もうひとりの恩人は仕事の幅を広げてくれた寛平師匠
そして、もう1人、いまは新喜劇のGM(ゼネラルマネージャー)になられている間寛平師匠。自分の仕事の幅を広げるのに、ものすごくお力を貸していただいた方です。
初めてお会いしたのは7~8年前、ルミネのSPコメディ枠に僕が代役で出ることになったときに、誰かが「宮地さんって脚本も書けるんですよ」と言ったのを聞いて、寛平師匠が「次の新作、お前に書いてもらおうかな」とその場でチャンスをくださったんです。
寛平師匠は「変でもいいから攻めたものをやりたい」と、あの年齢でも攻めている方で、枠からはみ出すような脚本を求めてくる。初めにお願いされたのが「ウナギの養殖をしている人とダムの建設に反対している人とのもめごとの話を書いてくれ」と。
とにかく調べて1週間めちゃくちゃ向き合ったんだけど、いっこうに面白くならなくて(笑)。それを正直に伝えたら、「じゃ、ボケは俺だけでええから、あとは面白くしてくれるツッコミ7人集めてくれ」と。それで『寛平がまとわりつく7.5人』というユニットコントを書いたんです。
出典: @nibugomiyaji
それが斬新で、めちゃくちゃ盛り上がって、結局、その後3回やって、さらに単独公演にまでなったんですよね。その後、寛平師匠が新喜劇のGMに就任されたときに「いまの新喜劇を新しいものにしたい。宮地、書いてみたらどうや」と言ってくださって。65周年の4座長公演の1発目も書かせてもらった。そういう縁がつながって、いまはNGK(なんばグランド花月)の新喜劇(アキ座長公演)でも脚本を書かせてもらったりしています。
寛平師匠の自由な発想力って僕にはないものなので、いつも感服していますし、自分のクリエイティビティの枠を毎回、広げていただいている気がしていますね。
出典: FANY マガジン
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吉本を退所する本当の理由とは?
──話を聞いていると、宮地さんは“吉本愛”が深いように感じるのですが、なぜいま27年間所属した吉本を去る決断をしたのですか?
いや、たぶん愛が深いからこそ決断した感じですね。いま48歳なんですけど、吉本にお世話になりすぎて、このままの状態で50代を迎えていいのかっていう葛藤が出てきて。家族みたいに親身になって手を差し伸べてくれる方々にずっと甘えていていいのかなというところもあって。
あとは単純に、もうプレイヤー(芸人)として舞台に立つつもりがない、というのがいちばん大きい。ニブンノゴ!の解散を発表した2月にそのまま退所するっていうのがよかったのかもしれないけど、その段階では人前に出るのも好きだったので決断できなくて。2月からの数カ月を作家としてやってきて、「あ、自分の50代はここに骨をうずめる覚悟でやってみてもいいのかな」と思えたので、それは必要な数カ月でしたね。
──今後、やっていきたいことは?
吉本を離れても大丈夫かもと思えた理由が、今年になって吉本新喜劇の台本を本格的に書かせてもらっていることなんです。ありがたいことに、吉本新喜劇というものに携われているので、だから逆に離れても大丈夫なのかなと思えたのもあります。
あとは、テレビの作家の仕事もさせていただいていて。僕が作家として何かアドバンテージがあるとしたら、がっつり25年以上もプレイヤーをしてから作家になったということ。芸人をやってた人が作家になるケースは多いけど、僕みたいにがっつりやってた人って、たぶんあんまりいないと思うので。
テレビもネットもそうですけど、タレントさんの気持ちは自分もやっていただけに誰よりもわかるので。タレントさんに寄り添ったコンテンツを作っていけたらなと。制作陣も出演する側もどちらもwin-winになるようなコンテンツに、この先、自分が携われたらなと思っています。
──吉本を去ると決めたいま、どんな気持ちですか?
もうね、寂しさがめちゃくちゃありますよ。でも、うれしさと寂しさが共存している感じもあります。うれしさというのは、僕がマネージャーさんに退所のことを伝えたら、1週間後には、いまや吉本の重鎮の社員さんたちが「辞めて大丈夫なのか」と心配してくださっていたと聞いて。何の功績も残していないような僕のことを心配してくださるって、すごくありがたいなと。改めて、いい会社だったんだなって思いますね。
いま48歳で、50歳が見えてきた。荒波だと思うけど、50代を攻めていくための第一歩が今回の退所なんですよね。不安はもちろんあります。ありますけど、トリオ解散からジワジワと始まっていた流れでもあるし、作家という場所が自分にも合うなと思うので。一度きりの人生の20代、30代、40代を吉本興業で過ごさせていただいたことに本当に感謝しかないし、一片の悔いもないです!
出典: FANY マガジン