障害があっても憧れの場所でサービスを提供できる可能性
赤石征悦さん(21歳)もやはり、小学生時代の国語の音読でクラスメイトから笑われた経験を持つ。だが赤石さんを傷つけたのは、何気ない言葉だった。
「中学時代、吹奏楽部に所属していたのですが、発表会で司会に指名されたことがありました。観客からのアンケートを読んでみると、『司会がなにを言っているのか聞き取りづらい』『もっとハキハキと話せないのか』という辛辣な内容が書かれていました」
自分の声は聞き取りづらい――。アンケートで可視化されたその声は、赤石さんを傷つけたはずだ。話すことに対して少なからず恐怖を感じたかもしれない。翻って、注カフェではそのような心配がないと話す。
「私は以前から、接客業をはじめとした人とコミュニケーションをする仕事がしてみたいと思っていました。しかしどこかで諦めてもいました。注カフェの場合は、お客様もこちら側に吃音があることを知っていてくださるので、中学校時代のアンケートのような反応がなく、安心して参加することができました」
赤石さんがこれからの社会に望むことはこんなことだ。
「吃音で死ぬことはありませんが、もう少し世の中が吃音について、あるいは吃音によって悩む人がいることについて、知ってほしいなと思う部分があります。特に多感な時期の子どもたちの気持ちが少しでも和らぐように、周知されていけばいいなと考えています」
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注カフェを展開していくことは、さまざまな吃音当事者や客と出会うことでもある。発起人として、奥村さんは財産とも呼べる経験をしたという。
「中心的なスタッフのひとりで、かなり重い吃音を抱えているスタッフがいたのですが、その人が憧れだった大手コーヒーチェーンの従業員として採用されたのはとてもうれしい出来事でした。障害があっても憧れの場所でサービスを提供できるという可能性が拓けたように思います。
また、とある都市で注カフェをやった際、朝のラッシュ時にサラリーマンが並ぶことがありました。注カフェはやり取りに時間のかかることが多く、心苦しいなと感じていたら、そのサラリーマンがコーヒーを飲んで『いい味がするよ』と笑顔で言ってくれたんです。そうした些細なことが、私たちの励みになります」
言いたいことが声にならない、発するまでに時間がかかる。それが原因で露骨な中傷がなされ、心はえぐられる。苦い経験を繰り返し、コミュニケーションを諦めてもおかしくないほどの傷を抱えた、吃音当事者たち。
注カフェで頼んだ一杯が提供されるまでには、確かに時間がかかる。だがその一杯は、彼らが「それでも接客がしたい」という気持ちにたどり着くまでの、はてしない時間の結晶でもある。私たちは、その一杯をどういただくか。忙しない日常において、誰もが振り返らずにすぎていく時間の隙間に、ふだんより少し注文に時間がかかるカフェで吃音当事者たちの時間を挟み込む挑戦は、この先も続く。
取材・文・写真/黒島暁生