「単純な物語」を捨て、小説世界を構築する 奥泉 光×小川 哲『虚史のリズム』刊行記念対談

二〇二〇年六月号より、『すばる』誌上で三年半にわたって連載された奥泉光氏の大作『虚史のリズム』が、このたび満を持して刊行されました。

 二〇二〇年六月号より、『すばる』誌上で三年半にわたって連載された奥泉光氏の大作『虚史のリズム』が、このたび満を持して刊行されました。
 背幅cm、重さkg超え、圧倒的な存在感を携えた本書ですが、見た目のインパクトをはるかに上回る濃い物語が読み手を待ち構えています。舞台は第二次世界大戦後の一九四七年、GHQ占領下の東京。山形で起こった一つの殺人事件をきっかけに、「K文書」なる国家機密の謎が動き出し……。
 歴史の混迷を背景に、様々な登場人物が交錯し、語り、多層的な物語が紡ぎ出されてゆく様は、『地図と拳』をはじめとした小川哲氏の著作とも重なる部分がありそうです。壮大な物語世界を、お二人はどのように言葉で立ち上げているのでしょうか。大森望さんを司会に迎え、じっくり語っていただきました。

司会・構成/大森望 撮影/山本佳代子

――奥泉さんの大作『虚史のリズム』がついに刊行されたということで、今日は大いに語っていただきたいと思います。お二人とも、近現代史の、特に戦争を背景にした大作を複数書かれています。小川さんに関して言えば、満州を舞台にした『地図と拳』はもちろんですが、その前の『ゲームの王国』もカンボジアの内戦が背景で、どちらもSF的要素が入っています。そう思うと、お二人の作品には共通点が多い気がしますが、まずは小川さんに『虚史のリズム』の感想から伺いましょうか。

小川 校了前のゲラで読んだのですが、段ボール箱で届いたのは驚きました(笑)。でもすごく読みやすくて、思ったほど時間はかかりませんでした。奥泉さんの書き方が非常に親切で、読者が迷子にならないようにできていると感じます。
 あと、これは僕がそう読んだという話ですが、本書は基本的に二つの謎を軸にしたミステリーの形式をとっています。「棟巍(とうぎ)正孝を殺したのは誰か」という謎と、それに関連して出てくる「『K文書』とは何か」という謎。当然、容疑者が何人か出てくるのですが、それぞれの容疑者に注目すると恋愛小説に見えてきたり、政治小説に見えてきたり、SFに見えてきたり、というように、いろんなジャンル小説をミステリーが包含するような構造で書かれてもいる。そもそも「この小説はミステリーなのか?」という問い自体がミステリーの謎になるような構成がすごいと思いながら読みました。
奥泉 ありがとうございます。実はこの『虚史のリズム』、連載がスタートする段階で担当編集者には、「今回は失敗してもいいや」と言っていたんですよ。あえて失敗を辞さずにいく、と。当然ながら意図的に失敗するわけにいきません。でも、風呂敷を広げて世界を大きくしていって、語りのバランスも考えずに、その結果収拾がつかなくなったとしても、今回はいいとしよう、そういうやり方で書こう、と。
 同じ近現代史を材にして少し前に書いた『雪の階(きざはし)』という小説は、端正に世界を構築して、文体も緻密に考えて作りました。今回は、思想小説の色彩もあるので、端正は捨てて、破綻してもよいという考えだったんだけど、やっぱり性格なんでしょうね、なかなか本格的な失敗には至れなかったのが、不満と言えば不満です(笑)。でも、これは自分の長所でもあり短所なので、仕方がないなというふうに思いました。

「ミステリー」を採用する理由

――『虚史のリズム』ですが、奥泉さんの過去作である『グランド・ミステリー』と『神器―軍艦「橿原」殺人事件』の主要登場人物が出てきて、両者の続編と呼んでもいいようなかたちになっています。

奥泉 そうですね。ただもちろん、『虚史のリズム』単体でも問題なく読めるようになっているとは思います。『グランド・ミステリー』『神器』の流れで、今回もミステリーの枠組みを使っています。今までの作品もそうなのですが、提示した謎はいちおう合理的に解かれている。ジャンルに敬意を表して、ミステリーとしての最低限のモラルは守っている。ただ問題なのは、過去作もほぼそうなんだけど、謎が解かれたときには、もはやその謎はどうでもいいものになっているという……(笑)。これが僕の小説の基本的なパターンなんですが、今回もまあそうかな。
小川 たしかに、誰が犯人かという意味では、その点はあまり重要ではなくなりますね(笑)。
奥泉 謎解きに小説が収斂して行かない。昔、笠井潔さんに「君はミステリーを書いてない、ミステリーで書いている」と言われました。でも、小川さんもたぶん一緒なんじゃないかなという気がしますね。
小川 それはそうですね。
奥泉 SFについても同じことが言えるはずで、どうも小川哲という作家はSFを書く作家じゃないなという匂いを強く感じたんですよね。SFで書く人、むしろ他のことが書きたい人だろうと。たとえば『地図と拳』なら、建築というものの持つ意味とか、満州の歴史的意義とか、小説世界を広げていくことに関心があって、ミステリーやSF的なアイデアに収斂させていくことには、そんなにこだわりがないと見たんですけど、どうですか。
小川 僕も、ジャンル小説を書きたくて書いているわけではないですね。作品ごとに、その作品を通じて考えたいことがあって、一番ふさわしい形式を選んでいる感じです。
 あと、奥泉さんがどうかはわからないのですが、自分がただ考えたいことを書き連ねても、商品として需要がないんじゃないかという心配が強くあって……。読者にどうやって興味を持ってもらうかという部分で、ジャンル小説、特にミステリーの力を借りる。SFはどちらかというとプロットの型ではなく、設定やガジェットの型なので、自分が考えたいことを考えやすくするために、哲学者が思考実験をするようなイメージで力を借りることが多いですね。だから僕の場合も、ジャンルありきということはあまりなくて、考えたいことが先にある。
奥泉 それは僕もそうですね。極端なことを言えば、今回もミステリーにする必要はないと言えばなかった。けれども小説を支える骨格は欲しい。骨格に支えられて物語や言葉ははじめて自由に展開できる。建築に喩えると足場ですかね。ある程度小説ができてくると、それは自立して、足場はいらなくなるわけですが、物語のとっかかりとして、読者が入りやすいというメリットも含めてミステリーを採用することが多いわけです。

――奥泉さんの場合、毎回不可解な事件がとっかかりになりますが、今回は『神器』に登場する石目鋭二という人物が“探偵”役に起用されていますね。もともとミステリーおたくのキャラクターとして設定されていた石目が、戦後の東京で「名探偵に俺はなる」と勝手に決意して事件に突っ込んでいく。本人は一所懸命、本格ミステリーの名探偵になろうとするんだけど、なかなかうまくいかない。途中で三回ぐらい「もう探偵はやめよう」と決意するシーンがあります(笑)。

小川 結局、石目はモテたくて探偵をやっているというのがいいですよね。物語中盤以降、探偵そのものへの興味を失ってもなお、ひとめぼれした相手・卑弥呼さんにモテたいという理由だけでなんとか探偵を続けていく。あまりいなかった探偵像ですね、情けなくて(笑)。
奥泉 かわいらしい人物ですよね。読者が上からの視線で優しく見てあげられるような主人公。広い意味でフモール、ユーモアということだと思うんだけど、そういう設定の主人公はやっぱり書いていて楽しいですね。今回、戦後という時代を書くにあたって、どうやって小説をスタートさせるかが難しくて、あれこれ試行錯誤したのですが、石目の語りの力を借りることで、ようやく物語をはじめられた。

――頭の中で主役オーディションみたいなことをされたわけですか? 今度は誰でいこう、というような。

奥泉 そうですね。人物というよりは文体ですね。語りのスタイルをどうするか。
小川 でもこの『虚史のリズム』、前半は石目と、もう一人の主人公・神島健作の視点が多いんですけど、後半になるにつれて美術学校生の水谷澄江がどんどん活躍していくんですよね。あの変化、奥泉さんは書く前から想定していましたか?
奥泉 全然していなかったです。それはそういうものじゃないですか? 書いてるうちに、「お、澄江、なかなか面白いな」とどんどん思えてきて。ちょっと理想化しすぎたかもしれないけど。
小川 最終的に、一女子学生に過ぎない澄江が民主主義を背負うんですよね。
奥泉 なかなかすごい人になっちゃう(笑)。澄江の魅力を引き出そうとするうちに、彼女の存在がどんどん膨らんでいきました。しかしそういうところが長編の醍醐味じゃないですか。
小川 そうですね。役割だけ用意してちょっと出した人物なのに、「あれ、この人、何かもっと隠し持っているぞ」と書いているうちに見えてきて、どんどん重要になっていく。
奥泉 そうですよね。
小川 この作品の後半の近代史をめぐる政治小説的なパートで、澄江が「自由」を語り重要な役割を果たした場面は、読んでいてびっくりしました。むしろ序盤では、素性の知れぬ「大将家(い)の倫子(みちこ)さん」のほうが重要そうだったのに、まさか澄江がこんなに活躍するとは……。実は石目もそうで、意外にも探偵以外の面で才能があるんですよね。

――すごく有能ですよね。商売がことごとくうまくいく。

奥泉 もともとそういうキャラ設定だったんだよね。人の懐に入るのがものすごくうまくて、圧倒的なコミュニケーション能力を持つ男。それをそのまま商売に生かしているわけです。
小川 あと、石目は生命力がものすごいですね。昔、漫画で見たラッキーマンを思い出しました。すごく運が悪いんだけど、絶対に死なない(笑)。
奥泉 たしかにそうですね(笑)。タイトルに入っている“リズム”という言葉は、石目の語りのリズムのことでもあるんです。ああ、戦後を描くのに、このリズムでないと自分はやはり書けなかったんだなと、後になって思いました。

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dadadaのリズム

小川 実は『ゲームの王国』のときは小説の書き方がよくわかっていなくて、自分の中では破綻したというか、散らかしたものを全て片付けて終えることができなかったという感覚が残っています。だから『地図と拳』では、作品の柄が多少お行儀よくなっても、散らかしっ放しで終わらないようにしよう、破綻しないようにしようという気持ちで書き始めました。奥泉さんが『虚史のリズム』を書き始めたときとは正反対ですね(笑)。
 とはいえこの作品も、終盤になるにつれ、奥泉さんの癖か美学かはわかりませんが、きちんと回収するパートが増えていきます。何といっても、dadadadadaの仕組みがあることで、はち切れそうになった小説を音楽的に収めることができてしまっているというか……。この小説のリズムは石目の語りのリズムでもあるとおっしゃっていましたが、後半になるにつれて、dadadaのリズムが前面に出てきますよね。
奥泉 後半で暴れているdadadaは、実はもともと出てくる予定はなかったんです。主人公の一人である神島が、下宿で横になっているとき、襖絵に描かれた人物が「あ」のかたちに口を開けているのに気がついて、ドイツ語の「da」と言っているのだと思った――そういうちょっとしたシーンを序盤で書いた。それだけのはずだったんです。ところが、そうか、「da」は死者が口から漏らす響きかもしれないなと、イメージがどんどん膨らんでいって……。戦争体験をどう捉えるかの問題をめぐるあれこれをこの本では繰り返し書いているわけですが、体験の全体を表象する響きとして、dadadaというダダイズムの詩句のようなフレーズが出てきた。その意味では、はち切れそうになった小説を音楽的に収めたというのはその通りで、この部分は小説テクストとしては破綻していると言えるかもしれません。
 本を見てもらうと、装丁をしてくださった川名潤さんの版組が後半のほうですごいことになっているでしょう(笑)。前の方にも何度かdadadaが入っているんですが、ぶっちゃけていうと、実はそのあたりは、テクスト的に少し弱いので、なんとかdadadaで補強してくれませんかと、川名さんに頼んだんです(笑)。その意味では、失敗を辞さずというのは、ここでわずかながら実現しているのかもしれない。どちらにしても、小説というのは、公にしうる範囲内でなら何をしてもいいわけで、とりわけそういう遊びが許されるジャンルだとも思うわけで。

――dadadaのタイポグラフィで言えば、ルビにdadadaが入ってくるのは斬新だなと思いました。

奥泉 そう、そこは川名さんのアイデアですね。僕は後半でdadadaが蛇のようにうねるようにしてほしいと頼んだ(笑)。今はいくらでも奇抜なレイアウトに対応することができるじゃないですか。でも川名さんは、戦後すぐの組版でもできる範囲内でやりたい、と。そこは川名さん流のこだわりですね。