明らかになる電気味覚の原理
宮下:実は僕らも、発表当初はこうした効果がなぜ出るのかはっきりわかっていなかったんです。単純に舌の味覚神経(味蕾)を電気が刺激するから、というように理解していました。
でもそんな説明では納得しない研究者がいたんですね。それが当時大阪大学に所属していた青山一真先生(現東京大学)なんです。青山先生は被験者に電極を直接貼り付け、電気によってどういった味が変化するのかを徹底的に研究して発表したんですよ。
その結果、電気で味が変化する原因は、食品が含む味覚刺激物質のイオン化(電離)にあることがわかったんです。
kain:すごい先生ですね。
宮下:青山先生は今や、常に一緒に研究を行う共同研究者となっているんです。
kain:それは面白い話ですね。研究チームってこういう縁でも広がっていくものなんですね。
電気味覚研究は、宮下先生を研究代表者とするプロジェクトとしてキヤノン財団助成「理想の追求」に採択されました。左から、宮下先生、青山さん、中村さん。 / Credit:宮下研究室提供
宮下:青山先生はこのことから電気の陰極刺激で操作可能なのは、味を生む物質が電解質の場合だけだということを明らかにしました。
kain:電解質というのは、水などに物質が溶けたとき電気を流す性質のことですね。
宮下:塩味を生み出すのはNaCl(塩化ナトリウム)いわゆる塩ですが、これは電解質で水に溶けた際「Na+」のナトリウムイオン(陽イオン)と「Cl–」の塩化物イオン(陰イオン)に分かれます。このせいで塩水は電気を流しやすいんですね。でも砂糖はイオンに分かれない非電解質です。電気的に中性となり、砂糖は電気の影響を受けないんです。
kain:陰極のときだけ塩味が消えるのはなんでなんですか?
宮下:実は味蕾が反応していたのはナトリウムイオン「Na+」だけなんだよね。「Cl–」には反応しない。陰極を舌に接続した場合、プラスの電荷を持つナトリウムイオンは磁石のように陰極に引き寄せられてしまうため、塩味を感じなくなっていたんです。そして食品が電極を持つデバイスから離れると陰極に集まっていたナトリウムイオンが一気に開放されて口内に広がるんです。
Credit:明治大学 宮下研究室
kain:これが、陰極を接続したとき、味がぶわっと広がる現象の正体なんですね。
宮下:「イオン」って説明すらもテレビ局に嫌われるので、こうやって記事で正確に説明していただけるのはありがたいです。
kain:あんなにマイナスイオンがリラックス効果とかいってるのに(笑)。
宮下:そうなんだよ!
進化していく電気味覚
宮下:青山先生の研究で味を生む物質が電解質ならなんでも電気で制御可能とわかったんです。苦味をもつ塩化マグネシウムや、酸味を生むクエン酸も電解質だから電気で制御できます。
kain:じゃあ甘味だけはどうにもできないわけですね。
宮下:ところが青山先生は、この問題についても解決方法の手がかりを発見しているんです。グリシンという物質です。プラセボ効果の対照実験などに使われるまったく無害な白い粉ですが、若干の甘味を持っていて、しかも電解質なんです。青山先生はこのグリシンを使って検証し、抑制・増強効果が発揮されることを確認しました。
他に、後から宮下研究室のメンバーに加わった学生たちも、続々と新しい発見や研究を発表してるんです。博士前期課程2年の上野さんは、電極を喉に貼り付けることによって、スポーツドリンクなどの甘味の後味が長引いて増強されることを発見したんです。この発見はとても画期的だと思っています。
Credit:電気味覚で甘味を制御する手法/明治大学 宮下研究室 / 上野新葉
kain:喉に電極を貼ると味が長引くというのは、何か舌の奥では苦味を感じやすいとかそういう話と関係あるんですか?
宮下:舌の位置によって味の感じ方が変わるという味覚地図だね。これは最近の研究で間違いだったことが明らかになったんですよ。5味を感じる味蕾は舌上のどこにでもあるのです。
kain:あれ間違いだったんですか。
宮下:僕らが子供の頃には教科書にも載っているような常識だったものね。でも、実際そういう感じ方をする人は多いみたいだから、味蕾の分布とは別の原理が存在しているのかもしれない。そこはちょっと僕にもまだわからないな。辛味も分類上は痛覚になって味とは異なる刺激になるんだよね。
kain:辛いって味じゃないんですね。
宮下:僕らの感覚からすると「え? そうなの?」ってなるよね。味については僕たちがまだ解明しきれていない原理が色々潜んでいるのかもしれないです。
kain:では、なんで喉に電極をつけると甘味が長引くんですか? というか陽極を貼っているということは、さっき解説した陰極刺激とは関係ないってことですよね? そもそも砂糖は誘導されないってさっき話してましたし。
宮下:そう、そこがこの研究の重要なところで、ここでは陽極刺激を利用してるんです。
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プラス電極から明らかになる味覚の秘密
kain:そういえば、陽極を食品につなげると金属のような味になる、と最初に解説していましたけど、陽極で起こるこの作用は一体なんだったんですか?
宮下:実はこの原因も青山先生がかなり信憑性の高い仮説を立ているんです。これはおそらく5味を感じる受容体全てが電気刺激によってサチっているせいだと考えられるんです。
kain:サチってる?
宮下:ああ、僕らはサチるって言い方をするんだけど、これはサチュレーション、つまりすべての値が振り切れているという意味です。陽極刺激は味蕾を全アクティブにしてしまう効果があって、それによって金属のような味が発生していると考えられるんです。
kain:じゃあ、高校生がドリンクバーでイタズラするみたいに、甘味、酸味、塩味、苦味、うま味を全て混ぜたら金属味のジュースが作れるってことですか?
宮下:すべての味をちょうど同じ強度で混ぜ合わせることができたなら、おそらくそうなるだろうね。
kain:だとすると、喉に陽極を貼ることで甘味が継続する理由は?
宮下:本当は甘味だけを感じているわけではない、と考えられます。陽極刺激の作る味で甘味が継続されたと感じるのは、単純に甘い物を飲み込んだという刺激やイメージによる錯覚も後押ししている可能性が高いです。
kain:陽極刺激にもちゃんと利用価値があったんですね。
宮下:こうした陽極刺激の効果は、宮下研究室で最初に電気味覚の研究を始めた卒業生の中村さんが、2016年に『NO SALT RESTAURANT』というプロジェクトで発表しています。
『NO SALT RESTAURANT』はその名の通り、一切塩を使わない料理を電気刺激によって「塩の利いたおいしい食事」に変える試みで、高血圧症や脳卒中の患者さんの健康と、食の楽しみを両立させることを目指しています。
中村裕美らの協力による『ELECTRO FORK』と無塩料理のフルコース/Credit:2016 NO SALT RESTAURANT Committee (J. Walter Thompson Japan / The University of Tokyo / aircord / AOI Pro. / vector Group SIGNAL, Inc. / Ishii Clinic)
kain:塩を一切使わないんじゃ、陰極刺激が利用できないですね。
宮下:僕も最初この発表を聞いたときは多少塩を使ってるんだと思ったんです。だから「陰極刺激を使っているんだよね?」って中村さんに聞いたんです。そうしたら「違います。陽極なんですよ」って言われて逆に驚きました。
kain:確かに見た目からして塩気の強そうな料理が並んでますね。
宮下:「きっと塩味がする」という思い込みが、無塩料理を電気刺激によって塩の利いた料理のように感じさせてくれるんです。
ちなみに、このプロジェクトは学会のみならず世界中で大きな話題になって「文化庁メディア芸術祭2017」で優秀賞を受賞しています。
kain:すごい。既に社会に実装される段階まで進んでるんですね。
宮下:あとは、上手く電力を確保できれば永遠に味を生み出せるという特性に目を向けて、宮下研を卒業した大学院生である大場くんは圧電素子を使った「無限電気味覚ガム」なるものを開発しています。
圧電素子を使って噛む力で電力を生み出しているので、噛んでいる限り味がします。
Credit:【インタラクション2018】無限電気味覚ガム:圧電素子の咬合を用いた口腔内電気味覚装置/大場直史/明治大学 宮下研究室/明治大学 宮下研究室
kain:米軍にでも紹介してあげたいですね。
宮下:確かにいっつもガムを噛んでるイメージがあるね。ただ、このガムは少なくとも僕はそんなに美味しいと思わないですね。このガムで発生するのは両極刺激だから、感じられる味は苦味・塩味・金属味が混じったような味なんです。
kain:それはノーセンキューです。なかなか悩ましい発明品ですね。
宮下:最初は一見不格好で不可思議なものに見えるけど、未来を形作るデバイスは、こうした研究の中で生まれていくんです。外部からの給電や充電、あるいは有毒な電池の内蔵…という電源の問題を解決する糸口としては、すごい研究ですよ。
kain:いずれ自在に味を生み出せるようになれば、こういう発想も重要になりますね。化学物質が作用する刺激は制御が難しいと考えられていたのに、かなり実現に近いところまでこぎつけているように感じます。添加物みたいな化学物質の調合で味を作るより遥かに健康に良さそうですし。
宮下:僕たちは何のために食べているのかということだよね。添加物でフェイクの食べ物も今は世の中に満ちているけれど、味さえ求めた通りに楽しめるならば、別に食品それ自体は不要かもしれない。
大量に食品を作っては廃棄している一方で、地球全体の食糧危機という問題も耳にする。シンセサイザーで自由に音を作るように、電気で味だけ自由に作れるようになれば、健康に害を及ぼすものを食べる必要も、必要以上に食品を作る必要もなくなるかもしれません。
kain:非常に意義深い研究ですね。エナジーバーグが主食の人が言ってるセリフとは思えないですが。
宮下:それは言わないでください。
未来に向けて
最後に、宮下教授は、一本の小説を紹介してくれました。
それは未来を予言していると言われるSF作家、星新一の短編集「妄想銀行」に収録されているショートショート作品「味ラジオ」です。
この小説の中では、未来の人々がラジオから送信される味の情報を奥歯のデバイスで読み取って、ただの水を紅茶やコーラの味として楽しんだり、ガムを噛みながらチーズやビーフシチューの味を楽しんだりしています。食事は健康に良い栄養食だけを摂って、味は独立した娯楽として享受できるのです。ここに描かれているのは、そんな未来の姿です。
荒唐無稽で魔法のようなSFの世界。しかし、それはいつの間にか私たちとって当たり前の世界として広がっていきます。インターネットもスマートフォンも、なんだか突然世界に現れたように私たちは感じてしまいます。しかし、その裏では何10年も掛けた地道な研究者たちの努力があるのです。
ここで紹介した今はまだ未熟な電気味覚技術も、いずれ星新一が描いた小説の世界のように、気がつけば私たちの生活になくてはならない存在になっているのかもしれません。
この研究については、明治大学、東京大学、大阪大学の共同研究として『Digital Content EXPO2019』に出展され、イノベーションによってコンテンツ産業の発展に大きく貢献が期待される技術として『Innovative Technologies 2019』に表彰されています。
「Innovative Technologies 2019」の表彰楯 とともに。左から青山一真さん(東京大学) 原 彰良さん(大阪大学)、上野新葉さん(明治大学 宮下研究室)、中村裕美さん(東京大学)。 / Credit:宮下研究室提供
【編集注 2019.11.14 23:30】
記事の一部を修正しました。
【編集注 2019.11.18 09:30】
誤字を修正して再送しております。
【編集注 2023.09.15 10:30】
記事のレイアウトを修正しました。
参考文献
明治大学 宮下研究室
https://miyashita.com/
ライター
海沼 賢: ナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。
編集者
ナゾロジー 編集部