敏は芸能界を牛耳る大物たちとも親交が深く、こびへつらうこともなかった。

 酒井法子の薬物事件で話題が持ちきりだった頃、(以降の話もすべて前提の枕詞)「もう時効だから」として、今から45年以上前のこんなエピソードを聞かせてくれたことがあった。

「芸能界のトップの多くはミュージシャンでしょう。ヒロポンが合法だった時代を知ってるんだよ。昔は当たり前だったからね。みんな仲間で毎週、都内のホテルに集まってはポーカー賭博をやっていた。寝ないで朝までやるから、ヒロポンが好きな奴は打ってから来たみたいだな。すでに非合法な時代だったけどね。もちろん、俺はクスリなんか1回もやったことない。あんなものやるのはバカだよ」

 薬物には目もくれないが、博打には目がなかったようだ。

 大の麻雀好きの藤圭子とはサシウマ(特定の1人との順位争いで)50万、100万円というとんでもないレートで一晩中、賭けていたという。

「しかも、昔から彼女は現金払いじゃないと怒る。いつでもまとまった金を持っていたからね」

 やはり博打好きの美川憲一が韓国やフィリピンで打っていると聞くや、

「美川くん、世界のカジノを知らないな」

 とラスベガスのカジノを紹介したという。

 そう、芸事は言わずもがな、大学卒業後に渡米してまで博打の経験を積んだ敏は超一流、世界レベルを求めたのだ。

 かつて敏が新宿・歌舞伎町で「ヴェルサイユ」というホストクラブを経営していた時代がある。そこには下積み時代の石井竜也がホストとして勤務していた。

「ヘルプで付くだけの、何にもできない〝500円ホスト〟だったよ」としつつ、敏は面接に立ち会った際、歌手を目指していた石井にこうアドバイスしたことを覚えていた。

「ショーやりたいなら、ベガスなんかに行って観てこい。お前じゃ無理だよ」

 結果的に石井は米米CLUBでブレイクを果たしたが、敏が歌謡界のスターに抱いてきた理想像は常にブレることがなかったのである。

 余談だが、同ホストクラブにはジャニー喜多川氏も足しげく通っていたそうだ。

「ジャニーは気に入ったホストにソファーの上で奉仕させたんだよなぁ。しばらくしたら『あ〜気持ちぃ〜』って(笑)」

 時にバカ話をしつつも、敏は常に「全部本当の話ですから、(記事に)書けばいいんですよ」と、きっぱり言い切っていたものだ。

 顔を合わせるや「どうも、どうも、どうも」と繰り返す、屈託のない笑顔が忘れられない。享年84。合掌。

*週刊アサヒ芸能10月10日号掲載

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