山口百恵 (C)週刊実話Web

まもなく創刊から70年を迎える『週刊実話』。昭和、平成、令和まで、常に社会や芸能界の裏側をウオッチし続けてきた。その膨大な記事の中から、当時反響の大きかったネタをプレイバック!
【昭和56年12月24・31日合併号掲載『芸能界父娘戦争 天国と地獄』年齢・肩書等は当時のまま(一部表現を訂正した箇所があります)】

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山口百恵は、「三浦百恵さん」となって幸せな日々を送っている。

東京・品川プリンスホテルから京浜デパートにかけて、根気よく張り込んでいれば、そんな百恵さんに必ず会える。

品川プリンスホテルに併設されたスポーツランドにテニスをしにくるか、京浜デパート地下で食料品の買い物をするからだ。

いずれからも、歩いて3~4分の高級マンションに百恵さんは住んでいる。

もう2カ月前にもなるが、スポーツランドから出てきた百恵さんとバッタリ顔を会わせた評論家の塩沢茂氏は、こんな会話を交わしている。

「テニスしによく来るの?」

「ええ10日に1回ぐらいのわりで…。でも、あいかわらず、ちっともうまくなりません。上達の秘けつを教えてくださいよ」

「ぼくも、テニスはまるでダメなんだ。しかし、元気そうだし何よりだね」

「体調はいいんです」

「主婦の生活、楽しい?」

「はい。毎日、買い物をしたり、編み物をしたりしているけれど、こんなに楽しいものとは思わなかったわ」

録音されているとは知らずに、こんなノロケも言っていた。

だが、人目を気にしてか、会話も5分と続いてはいない。「失礼します」と言って、ちゃんと別れている。

京浜デパート地下の食料品売場の店員に当たったところ、同様に百恵さんの礼儀正しさには感心していた。

「中華料理がお好きなんでしょうが、その種の買い物が中心で、しばしばみえますけど、帰られるときには必ず挨拶して…。幸せそうですね。初めていらっしゃったとき、全く化粧してなかったもので、まさか百恵さんとは思わなかったほどです」

友和も「よくやってくれています」

百恵さんが歌うようになった経緯を洗うと、父親のいない女だけの3人家族の複雑さが見えてくる(※編集部註=父親は当時“蒸発”していた)。

女手一つで育ててくれた上、芸能人として立ちたいというわがままを聞き入れ、送り出してくれた母親に、百恵さんは感謝していた。

同時に、立派な芸能人になり、母親や妹を楽させなければ、との意識のめざめがあった。

CBSソニーの経営幹部は、こう証言する。

「だからこそ、百恵は『両親そろってこそ、家庭の幸福はあるんだ』という考えなんですね。いまは、立派な主婦になろうと真剣に取組んでいるってわけで、芸能界にカムバックすることなんて全く念頭にないんですね」

しかも、高級マンションには、母親も妹もすでに引っ越してきている。

同居ではない。百恵さんが別の部屋を買い与えたのだ。

当然、夫である三浦友和の同意を得てのことだった。

友和は、親しい知人にこう打ち明けている。

「僕にも、その気持ちはよくわかったので、いいだろうとなったんです。おかげで、想像していた以上によくやってくれていますね」

みかけのつっ張りとは裏腹の親孝行なのである。