DeNAは9月22日、球団OBであり「ライオン丸」の愛称で親しまれたジョン・シピン氏が登場。現役時代にもプレーした横浜スタジアムにて、試合前にセレモニアルピッチを行なった。
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シピン氏は現行のベイスターズのユニホームで登場したが、マウンド上で下に着込んでいた川崎時代のユニホームを披露し観客をどよめかせると、現役時代ともにプレーした田代富雄・元打撃コーチ相手に投げ込んだ。その後、再会を確かめるようなしっかりとしたハグをし、田代コーチは「きょうお会いできて、本当に嬉しいです」と声を震わせながら感謝を述べた。
また、シピン氏も笑顔で応じながら「46年前の大洋ファンのこと忘れてない。ありがとう。横浜ベイスターズの選手!頑張って!」と見事な日本語でスピーチし、スタンドから大きな拍手が送られた。
そのあと2人は取材に応じ、田代コーチがシピン氏に対し「僕がヤングボーイだった22歳、初めて一軍に上がったとき、ものすごいお世話になって。周りはすごい先輩ばっかり。その中でボイヤーさんとシピンさんは遠征でホテルも、食事も違うんだけど、ステーキハウスに呼んでいただいて。またスーツも作って頂いて。広尾の家でバーベキューに呼んで頂いて1キロの肉をごちそうになったり。そういうのがあったから、1軍の雰囲気にも慣れることができて、すごく助かりました」と公私ともに世話になったことを振り返りつつ、感謝の念を表した。
一方のシピン氏も、「最初に1軍に昇格された時に、この若い選手は本当に素晴らしい才能の持ち主と思ってました」と回顧。「打撃は本当に天才的なものもありましたし、あとはプロのバッターとしての経験の部分は積み重ねていかないといけないなとは思ってましたけど、もともと持ってるものは並々ならぬものを持っていたと思いました」と語り、若き日の田代氏の才能を買っていたからこそ、交流を持ったと吐露した。
続けて、「ボイヤーさんのあとのサードを守り、一緒にプレーができて本当に嬉しかったですし、私が巨人に移籍した後も、田代さんの活躍を見るのが本当に嬉しかったです」と微笑んだ。
田代氏はプレー面で印象に残っている点は、「ゴロの取り方はものすごく勉強になった。 一緒にノックを受けると、シピンさんはボールがグラブに入ってくる。俺は取りに行くんだけどね。それで僕は基本練習をキャンプの時にずっとやらされたので、それは1番大事だったですね」とダイヤモンドグラブ賞を2度も受賞した匠の技に驚愕を受けたと懐かしんだ。
77年を最後に移籍したことに「本当に強い大洋からトレードになった時は、最初は本当に残念でした。今でもそうかもしれないですけども、巨人のユニホームっていうのは、伝統のあるユニホームで、着たいと思う選手は多いかもしれないんですけども、自分にとっては私を大切にしてくれたホエールズのユニホームは、自分にとって大事なユニホームです。本当にホエールズのユニホームを着られたことを誇りに思っています」と大洋に対するリスペクトを強調した。
時を経て指導者となった田代氏に「選手としても素晴らしい方ですし、コーチとしても素晴らしい方です。アメリカだとすべて全力プレーをするっていうのは、いまや難しいですけど、日本だとすべて全力プレーをしてる姿が目につきます。やはりそういう姿勢も、田代さんの指導のおかげでもあるのではないかと思います」と頷きながら、「田代さんに教えてもらえる選手たちは、本当に羨ましいというか、光栄だなと思います。田代さんからもらったものを選手は活かして、またそれを次の世代につなげてくれたらと思います」とエールを送った。
1971年に来日し、72年と73年にベストナイン、ダイヤモンドグラブ賞を2年連続で受賞。75年には34本塁打をマークし、攻守に渡り多大な貢献を果たしたレジェンドのシピン氏。終盤の負けられない戦いの真っ只中、ベイスターズはライオン丸の心意気を、力に変えていく。
取材・文●萩原孝弘
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