Credit:川勝康弘 . clip studio
異世界の言語学です。
ドイツのフンボルト大学ベルリン(HU Berlin)で行われた研究によって、ファンタジーやSFの世界で使われている人工言語のどんな要素が、美しさや邪悪さなどの音声的な印象に繋がっているかが調べられました。
調査対象となった人工言語には、有名なフィクション作品で創作された優雅な響きを持つエルフ語や醜く凶悪なオークたちのオーク語、理知的な異星人たちのバルカン語、荒々しい戦闘民族の使うクリンゴン語など12種類が含まれています。
本研究は、ファンタジーやSFの世界が好きな人たちならば、一度は考えたことがある異世界言語の音声学的な魅力を分析したものと言えるでしょう。
研究内容の詳細は『Language and Speech』にて公開されています。
目次
「異世界の言語」から学べる知識がある「美しい言語」と「邪悪な言語」美しいエルフ語を作る方法
「異世界の言語」から学べる知識がある
アニメや映画でしばしば耳にする人工言語。
多くの作品では冒頭部分に少し登場する程度で、主人公たちはすぐに不思議な力や科学の力で普通に話せるようになります。
しかし長年にわたって愛され多くのシリーズを重ねている作品の人工言語は「作り込み」が進み、発音や文法が高いレベルで完成しているものも存在します。
たとえば「ロード・オブ・ザ・リング」に登場する優雅なエルフ族たちの「クウェンヤ語」や「シンダール語」、「スタートレック」に登場する荒々しい異星人の戦士たちが使う「クリンゴン語」などが有名です。
日本産の人工言語としては「星界の紋章」シリーズに登場するアーヴ帝国の公用語たるアーヴ語が知られています。
比較的有名な人工言語の例 / Credit:wikipedia
特にクリンゴン語やエルフのクウェンヤ語などは極めて完成度が高く、国際標準化機構によってどちらも「ISO 639」の番号が与えられ、実在の言語並みの扱いを受けています。
そのためコアなファン同士の間ではクリンゴン語やクウェンヤ語で会話することも可能となっています。
(※Netflixで公開されている一部の作品では字幕部分にクリンゴン語を選択することができます)
人工言語を魅力的にみせている要因の1つとして、設計段階で作者たちが「印象操作」を行っている点が挙げられます。
たとえば「ロード・オブ・ザ・リング」に登場するオークたちは作者によって「醜く邪悪な敵」として設定されており、オーク語も作者の設定を補強するような響きになるように作られました。
同様にスタートレックのクリンゴン語も荒々しい戦闘民族としての異星人の設定を補強するために、発音や演出に工夫が凝らされています。
しかしそうなると「なぜ特定の言語が心地よく、あるいは不快に聞こえるか?」という疑問が浮かびます。
言語音声に対する印象は純粋に音響的なものなのか、それとも話し手のイメージや映画の演出に影響されるのなのでしょうか?
これまでにも日本語や英語、中国語など自然言語に対する印象にかんする研究は行われてきました。
しかし自然言語は文化や歴史との関連付けが強く(つまり先入観が強く)、純粋な音の感想を得るのは困難でした。
特にいがみ合っている国同士の言語や、反対に義務教育に導入されるほど馴染み深い言語について、客観的に判断するのは不可能と言えます。
また倫理的にも、特定の自然言語に対して「善悪」のレベルでアンケートを行うことも抵抗があります
(※たとえば「日本語の善悪を判断してください」など)
そこで今回、フンボルト大学の研究者たちは人工言語を対象に、人々が言語音声の何に反応して美しさや邪悪さを判断しているかを調べることにしました。
エルフ語やクリンゴン語がいかに人工言語界の大物であっても、知っている人は少数であり、多くの人にとって「先入観なしに初めて聞く言語」となります。
また日本語や英語、中国語などの自然言語では抵抗があった「言語音声を善悪のレベルで評価する」という離れ業も可能になります。
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「美しい言語」と「邪悪な言語」
当初から善悪が盛り込まれた人工言語だからこそ、自然言語相手にはできない質問ができます / Credit:Christine Mooshamme et al . Does Orkish Sound Evil? Perception of Fantasy Languages and Their Phonetic and Phonological Characteristics . Language and Speech (2023)
人間は何を基準に言語音声の良し悪しを決めているのか?
答えを得るため研究者たちは作り込みが進んでいる12の人工言語を129人のドイツ語話者に実際に聞いてもらい「心地よさ」「善悪」「平和的か攻撃的か」という3つの尺度で評価してもらいました。
調査対象となった12種類の人工言語 / Credit:Christine Mooshamme et al . Does Orkish Sound Evil? Perception of Fantasy Languages and Their Phonetic and Phonological Characteristics . Language and Speech (2023)
上の表は実験に使われた人工言語を、作者の目指した印象操作と共にまとめたものとなります。
たとえば①のオーク語(ロード・オブ・ザ・リング)は先に述べた通り、醜く邪悪なオークたちの話す言語として設計されました。
過去の研究では、オーク語はオークの外見(牙のある口元)に一致するように設計したと述べており「恐ろしく、力強く、石のように硬い」印象を受けやすくなっていると報告されています。
同様に④のドワーフ語(ロード・オブ・ザ・リング)や⑥のクリンゴン語(スタートレック)、⑨のドスラク語(ゲーム・オブ・スローンズ)もネガティブな印象を与えるように設計されています。
逆に②と③のエルフ語(ロード・オブ・ザ・リング)は、美しく優雅に聞こえるように設計されています。
制作者自身もエルフのクエンヤ語を「詩的でありながら著しく形式的な性質」を持つようにデザインしたと述べています。
また印象操作の部分に「‐」と記入されている⑦のバルカン語(スタートレック)や⑩のナヴィ語(アバター)は、目立った印象操作が行われていない言語であることを示しています。
(※⑫のウイイド語は言語学を学んでいる学生が趣味で作成した人工言語であり、一般には全く知られていません)
実験にあたって話者は男性と女性の両方が用意され、音声は感情を抑えてニュートラルなトーンで話すように訓練されました。
また音声を聞いてもらうにあたり、被験者の人工言語にかんする事前知識が調査され、事前に知っている人工言語については結果に反映されないようにしました。
これは結果に先入観が入る余地を徹底的に排除するためです。
12種類の人工言語の好感度ランキング / Credit:Christine Mooshamme et al . Does Orkish Sound Evil? Perception of Fantasy Languages and Their Phonetic and Phonological Characteristics . Language and Speech (2023)
上のグラフでは「心地よさ」「善良さ」「平和さ」の3つの平均点を高得点順に並べたものになります。
「心地よさ」「善良さ」「平和さ」はそれぞれ高い相関関係にあり、3つをまとめて扱うことは統計的みてあまり問題が無かったからです。
結果、ポジティブな印象操作を目指したエルフ語(ロード・オブ・ザ・リング)は、初めて耳にする被験者たちにも好意的に受け止められていることが判明します。
またクリンゴン語は製作者の意図通り、最もネガティブな印象を与えることに成功しました。
しかし同じネガティブな印象を与えるために作られたはずのオーク語やフズドゥル語では、それほど悪くない評価となっていたことが判明します。
研究者たちも、演出なしに感情的にニュートラルなオーク語を聞いた場合、思ったよりも穏やかに聞こえたと述べています。
さらに特に良い悪いの意図を持たずに作成されたバルカン語やケッシュ語はエルフ語に次ぐ位置にランクインしました。
制作者の意図以外に、いったいどんな要素がランキングに影響を与えていたのでしょうか?