氷室、冬に取った氷をここで保存していた / credit:wikipedia

かき氷はお手軽に夏を感じられる食べ物として知られています。

しかし冷凍庫がない時代では、夏場の氷は今では考えられないほど貴重なものでした。

果たして昔は氷をどのように保存し、どのように使っていたのでしょうか?

本記事では氷の利用の歴史について紹介しつつ、どのように保存されていたのかについて取り上げていきます。

なおこの研究は北陸大学紀要第52号に詳細が書かれています。

 

目次

東洋西洋を問わず夏場の氷には需要があった日本では奈良時代から夏場に氷があった氷を食べる文化が根付いた江戸時代

東洋西洋を問わず夏場の氷には需要があった


冷凍庫のない時代、夏場の氷はとても貴重だった / credit:いらすとや

今でこそ氷は冷凍庫さえあれば簡単に手に入るものであり、そこまで貴重なものであるという印象はありません。

しかし電気のなかった時代は氷を簡単に貯蔵できるはずがなく、夏場に氷を使うなんてことは非常に難しかったはずです。

ところが、古い時代でも夏場に氷を使うことができなかったわけではありません。氷室と呼ばれる自然の力だけで氷や雪を貯蔵可能な施設があり、そこで冬場に集めた氷を保管して夏場に利用するという試みがされていました。

氷室は自然が豊かな場所の場合は洞窟や横穴に作られ、そうでない場所の場合は穴を掘って地下に作られました。

当然そういった施設は一般庶民が利用可能なものではありませんが、貴族は自身が住んでいる城や屋敷に穴を掘って氷室を作り、冬に切り出してきた大きな氷の塊をそこに貯蔵していたのです。

氷室の中は気化熱などによって外気よりも涼しいため、この方法で夏まで氷を保存することができました。

ではどれくらい昔から、氷室の利用はあったのでしょうか?


ヨーロッパの氷室、氷の保存だけではなくワインやソーセージの保存も行われており、現在の冷蔵庫としての役割もあった。 / credit:Jane Austen’s World

最古の氷利用の記録は、約4000年前に遡ります。

古代シュメール都市マリで発掘された楔形文字の粘土板には、マリを支配していた勢力によって都市の近くに氷室(ひむろ)が設置され、ワインの冷却に氷が利用されたことが記されています。

その後、中東やヨーロッパに、夏期に氷や雪を利用する文化が広がっていきました。

寒冷地では氷を採取し、氷室で貯蔵して夏期に利用する方法が取られました。

一方自然に氷が発生しない温暖な地域では、氷を運搬して利用する方法が取られていたのです。

中国でも、紀元前12世紀の周王朝の『周礼』に氷を司る役所が設けられ、冬に採取した氷が春に宮廷で利用されるシステムが確立されていきました。

秦の時代の宮殿跡からは巨大な氷室の遺構が見つかっており、当時から氷の利用が重要視されていたことが窺えます。

中国でも西洋諸国と同じように氷は酒を冷やすためなどに使われていましたが、遺体を冷やして腐らないようにするためにも使われていました。

このように氷の利用は、人類の生活や文化に深く根付いており、その歴史は技術革新や地域の気候条件に応じて変化してきたといえます。

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日本では奈良時代から夏場に氷があった


氷室、冬に取った氷をここで保存していた / credit:wikipedia

それでは日本では、いつ頃から氷が利用されてきたのでしょうか?

考古学的な資料や文書からは、8世紀の平城京では朝廷が氷の調達を行っていたことが明らかになっています。

奈良・平安時代の大和朝廷における氷室運用と氷利用のシステムについては、平安時代中期の法典『延喜式』に詳細が記されており、畿内5カ国(現在の奈良県・大阪府と京都府南部)に10カ所の官営氷室が設けられ、役人によって管理されていたとされます。

このシステムでは、天皇や各部署への氷の供給量や期間が定められ、宮中での儀式や冷却、喪礼などに使用されていたのです。

この氷室は冬場に出来た天然の氷を洞窟や穴などに入れた上で、小屋を建てて覆って保存しました。

また日本ではヨーロッパや中国のような氷室だけではなく、氷雪の上に藁などのかぶせただけの雪室もありました。

雪室では雪を盛り上げて塩をまいて固めることによって雪山を作り、藁などを何重にも覆うことによって、雪室が夏まで持つようにしていました。

この雪室は冬に多く雪が降らないと作ることができないため、豪雪地帯でよく利用されたようです。

しかし様々な設備が必要な氷室と違って雪と藁さえあれば作ることができるということもあり、豪雪地帯に住んでいる庶民はしばしば雪室を作って魚などを保存していたのです。

それでも夏場の氷は貴重品であり、先述した豪雪地帯の庶民を除くと、近代になるまで夏場に氷を使うことができるのは朝廷や貴族をはじめとする権力者だけでした。

このような氷室は関東や九州北部地域でも見られ、地方の役所でも氷室の運用が行われていた可能性が示唆されています。

宮中での氷の行事的利用に関しては宮中の貴族や仕えていた役人たちに六月一日に氷が配られていたことが示されています。

また歌人たちの作品にも氷室や氷の描写が見られており、当時の貴族社会において氷が一般的なものとなっていたことが窺えます。

鎌倉時代に入ると、貴族だけでなく武家も氷を使うようになり、幕府も氷室を構えて夏期の冷却用途に利用したり、富士山から雪を取り寄せて儀式や行事に使用したりしていました。

しかし、室町時代になると国内の治安が悪化したこともあってか氷の供給は減少し、ついには戦国時代には官営氷室の運用が停止したのです。

そして朝廷では氷の代わりに氷餅(餅を水に浸して凍らせたものを寒風に晒して乾燥させたもの)などが提供されるようになりました。