【名馬列伝】「グレード制導入」の変革時代に現れた”最強マイラー”ニホンピロウイナー。短距離路線の先駆者が新時代の扉を開いた

 1980年代半ばのこと。シンボリルドルフが「皇帝」の呼び名で中央競馬を席巻していた時代、「マイル以下なら、こちらのほうが強い」と称された馬がいた。安田記念(GⅠ)に勝ち、マイルチャンピオンシップ(GⅠ)を連覇する輝かしい実績を積み上げたニホンピロウイナーがその馬である。

 父はタカラスチールなど、短距離を得意とする産駒を多く出したアイルランド産のスティールハート。母ニホンピロエバート(父チャイナロック)はクラシック二冠を制したキタノカチドキの半妹という良血で、その母系はダイオライト、ライジングフレーム、チャイナロックと、歴代の名種牡馬との交配を続けられた底力のある血脈である。字面だけで言えばニホンピロウイナーは、父の短距離指向を母系のパワーで裏付けする、そんな配合のもとに生まれた。
  栗東トレセンの服部正利厩舎に預けられたニホンピロウイナーは1982年9月に河内洋の手綱でデビュー(阪神・芝1200m)する。これを楽勝すると、次走(OP、阪神・芝1200m)はレコードタイムで圧勝。続くデイリー杯3歳ステークス(重賞、京都・芝1400m、現・2歳ステークス)にも勝って3連勝を収めたが、12月の阪神3歳ステークス(2歳重賞、阪神・芝1600m)で2着となり、初めて土が付いた。

 武邦彦に乗り替わって迎えた3歳初戦のきさらぎ賞(重賞、中京・芝1800m)を勝ったニホンピロウイナーは距離延長の目途がついたと思われた。だが続くスプリングステークス(重賞、中山・芝1800m)が6着、皐月賞(重賞、中山・芝2000m)がのちの三冠馬となるミスターシービーの20着と連敗したことで、クラシックを諦めて短距離戦線に矛先を変えることになる。ただし、大敗した2戦はいずれも不良馬場での競馬だったため、敗因は道悪だとする見方も一部ある。

 路線変更した初戦の阪急杯(重賞、阪神・芝1400m)は単勝1番人気に推されながら9着に敗れたものの、そのあと2走をはさみ、9月のオープン(阪神・芝1600m)は2着に好走。そして10月のオパールステークス(OP、京都・芝1600m)を快勝して勢いに乗ると、トパーズステークス(OP、京都・芝1400m)、そして重賞のCBC賞(中京・芝1200m)を制して83年シーズンを3連勝で締めくくった。そして彼は、この年のJRA賞最優秀スプリンターに選出された。 1984年は特にマイルから1200m戦を得意とする短距離馬やマイラーにとって、一気に存在価値が爆上がりするような変化が起こった。JRAが重賞にグレード制を導入し、マイル戦では安田記念(東京)がGⅠに昇格したのに加え、秋には新たなGⅠとしてマイルチャンピオンシップ(京都)が誕生。これまで冷遇されていたマイル~短距離路線を主戦場とする馬たちとオーナー、そのスタッフたちにとってはこの上ない朗報となった。それはニホンピロウイナーにとっても嬉しいニュースであり、路線変更した途端に起こった大変動で、その恩恵をフルに受けるお膳立てができたようなものだった。

 4歳となり、GⅠに昇格した安田記念を春の目標に据えたニホンピロウイナーは、初戦の淀短距離ステークス(OP、京都・芝1200m)を快勝したものの、続くマイラーズカップ(GⅡ、阪神・芝1600m)は不良馬場が堪えて2着に甘んじる。また運が悪いことに、軽度の骨折が判明して安田記念への出走は不可能となってしまった。

 幸いにして患部の治りが早かったため、9月の朝日チャレンジカップ(GⅢ、阪神・芝2000m)で戦列復帰する。このレースを60キロという酷量を背負いながら勝利すると、続くスワンステークス(GⅡ、京都・芝1400m)は2着を7馬身もちぎってレコードタイムで圧勝。絶好調で本番へと向かっていった。
  記念すべき第1回マイルチャンピオンシップ(GⅠ、京都・芝1600m)を迎えた。勇躍ニホンピロウイナーが臨むまさに大一番で、彼を迎え撃つのは3月のスプリンターズステークス(当時GⅢ)、京王杯スプリングカップ(GⅡ)、安田記念(GⅠ)と、春季短距離重賞を3連勝して勢いに乗るハッピープログレスである。しかし、前哨戦のスワンステークス(GⅡ)で同馬を大差の3着で降したレース内容が評価されて、ニホンピロウイナーは単勝1番人気となった。

 レースは3番枠から出たニホンピロウイナーがさっとインの3~4番手を奪い、先行・差しの正攻法に出る。一方のハッピープログレスは、いつも通りに後方待機で、今回は向正面で16頭立ての最後方から追走という極端なレース運びをとる。有力2騎が前と後ろで大きく離れ、ここから先にどんな結末が待っているのか。誰もがワクワクするような戦いとなった。

 そして第3コーナーを回ったあたりから、”鬼才”田原成貴が乗るハッピープログレスが馬群の外を通って一気に進出し、直線入り口では早くも先頭に躍り出る。一方、”関西のエース”河内洋が手綱をとるニホンピロウイナーは内ラチ沿いへ進路をとって力強いフットワークで脚を伸ばし、残り100メートル付近で先頭を奪う。そして、再び脚を使ったハッピープログレスが迫ろうとしたが、半馬身差まで詰めるのが精一杯。ニホンピロウイナーの完勝であった。

 そしてこの年も、ニホンピロウイナーは2年連続でJRA賞最優秀スプリンターに輝いた。 翌85年。春はマイラーズカップ(GⅡ=1着)、大阪杯(当時GⅡ=8着)、京王杯スプリングカップ(GⅡ=1着)を経て、ニホンピロウイナーは安田記念に参戦した。レースは中団から進み、直線半ばで先頭に立つと、追いすがるスズマッハを3/4馬身振り切って2つ目のGⅠタイトルを手にし、「マイルに敵なし」を印象付けた。

 秋は当初、中距離路線へ矛先を向けたが、毎日王冠(GⅡ)が4着。「皇帝」と称されたシンボリルドルフと初対戦となった秋の天皇賞(GⅠ)は3着と、いずれも上位に食い込む健闘を見せた。ちなみに、その天皇賞は安田記念で5着に降したギャロップダイナが勝ち、シンボリルドルフを2着に破る波乱を演じた。
  そして引退レースとして臨んだマイルチャンピオンシップでは、単勝1番人気に推されて堂々とゲートイン。道中は先行馬群のなかで仕掛けどきを待つ構えで、ニホンピロウイナーは折り合って進む。

 そして直線を向くと、あっという間に馬群から抜け出し、後続にセーフティリードとも言える差を付けて独走態勢に持ち込む。結果、最後は鞍上の河内が手綱を抑えるほどの余裕を見せ、2着のトウショウペガサスに3馬身差をつけて完勝。本レースの2連覇という土産と”最強マイラー”の称号を手に、現役生活の幕を閉じた。さらにこの年、3年連続となるJRA賞最優秀スプリンターに選出。文字通り、有終の美を飾った。

 ニホンピロウイナーは種牡馬となってからも目を見張る活躍をしている。天皇賞(秋)、安田記念を2度制したヤマニンゼファー、高松宮杯(現・高松宮記念)とスプリンターズステークスを勝ったフラワーパークという傑出した産駒を輩出。彼の現役時代を知る多くのファンを喜ばせた。

 中長距離戦と比べると一段低く見られていたマイル・短距離戦だが、距離別路線の整備に加えてグレード制が導入され、2つのマイルGⅠが誕生。このタイミングに合わせたかのように出現し、そのカテゴリーのプレゼンスを大いに高めたニホンピロウイナーは、日本の現代競馬にあって、もっと評価されていい優駿である。

文●三好達彦

【関連記事】【名馬列伝】”ミスター競馬” 野平祐二に「スーちゃん」と呼ばれ、愛されたスピードシンボリ。現代競馬の礎を作った歴史的名馬の激闘譜
【関連記事】【名馬列伝】「牝馬の枠に収まらない」デビュー前のジェンティルドンナに抱いた石坂調教師の直感。牝馬三冠は偉大な貴婦人物語の序章に過ぎない<前編>

 
【関連記事】【名馬列伝】稀代の“貴婦人”ジェンティルドンナ。三冠馬オルフェーヴルに臆さない闘志、有終の美を飾った有馬記念…最強牡馬たちとの激闘譜<後編>