ファミコンが主流だった時代のゲームは、今のゲームと比べて完成度が低い分、ゲームシステムも世界観も新しかった。当時小学生だった筆者には、触れるゲームすべてが新しく感じられ、「ゲームってすげえ!」と、常にワクワクしていたのを覚えている。あれから40年、ゲームは世界的なエンターテインメントとなり、「MoMA」の愛称で親しまれるニューヨーク近代美術館にまでコレクションされるほどとなった。
ゲームの進化と発展はよろこばしいことだ。ただその一方、「未知の作品と出会うワクワク感は減ったな、きっとそれは、俺が年をとったってことかも……」とガラにもなくナーバスな気分も感じていた。
だがそこに、カプコンから強烈な一撃が放たれた! 令和の世にワクワク感を与えてくれる一撃となる作品……その作品こそ、『祇(くにつがみ):Path of the Goddess』だ。
タワーディフェンス要素を組み込んだ完全新作アクション『祇:Path of the Goddess』
『祇:Path of the Goddess』は、「バイオハザード」シリーズや「ストリートファイター」シリーズで知られるカプコンの新作タイトル。まったくの新規タイトルとして作られており、ゲームシステムも、タワーディフェンスと3Dアクションを融合させた斬新な内容となっている。
「祇(くにつがみ)」という和風のタイトルが示す通り、本作の世界観は「和」。舞台となるのは、穢れ(けがれ)に覆われてしまった「禍福山」。プレイヤーは主人公・宗(そう)を操り、巫女である世代(よしろ)とともに穢れを祓っていくこととなる。
各ステージには、ゴール地点となる「鳥居」が存在。この「鳥居」に巫女の世代を到達させ、舞によってステージ全体の穢れを祓えばステージクリアとなる。
もちろん、カンタンに「鳥居」へ到達できるわけではない。ゴールである「鳥居」自体が穢れており、異形の敵「畏哭(いこく)」が次々召喚される。一方の世代は攻撃手段を持っていない。
このため、プレイヤーが主人公・宗を操って「畏哭」を倒すことになる。
ここまでの内容だけだと、3Dアクションゲームの防衛ミッションのようにも思える。しかし、宗ひとりで「畏哭」と戦うわけではないという部分を担うタワーディフェンス要素が存在している。ステージ内にいる村人の穢れを祓い、職業を与えることで、村人たちが「畏哭」と戦ってくれるようになるのだ。
村人たちは自動的に攻撃を行ってくれるが、どんな職業の村人を、どの位置に配置するか……という点はプレイヤーが命令する。つまり、村人はタワーディフェンスゲームのタワーのような存在といえるだろう。
ステージ内の進行は昼と夜に分かれており、昼はステージを探索、村人たちの穢れを祓って職業を与えつつ、配置を行う。また、世代を「鳥居」に向けて移動させるというのも重要なポイントとなっている。
夜になると「鳥居」から「畏哭」が出現。村人たちと協力しつつ、世代めがけて接近してくる「畏哭」たちと戦う。昼と夜の切り替えは時間経過によって行われるため、朝がなるまで「畏哭」の進行を防がなければならない。
プレイヤー側の敗北条件は、巫女である世代が倒されてしまうこと。主人公である宗のHPがゼロになっても、世代が生きている限り何度でも復活できる。
ただし、宗のHPが尽きると魂のような状態になってしまい、一定時間「畏哭」への攻撃ができなくなってしまう。もちろん村人たちが「畏哭」と戦ってくれるのだが、戦力的に村人だけで「畏哭」を退けることは不可能。敗北こそしないものの危機的状況には間違いないので、世代のHPだけでなく、宗のHPにも注意が必要だ。
なお、ステージの中にはボスと戦うステージも存在している。ボスステージの目的は「鳥居」への到達ではなくボスの打破。村人たちと協力して戦う……という点は同様だが、世代の防衛というディフェンス要素より、ターゲットの撃破というオフェンス要素にフォーカスがあたっている。
メインは3Dアクション要素! 舞踊のようなアクションが爽快
本作独自の魅力は間違いなく、「タワーディフェンス×3Dアクション」という部分にある。とはいえ、「タワーディフェンス×3Dアクション」というゲームが今まで存在しなかったのか……というと、そんなことはない。たとえば、筆者お気に入りのタイトルでもある『ギルティギア2 -OVERTURE-』などは、タワーディフェンスの原型であるリアルタイムストラテジー(RTS)と、3Dアクションを融合させたタイトルだ。
『ギルティギア』といえば『ストリートファイター6』のような、対戦格闘ゲームのシリーズ。だが『ギルティギア2』は、配下ユニットを召喚し、自分で操作する主人公キャラクターとともに敵陣を狙う……という対戦型RTS×3Dアクション的なゲームとして作られていた。
戦略的楽しさと、プレイヤーキャラクターアクションの爽快感が融合した『ギルティギア2』は、筆者個人的には傑作といえる作品だ。ただ、配下ユニットの召喚&指示と自分のキャラクターのアクションを並列で行わなければならないという点が複雑だったためか、続編である『ギルティギア Xrd』は元通りの対戦アクションとなってしまった。
(▲画像は『ギルティギア2 -OVERTURE-』)
『ギルティギア2 -OVERTURE-』の持つ楽しさと複雑さを踏まえた上で、本作はどうだろうか? まず複雑さという点では、RTSではなくタワーディフェンスというシステムを採用したことによって緩和されている。RTSは自分の拠点を守りつつ敵の拠点を狙う……つまり攻防両方を行うことになるが、タワーディフェンスは敵の拠点を狙う必要がないので、防衛だけを行えばいい。
このため、本作では「今何をやるべきか?」がわかりやすい。仮に敵との戦いに夢中になってしまったとしても、世代付近まで敵が接近した場合、「助けて」と世代がピンチを知らせてくれる。プレイヤーは「世代を守る」ということに集中すればOKなのだ。
「世代を守る」ということに集中できるという点は、村人の配置についてもいえる。ステージが進むと「畏哭」の出現する「鳥居」の数が増えるものの、「畏哭」の狙いが世代であることに変わりはない。なので、世代を囲むように村人を配置すればいい、ということになる。
つまり本作は、タワーディフェンス的な「どの兵種をどこに配置するか?」という戦術要素がそれほど強くない。このため「タワーディフェンス×3Dアクション」というより、「タワーディフェンス要素を組み込んだ3Dアクション」といった方が正確だと感じている。
もちろん、これは悪いことじゃない。「タワーディフェンス×3Dアクション」という言葉が示す通り、タワーディフェンスと3Dアクションを同じ比率で融合させたなら、『ギルティギア2 -OVERTURE-』のように複雑なものになってしまうか、あるいは上手くまとまらないかのどちらかとなっていただろう。この点本作の場合、カプコンが得意としている3Dアクションというジャンルに上手くまとめられているのだ。
本作を3Dアクション中心としてみた時、注目すべきなのが「舞踊」のようなアクション。そもそも巫女である世代が穢れを祓う際の「舞踊」が印象的だが、主人公である宗のアクションにも「舞踊」の要素が取り込まれている。
宗の基本アクションは、刀を使った攻撃と、舞技と呼ばれる攻撃。刀攻撃と舞技はボタンが分かれており、一般的な3Dアクションのように組み合わせて連続で押すと、技が変化していく。
一般的な3Dアクションとの違いが、舞技の性質。日本舞踊のように流れるようなモーションで、移動と組み合わせることで範囲内の複数の敵を巻き込むことができるのだ。このモーションが、本作の持つ「防衛」要素と絶妙にマッチしている。
タワーディフェンス要素が組み込まれた本作では、世代のもとに大量の敵がやってくる……という状況が多い。このため、「攻撃しつつ移動する」「複数の敵を一気に攻撃する」という舞技が輝くのだ。
また、「ストリートファイター」シリーズに「モンスターハンター」シリーズ、「ロックマン」シリーズといったアクションゲームを得意とするカプコンだけあって、そもそもひとつひとつのアクションが快適かつ爽快。本作は「タワーディフェンス」と「3Dアクション」を融合させるというかたちで企画されたようだが、舞技アクションをカッコよく魅せるためにシステムを考案した……と言われたとしても、筆者は納得するだろう、
本作をアクションゲームとしてみた際に筆者が秀逸だと感じた点として、「世代を鳥居へ導く」という点も挙げておきたい。単純にタワーディフェンスゲームとアクションゲームを組み合わせた場合、世代は動く必要がない。なぜなら、タワーディフェンスゲームの拠点は基本的に動かないからだ。
しかし、本作は「世代を鳥居へ導かなければならない」。そうしないとステージがクリアできないからだが、この要素があるからこそ、本作の立ち回りは奥の深いもの仕上がっている。
アクションゲームでは、同じような展開が続くと単調に感じてしまう。このため、ボスの残り体力に応じてアルゴリズムを変化させたり、残り時間に応じてステージ構造を変化させたり……といったかたちでなんらかの変化を組み込むことになる。そう、本作においてこの「変化」を担っているのが、「世代を鳥居へ導く」という要素なのだ。
世代を鳥居へ導くことで、世代を取り囲む地形が変化していくことになる。このため、世代中心に村人を配置するといっても、地形に応じてアレンジしたり、時には村人の職業を変更したり……といった工夫が必要だ。また、鳥居=敵の出現ポイントなので、鳥居に近づけば近づくほど世代と敵の距離に余裕がなくなっていく。
つまり世代の移動は、立ち回りの自然な変化と難易度の自然な上昇を引き起こすのだ。これはよくできた構造だと感じた。
ここまで紹介してきた通り、筆者は「タワーディフェンス要素を組み込んだ3Dアクション」である本作を好意的に評価している。実際晩ご飯の時間を忘れ、数時間ぶっ続けで遊んでしまった。食いしん坊な筆者にとって、ご飯の時間を忘れるというのは相当なレベルだ。
ただ、では手放しに面白いのか?……というと、課題も抱えている。そのひとつが、まさにプレイ時間。ステージ内で昼パートと夜パートを繰り返し、「鳥居」まで進む……という構成になっているため、本作は1ステージのプレイに30分前後の時間がかかってしまう。
このため、「なんか暇だし、ちょっと1ステージプレイするか」というのは難しく、あらかじめ時間を確保してプレイしないと進めるのは厳しいと感じた。
また、村人を配置する際の操作性についても課題を感じた。本作は村人の配置を俯瞰マップではなく主人公・宗を中心とした三人称視点で行う。このため、配置可能な場所が見える範囲に限られる上、そもそも意図した場所に配置しにくい。
アクションと並行して村人配置を行うのであれば、主人公を中心とした視点でも仕方ないと思う。しかし、村人配置時はゲーム進行が停止するため、「だったら、俯瞰マップにしてくれてもいいのでは……」と感じてしまった。
ただ、こうした課題点も含めて筆者は本作のゲームシステムを気に入っている。この粗削りな感じが、ファミコン時代のワクワク感を与えてくれるからだ。
世界観は圧倒的! 妖怪ファンは一見の価値アリ
最後に、本作の世界観について触れたい。ゲームシステムはやや粗削りでも斬新なワクワク感を与えてくれるのに対し、世界観は圧倒的なオリジナリティを体験させてくれる。「こんなの味わったことない!」というレベルだ。
圧倒的なオリジナリティ……と書いたものの、この世界観のベースは日本神話。そもそもタイトルである「祇(くにつがみ)」も、日本神話における「国津神(くにつがみ)」を指している。このことは、本作のビジュアルで「国津神」という言葉の書かれたものがあることからも確かだろう。
ちなみに「国津神」とは、日本神話における地上の神のこと。日本神話の神は高天原(たかまがはら)……つまり天界を治める神々と葦原中国(あしはらなかつくに)……地上を治める神々とに分かれており、高天原を治める神々を「天津神(あまつがみ)」、葦原中国を治める神々を「国津神」という。
また、「穢れ」や「祓う」といった言葉も、基本的に日本神話から持ってきている。そして、登場する「畏哭」は「かまいたち」や「ヒダル神」といった妖怪たち。
そもそも日本神話をベースとしたゲーム作品はそれほど多くない。このため日本神話をダイレクトに表現しただけで、ある程度オリジナリティを持ったビジュアルに仕上がっただろう。ただ、本作の世界観はそれに留まらない。
「ゲゲゲの鬼太郎」や、さまざまな妖怪もので見知った妖怪たちであっても、独特なビジュアルに仕上げている。カッコよさと不気味さ、と同時にユーモラスさも持っており、 妖怪博士である筆者は大歓喜! 妖怪ファンは一見の価値アリな仕上がりだと感じた。
粗削りな魅力でワクワクさせてくれるゲームシステムと、圧倒的なオリジナリティを持ったビジュアル。この2つによって本作は、インディゲーム的な鋭いエッジを持った作品に仕上がっている。昨今のAAA(トリプルエー)タイトルのような完成度の高さとボリュームはないが、これからのゲームの可能性を感じさせ、「ゲームってすげえ!」という感覚を持たせてくれる一作だ。
もちろん、今までにない魅力を持った作品だからこそ、手が出しにくいという人も少なくないだろう。ただこの点は、本作がフルプライスではなくハーフプライスで提供されていることを鑑みれば、問題とは言えないように思う。ちょっとでも興味を持ったなら、もしくは新しいゲームに出会いたいなら、ぜひ手に取って欲しい一作だ。
文/田中一広