圧倒的な孤独と空虚
――豊川さん演じるハリソン山中の静かな狂気は圧倒的でした。原作のハリソンは決定的なバイオレンスには手を染めないジェントルな印象もあったので、ドラマ版の上品でありながら、ときに野蛮に振る舞う姿には驚きました。
新庄 ハリソンは拓海の師匠であり、パートナーであり、最後は敵対する大きな存在です。拓海の前に立ちはだかる親玉を魅力的にすれば、自然と拓海もかっこよく見える。そういった意図でハリソンを造形しました。原作では暴力性を全面に出すと、むしろ小物臭くなるかなと思い、彼の超然とした生命への態度を強調したんです。この世界を諦めていて、自分の人生や命すらどうでもいいという達観した姿勢ですね。だけどドラマ版はその諦念と暴力性をしっかり両立させていました。豊川さんがどのような準備をしてハリソンを演じたのか気になります。
豊川 どうなんでしょうね。もちろん役を理解しようと努めましたが、同時に自分の中で「ハリソン山中」のイメージを決めつけないことも意識していました。決めてしまうと、自分の中にあるものでしか演じられなくなるんですよ。
新庄 イメージが固まると、そこからはみ出すことは難しくなる。演技の幅が狭まると。
豊川 はい。さっき綾野君も言ってましたが、自分だけでなく衣装さんやメイクさん、持道具さんと共に、《顔のない男=ハリソン》を肉付けしていきました。あとは共演者の方々の芝居に影響されながらですね。「チーム地面師」の5人は互いに奉仕していました。物騒な事件の犯人だけど、その実、仲は良いといいますか。
綾野 仕事が終わるたびに毎回打ち上げしてますしね。
新庄 たしかに原作でも食事シーンは重要なパートでした。単純に、飯食ってるとイヤな人同士でもなんとなく仲良くなれるだろうと。それで食事シーンを積極的に取り入れました。
綾野 ハリソンルームを作ったことで、情感が削がれ、そういう人間臭い部分は、むしろ騙される側が担っていました。撮影中にハリソンルームで出前を食べてるシーンがあってもいいのかなって話は一度出たんですけど。
豊川 テーブルは資料でいっぱいだし、画的にもあまりハマらないなと。
新庄 あの部屋でピザやら寿司やら食べてても違和感しかないですしね(笑)。でもたしかにハリソンが食事をするシーンを描かないのは、映像としては良い選択だったと思います。劇中でハリソンはウイスキー以外、口にしなかったんじゃないかな。
綾野 ハリソンは“彷徨う肉体”なのだと思います。彼には感情とか欲求といった機能がなくて、それは圧倒的渇望と言っていい。手塚治虫さんの『どろろ』で、百鬼丸が魔像に奪われた体の部位を探して旅するように、ハリソンは自分の内面の空白を見つめている。その、彷徨い続けるハリソンの圧倒的な空虚と孤独は「サイコパス」という概念や形容で簡単に括られるものじゃない。だから「食」という根源的な欲を満たすシーンを省くのは効果的でした。
――この魅力的なキャラクターとストーリーを一作で終わらせるのは惜しいと思ってしまいます。『地面師たち』は続編の『地面師たち ファイナル・ベッツ』や、スピンオフ作品もあるので、映像でもシリーズ化してほしいなと。
綾野 僕もこれから続編を読むのが楽しみです。いつかまた拓海を生きられたら幸いです。
豊川 続編の映像化はちょっとまだ想像もつかないですけど、新庄先生の書かれた新作はすごく楽しみだな。
新庄 今度は「200億円詐欺」なんですよ。
豊川 100億の倍か、すごいな(笑)。
新庄 チャンスがあれば、ぜひまた映像では思いっきりやっていただきたいです。
綾野 ありがとうございます。
「小説すばる」2024年9月号転載