「俺は8回優勝しているべきだった」御大シャックがレブロンと共闘したキャブズ時代を回想「そういう機会を台無しにしてしまった」<DUNKSHOOT>

 現地時間9月21日(日本時間22日)、ユドニス・ハズレムとマイク・ミラーがホスト役を務めるポッドキャスト番組『The OGs』の、シャキール・オニール編の最新エピソードが公開された。

 1992年のドラフト全体1位でオーランド・マジックから指名されてNBA入りしたシャックは、マジック、ロサンゼルス・レイカーズ、マイアミ・ヒート、フェニックス・サンズ、クリーブランド・キャバリアーズ、ボストン・セルティックスと渡り歩き、計19シーズンをプレー。

 公称216cm・147kgの体格にパワーとスピード、テクニックまで兼ね備えた怪物ビッグマンは、新人王を皮切りにオールスターに15度、オールNBAチームに14度、オールディフェンシブチームに3度選ばれたほか、2016年に殿堂入り、2021年には75周年記念チームにも名を連ねた。

 そして2000~02年にかけて、レイカーズで3連覇とファイナルMVP、2006年にもヒートで優勝し、計4つのチャンピオンシップを獲得。しかも、マジック時代の1995年、レイカーズ在籍時の2004年にもNBAファイナルへ進出していた。
  リーグ史上最高級の支配的なビッグマンとしてキャリアを終えたシャックは、番組内で「8つのリングを手にしているはずだった」と発言。優勝する可能性があったシーズンに、レブロン・ジェームズ(現レイカーズ)とクリーブランド・キャバリアーズで共闘した2009-10シーズンを挙げている。

「偉大な選手たちについて話すのであれば、俺にもブロン(レブロンの愛称)と一緒にプレーする機会があった。彼のプレーぶりやリーダーシップの取り方には本当に驚いた。彼と一緒にプレーしていた時の俺は(全盛時の)シャックではなかったが、いいロールプレーヤーではあった」

 このシーズンのキャブズは、身体能力面で全盛時にあったレブロンが2シーズン連続でMVPに輝き、リーグベストの61勝21敗(勝率74.4%)をマーク。モー・ウィリアムズやデロンテ・ウエスト、シーズン途中にはアントワン・ジェイミソンを加え、戦力増強に成功して優勝候補の筆頭と評されていた。
  先発センターのシャックは平均23.4分のプレータイムで12.0点、6.7リバウンド、1.5アシスト、1.2ブロックにフィールドゴール成功率56.6%を記録。ベテランの“ロールプレーヤー”と見れば有能な選手だった。

 だが2010年2月下旬のボストン・セルティックス戦で負傷し、レギュラーシーズン残り試合を全休。プレーオフで復帰して11試合で平均22.1分、11.5点、5.5リバウンド、1.4アシスト、1.2ブロックにフィールドゴール成功率51.6%を残すも、キャブズはセルティックスとのカンファレンス・セミファイナルに2勝4敗で敗れた。

 当時の記憶をシャックはこう振り返る。

「俺たちはカンファレンスで1位にいた。ボストンと対戦した時、ビッグ・ベイビー(グレン・デイビス)が俺の手を折ったんだ。6週間離れることになった。復帰しようと努力してきたが、その場にはいられなかった。で、ボストンに負けたんだ」
  もしかすると、シャックはケガのためプレーオフへ出場できなかったと思っていたのかもしれない。実際にはポストシーズンで復帰して先発センターを務めたものの、本調子ではなかったのだろう。

「リングについて考えてしまうことはいくつもある。俺は8つのリングを手にしているべきだったとね。フリースローの話をしているんじゃない。俺はただ、そういった機会の数々を台無しにしてしまったことについて話している」

 NBAファイナルへ出場できるのは毎年2チームで、王座に輝くのは1チームのみ。そこに辿り着くまでにはレギュラーシーズン82試合、現行フォーマットではプレーオフのファーストラウンド、カンファレンス・セミファイナル、カンファレンス・ファイナルで相手より先に4勝しなければファイナルまで勝ち上がれない狭き門となる。

 ファイナル出場6度、優勝4度を誇るシャックにとっても、NBAの舞台でプレーしてきた中で、悔しい思いがいくつもあったということなのだろう。

文●秋山裕之(フリーライター)

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