戦時下における放送と戦争の知られざる関わりを題材に、プロパガンダの先頭に立ったアナウンサーたちの葛藤や苦悩を実話を基に描いた『劇場版 アナウンサーたちの戦争』が8月16日から全国公開される。本作で、開戦ニュースと玉音放送の両方に関わった伝説のアナウンサー・和田信賢を演じた森田剛に話を聞いた。

-脚本や資料を読んで、和田信賢という人物をどのように捉えましたか。

 「虫眼鏡で調べて望遠鏡でしゃべる」というせりふがありますが、本当にそういう人なんです。徹底的に調べて、実際に人と会って、その人の言葉を聞いて、自分の中でかみ砕いて、自分の言葉でしゃべるという人だったので、そういう人のうそのない言葉というのは、演じる上でも興味がありました。そういう人だからこそ、誰よりも傷つき、悩み、葛藤するという姿を、今の自分なら表現できるんじゃないか、チャレンジしてみたいと思いました。

-今の自分なら表現できると思った理由は?

 自分でもなぜかは分からないです。でも、やっぱりいろいろと経験してきて、痛みを知って、それを強さに変えるということができるような気がしたんです。和田信賢さんってぐちゃぐちゃな人なんです。中身がボロボロなんですよ。それでも自分が信じたこと、信じた言葉を伝えようとする姿勢に心を打たれたし、今の自分だから表現できることがあるんじゃないかと思ったんです。

-クライマックスの学徒出陣のシーンはどんなことを考えながら撮影したのでしょうか。

 あのシーンは撮影の最終日でした。それまでにいろいろとあって、学生とのシーンを踏まえてのシーンだったので、自然と気持ちが入りましたし、あのシーンの思い出はたくさんあります。僕はもっと距離的に遠いことを想像していたのですが、実際はすごく近い所で撮影したんです。だからこそ、この距離なら大きな声を出せば届くのに、絶対に届かないという現実があるのはすごく切ないと思ったし、あそこで「国民の皆さま」と語る和田信賢さん…。このドラマを受けた時に、このシーンはぜひやりたいと思ったし、ここを成立させたいと思いました。あそこで全てをぶつけるつもりでやっていました。

-伝説のアナウンサーと言われる和田信賢さんを演じ終えて感じたことは

 言葉の難しさもそうだし、言葉の脅威ですね。今はそんなに感じない時代かもしれませんが、当時の言葉の力というのはすごく感じました。その言葉を聞いた人が影響されてしまうこともそうですし、言葉の怖さというものを撮影中はずっと考えていました。アナウンスをするシーンも、実際はマイクに向ってしゃべっているんですけど、和田さんはそれを聞いているマイクの向こう側の人をすごく意識してしゃべっていた人だから、余計にそういうことは思っていたかもしれないですね。

 こうやって人と対峙(たいじ)している時も、和田さんは結構人の話を聞いていないんです。信念が強過ぎて、これはこういうものだというのがあるから。だから、誰かとやり合っていても、自分の思いが強いから相手の話を聞いていない、響いていないことが多いです。でも、その裏でめちゃくちゃ悩んでいる。忙しい人ですね。だから毎日くたくたでした。でも、そういう経験ができたことは、役者としての瞬発力や忍耐力が鍛えられた気もするし、すごく楽しいことでもありました。

-アナウンサーが国策に利用されて、戦場の最前線にまで連れて行かれるということについてはどう思いましたか。

 そのことについては僕も知りませんでしたが、僕の周りでも結構知らない人が多いんです。だからそれだけでもやってよかったなと思います。ここに出てくるアナウンサーの方は、自分の中に信念があって、誰も間違ってはいないんです。和田さんは、自分の言葉で人々を楽しませたいという純粋な気持ちだったし、ほかのアナウンサーの方もそうだったと思います。それが、戦争のせいで取り返しのつかないことになってしまって…。だから撮影中も、皆が信念を持ってぶつかり合ったり、熱い思いを持っているのに、何で皆が戦争に傾いていってしまったのかと思いました。そうしたどうにもならないことがあることを、今の若い人たちに感じてもらえたらいいなと思います。

-結果として戦争に協力をしてしまうという、理不尽で葛藤の多い役だったと思いますが、どのようにして自分の中に落とし込んでいったのでしょうか。

 集中することでした。実際に起きたことでも、当時の人はその先に戦争が起きるとは思ってもいなかったと思うんです。でも演じている僕らはその先に起きることを知っています。だから、起きることの真実に対して集中する、そこに全力を傾けるということを考えながら人とも対峙していたし、いろんなシーンで常に集中していました。

-言葉を発して他人に影響を与えるという意味では、アナウンサーも役者も共通点があると思いますが、和田さんに共感する部分はありましたか。

 共通点があるからこそ魅力を感じたんだと思います。やり方が微妙に違うかもしれないけれど、自分の中に入れてそれを出すという部分では通じるところがあると思います。和田さんは電車の中とかでもブツブツしゃべっているんです。僕もせりふを覚える時にはブツブツしゃべっている(笑)、その辺は似ているというか一緒だなって。和田さんは、飯を食っていても、人と会っていても、何をしていても、アナウンスをするということが常に頭の中にある。僕も常に自分のせりふを覚えなきゃいけないという思いがある。そこは何か一緒だなという感覚があります。

-今回演じるに当たって、「言葉」について深く考えましたか。

 そうですね。アナウンサーは伝える仕事なので、自分からどういう音を出すのか、演出の一木さんとも相談しましたし、原稿を読むシーンでも、当時の癖というか、そういうことも練習させてもらいました。特に僕は舞台をやる時は、どれぐらいの声でお客さんに届くのか、お客さんの手前で止めるのか、直接表現するのか、その先に行かせるのかということは意識してやっています。今回は映像でしたが、言葉をどう伝えるのか、表現するのかということを探っていたような気がします。

-「これは終わったことではない」という森田さんのコメントがありましたが、それはどういうところから感じたのでしょうか。

 今の日本は、ある意味、平和で安心な国という感じですけど、海外では戦争が起こっているし、日本も明日はどうなるか分からないという意味もあります。それと、今回は言葉というものが大きなテーマになっていますから、今も言葉で人を傷つけたり、傷ついたりする人もたくさんいると思うので、決して昔話ではないと。僕と同世代の人や若い人たちももっと言葉について考える必要があるんじゃないかと思いました。

-森田さんにとって、この作品はどのようなものになりましたか。

 この役を演じられたことは、僕にとっては宝物です。それは個人的な感情です。自分の心が動く作品や役に出合えることはなかなかないと思うので、そういう作品に出合えたことは財産だと思います。自分の中ではもう終わった役ではありますが、こうして映画になると1人でも多くの方に見ていただきたいという思いが湧いてきます。

(取材・文・写真/田中雄二)