来年デビュー45周年を迎える松田聖子。トップアイドルとして芸能界を駆け抜けながら、恋多き一面も持ち、3度の結婚、幾多のスキャンダルや悲運にも見舞われた。昨年から復活した恒例の夏のツアーに赴き、今なお「聖子」が同世代の女性たちの心をとらえてやまない理由を探る。
デビュー直後から無双だったアイドル時代
今年6月、さいたまスーパーアリーナ公演からスタートした松田聖子の「Pre 45th Anniversary Seiko Matsuda Concert Tour 2024 “lolli♡pop”」。8月23日、その日本武道館公演に行ってみた。
18時30分の開演を前に、九段下駅から武道館に向かう坂道は中高年の女性で溢れ(男性もちらほら散見されたが)、並々ならぬ熱がすでに感じられる。まさに松田聖子と同じ時代を、同じように女性として駆け抜けてきた人たちなのだろう。この印象は日本武道館の敷地内に入るとさらに強いものになった。
松田聖子は1980年4月にシングル『裸足の季節』でデビューした。
デビュー当時のキャッチフレーズは「抱きしめたい!ミス・ソニー」。デビュー曲は資生堂の洗顔クリーム「エクボ」のCMソングに起用され、スマッシュヒットとなる。
九州、福岡県の歌手志望だった女の子(聖子)は、さまざまなオーディションに応募するも落選を繰り返し、唯一、CBS・ソニーと集英社が主催する「ミス・セブンティーンコンテンスト」九州地区大会で1978年に優勝、全国大会への切符を掴む。しかし厳格な父親の反対で全国大会への出場は叶わなかった。
このことを後の所属レコード会社担当者と何より本人が現実として受け入れがたく、紆余曲折の後、歌手デビューを目指して上京する。1979年6月、聖子が高校3年生の夏のことだ。
デビューまでが順風満帆とは言い難かったことへのリベンジなのか、デビュー後の聖子の快進撃はまさに無双。アイドルとしての頂点を極めるまではあっという間だった。
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結婚、出産、離婚、再婚……それでも聖子は
そして人気もピークの1985年1月、交際をオープンにしていた郷ひろみとの破局会見を開くも、映画『カリブ・愛のシンフォニー』(1985年4月公開)で共演した神田正輝との婚約を4月に発表、6月24日に結婚する(1997年離婚)。ふたりの結婚は互いの名前から「聖輝の結婚」と呼ばれ、連日マスコミを賑わせた。
その後、妊娠出産のため、この年の「NHK紅白歌合戦」出場を最後に、聖子は芸能活動を休業する。
超人気アイドルが23歳で結婚し、翌年に長女(神田沙也加さん)を出産……ママタレたちがこぞって活躍する今となってはちっとも珍しくないかもしれないが、当時の感覚としては、アイドルとはまさに“偶像”であって、その人気を維持するためには、恋愛、結婚、出産といった、一般人の人生の営みとは異なる道を歩むものであった。少なくとも表向きは。
だから、松田聖子は松田聖子として活動するときは、あたかもコスプレするように“アイドル”を演じた。しかし、聖子はそれだけでは満足せずに「人間・松田聖子」でもあろうとしたのである。
今回の日本武道館を埋めた中高年女性たちは、少女時代から松田聖子とともに成長し、恋愛、結婚、出産、もしかしたら離婚までも、自分たちのロールモデルとして松田聖子を見つめてきたのではないかと思う。
聖子のステージに熱く盛り上がる聖子と同世代の女性ファンの眼差しには、並々ならぬ思い入れがこもっていると感じたのは、筆者の思い違いではないはずだ。
実際、聖子のコンサートチケットは抽選制だが、その競争率は常に高い。年末の恒例ディナーショーも言わずもがな。5万円超えの高額もなんのそのだ。