9年ぶりの監督作となるホームドラマ。ペヤンヌマキ主宰の演劇ユニット「ブス会」が2015年に上演した同名舞台を基に橋口監督が自ら脚色を書き、「ホームドラマチャンネル」が制作したドラマシリーズを再編集して映画化。

 この映画のキャッチコピーに、「家族ってわずらわしくて、厄介で、それでもやっぱり、いとおしい」とあるが、これは山田洋次監督の『東京家族』(13)の「家族って、やっかいだけど、いとおしい」とよく似ている。

 また、三姉妹の乱闘・罵倒のシーンは、「男はつらいよ」シリーズの家族げんかのシーンをほうふつとさせるところがあるなど、橋口監督の映画から山田監督の映画を思い浮かべることは意外な驚きだった。だが橋口監督によれば、意識したのは山田映画ではなく、兄と妹が激しいけんかを繰り広げる成瀬巳喜男監督の『あにいもうと』(53)だという。

 そんなこの映画は、性格の違う三者三様の姉妹、そこに天然なのか賢いのか分からない三女の恋人が絡むことで生じる空回りやズレの面白さが見どころの一つ。演じる4人が醸し出すアンサンブルも面白い。

 肝心の「お母さん」が登場せず、姉妹の会話から想像させるところには、やはり“主役”が姿を現さない往年の名画『三人の妻への手紙』(49)のことを思い出した。

 女性(姉妹)独特の心理やコンプレックス、一重と二重、付けまつげ、鼻に付けたティッシュなどのディテールは、男にはなかなか分からなかったり、気付かなかったりするところ。そうした描写も興味深く映った。

(田中雄二)