秋の運動会シーズンが始まる。年々深刻化する暑さの影響で、一学期ではなく秋の開催に変更する学校も増えた。コロナ禍前のように「全学年で一日がかり」の運動会に戻す学校がある一方、多くの学校で運動会の縮小が進む。「モンスターペアレントが、徒競走の順位づけにクレームしたから?」などという説も聞くが、実際は、どんな事情があるのだろうか。前編では、保護者の本音を取材した。
徒競走「教員が全員分を写真判定」
熱中症予防やコロナ禍による運動会の中止・縮小…。中学生の子を持つAさん(50代)は、毎年スタイルが変わる小学校の運動会に6年間、翻弄された。
1年生のときは、長年行われてきた「全学年で一日がかり」の運動会。大規模校で人数が多く、観覧ルールもわからなかった。児童はお弁当を持って登校し、冷房のきいた教室で食べる。来られない親もいるだろうから、昭和時代のように家族ごとで食べるより合理的だと思った。
Aさんは、自分の子がどこにいるか探すので精一杯だった。グラウンドの土煙の中、来賓席や本部のテントの間をぬって、望遠レンズで探す。事前に競技ごとの場所を知らされていても、同じ体操着で髪型も似た子ばかりで見つからない。
大人数の運動会の洗礼を受けた。それでもフォーメーションが変わり、一瞬だけ最前列に出てきた際に、笑顔で踊る我が子を見つけて感動したという。
2年生のときは、気候の変化による熱中症が問題になった。練習やリハーサルの時から、熱中症で倒れる子が相次いだ。当日も児童は炎天下で待たされた。
Aさんが気になったのは、徒競走の際に、ゴール地点の先生が1列ずつタブレットで撮影し、順位を写真判定していることだった。大変な手間と時間がかかる。他学年の先生も加わって判定にかかりきりになり、児童のことは見ていない。その間、具合が悪くなる児童が続出し、保健室は満員になった。
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意見が割れる運動会のありかた
そして、コロナ禍に突入した。Aさんの子が3年生のとき、運動会はなかった。4年生になって、「体育授業の発表」という名目で、学年ごとに区切って開かれることに。競技は、順位をつけない徒競争とダンスのみで、団体競技はなし。
「この形式が、とても快適だったんです。遮るもののない校庭で、観客も保護者だけ。子どもたちの近くで見ることができました。進行は早すぎるぐらいで、子どもたちも体調を崩すことなく終えられました」
5年生のときも同様に、学年ごとの開催だった。徒競走は順位をつけないので、以前ならリレー選手に選ばれたような足の早い子がモチベーションをなくしたのか、ふざけているのが見られた。
6年生になると、新型コロナがインフルエンザと同じ5類になったこともあり、規模を拡大して2学年ずつ行なうことになった。団体競技や、組体操の手つなぎも一部、復活した。さらに、許可証を持っていれば祖父母や地域の人も入れるようになった。
「その結果、親以外の人が最前列をとってしまい、見づらかった。運動会は、保護者が主役である子どもたちの姿を楽しく見られる場であってほしいと思います」
「弁当を作らなくていいから楽」「PTA種目がなくなり手間が減ってよかった」「うちの子は毎年、運動会シーズンになると練習の疲れから体調不良になっていたけど、それがなくなった」といった運動会縮小に“肯定派”の声はAさん以外にも複数聞こえてきた。
一方で、運動会の縮小に、反対の意見も多くあった。小・中・高生の母・Bさん(40代)は、にぎやかな運動会に戻してほしいと願う。
「足の早いい子にとっては、1位になって尊敬される徒競走やリレーがなくなり、つまらない。それに上の子は、コロナ禍前に応援団に参加して楽しそうだった。順位づけや応援合戦を復活させないのであれば、運動会を縮小しないエリアに引っ越したい」と、真剣だ。
都内公立小5年生の母・Cさん(30代)も、縮小された運動会に寂しさを感じている。
「娘が小学校1、2年生のときはコロナの影響で運動会が中止に。小3のときに初めて運動会を経験しました。コロナ禍以前、娘の学校ではお弁当を持参して一日がかりで運動会を行なっていたみたいですが、コロナ禍以降は半日開催になりました。
娘の学校は児童数が多くないので、半日で全学年一斉に行います。種目は徒競走、リレー、ダンス、組体操の4つだけです。お弁当も作らなくてもいいから楽ですけど、『私たちが子どもの頃の運動会に比べて活気がなくなったなぁ』となんだか寂しい気持ちになります。やっぱり、いろいろな競技を通して娘の成長を見たいじゃないですか」