「どの試合も彼にとってはワールドシリーズ第7戦だった」故ピート・ローズが永久追放後もファンから愛された理由<SLUGGER>

  メジャーリーグ史上最多である通算4256安打の記録保持者ピート・ローズが9月30日に83年の生涯を閉じた。野球賭博への関与で1989年に永久追放処分となったため、殿堂入りこそ実現していないものの、まぎれもなくアメリカ球界に名を残す名選手であり、多くの人が悲しみと惜別のメッセージを寄せている。

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 史上最高の三塁手で、フィリーズ時代のチームメイトだったマイク・シュミットは「彼は私を笑わせ、リラックスさせてくれた。試合を楽しむことを教えてくれたのだ。それは私にとって最も必要なアドバイスだった」と感謝。首位打者5回の名打者ウェイド・ボッグスも「この気持ちを表現する言葉が見当たらない。彼は私のアイドルであり友人だった。私はピート・ローズになりたいと思って育ったのだ」と悲しんだ。球界だけでなく、ドナルド・トランプ前大統領も「葬式の前に彼を殿堂入りさせよ」とXに投稿していた。

 日本でも訃報は大きく取り上げられたが、残念ながら否定的なニュアンスの記事が目についた。ここ数年の日本におけるローズのイメージは「イチローの偉業にケチをつける頑固ジジイ」。2016年にイチローが“日米通算”の安打数でローズを抜いた際、建て前だけでも祝福していれば良かったものを「日本の野球は3Aレベルだろ。俺がマイナーで打った427本のヒットもカウントしろ」と反発。今年3月、大谷翔平の通訳が起こした不法賭博騒動でも「俺にも通訳がいれば良かったのに」と厭味をかまして、ますます嫌われ者になっていた。

 しかし、現役時代のローズは嫌われ者どころか、親日家としても知られ、日本で最も人気のあるメジャーリーガーであった。そうした時代を知るファンの多くは、ローズの言動を残念に思うと同時に、彼の業績よりもネガティブな要素の方を強調する記事を嘆かわしく思っているのではないだろうか。
  
 永久追放処分となっても、地元出身だったこともあって、ローズはレッズの本拠地シンシナティでは最後まで人気者だった。1963年にメジャーデビュー。特徴的なクラウチング・スタイルから左右にラインドライブを打ち分け、200安打10回、最多安打7回。68、69年には2年連続首位打者となった。

 こうしたバッターとしての才能以上に、ローズはエネルギッシュなプレースタイルで人気を博した。彼自身「才能だけじゃメジャーに上がれなかった。ハッスルプレーこそが俺をメジャーリーガーにして、そこにとどまらせた。それ以外のプレースタイルを俺は知らなかった」と言っていた。元チームメイトのジョー・モーガンいわく「162試合すべて全力プレーだった。どんな試合も、彼にとってはワールドシリーズ第7戦だったんだ」。

 強烈な個性ゆえ、誰からも好かれたわけではなかった。「記録のためにプレーしている」「あのハッスルプレーも計算ずくだ」と陰口を叩かれたり、金に汚いとも言われたりした。だが豪放磊落なイメージに反し、体調管理には人一倍気を配っていた。そうでなければ、あれほど激しいプレーを続けながらも故障がほとんどなく、40歳を超えてレギュラーを張り続けることもできなかっただろう。こと野球に関しては、ローズほど真摯に取り組んだ選手はほとんどいなかった。
  
 73年は打率.338で3度目の首位打者となり、MVPも受賞。75・ 76年はレッズを2年連続世界一導いた。78年は5月に史上13人目の3000本安打を達成、6月14日からは44連続試合安打のナ・リーグタイ記録を樹立した。

 その年の秋には、親善野球でレッズの一員として来日。史上最高の捕手ジョニー・ベンチや、前年のナ・リーグMVP受賞者ジョージ・フォスターらスター揃いのチームにあっても、一番注目を浴びたのはヘルメットを飛ばしてヘッドスライディングを決めるローズだった。美津濃の契約選手として日本でも広告キャラクターに起用され、アメリカでは同社の製品を宣伝して回った。新記録となる4192本目のヒットを打った時に使っていたのも、美津濃の特製バット“PR4192”であった。

 79年はフィリーズにFA移籍し、翌80年に球団初の世界一をもたらす。84年8月に監督兼選手としてレッズに戻り、翌85年9月11日にタイ・カッブの記録を破るヒットを放って“ヒット・キング”の座に就いた。だが、翌86年を最後に45歳で引退すると「新記録を達成して、俺には目標がなくなった。自分を熱くさせてくれるものが必要だった」。不幸だったのは、それがギャンブルだったことである。89年、コミッショナー事務局は調査の結果、ローズがレッズを含むメジャーリーグの試合の勝敗を賭けの対象にしていたと断定。8月に永久追放処分が決定した。
 
  
 それでも99年には、ファン投票による「メジャーリーグ歴代ベストナイン」であるオール・センチュリー・チームに選出。資格を剥奪されているはずの殿堂入り投票でも、ローズの名前を記入する記者は絶えず、背番号14はレッズの永久欠番である。どんなに汚辱にまみれようとも、多くの野球ファンにとってローズはずっと特別な存在だった。

 イチローのマーリンズ時代の監督ドン・マッティングリーは「子供の頃はローズのような選手になりたかった。メジャーリーガーになったときも、一塁に出塁した時はいつも気さくに話しかけてくれた」と言い、現役時代を知らないブライス・ハーパー(フィリーズ)も「彼のプレースタイルには尊敬の念を覚える」と語っている。球界以外にもファンは大勢いて、野球好きのロック歌手ヒューイ・ルイスは「あなたの音楽はローズのヘッドスライディングのようだ」と言われて「最高の褒め言葉だ」と感激した。

 ローズに多くの欠陥があったのは事実だ。自分のチームを賭けの対象にするという、プロ野球の根幹を揺るがす真似をしたとあっては、永久追放も妥当だろう。だがそれでも、ローズの野球選手としての輝きまでは消えない。ベテラン記者ティム・カークジアンは、追悼記事においてこのように表現している。「彼は偉大な選手であった。彼以上に懸命にプレーした者はいない。人生において多くの過ちを犯したが、それでも彼は“ピート・ローズ”であることを楽しんでいたのだ」。

文●出野哲也

【著者プロフィール】
いでの・てつや。1970年生まれ。『スラッガー』で「ダークサイドMLB――“裏歴史の主人公たち”」を連載中。NBA専門誌『ダンクシュート』にも寄稿。著書に『メジャー・リーグ球団史』『プロ野球ドラフト総検証1965-』(いずれも言視舎)。

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