「日本のチームに行くはずだった。口座に入金もされていた」元ブラジル代表主将がJ移籍破談を回想「彼らは怒っていたよ」

 世界の頂点に立った選手は、Jリーグでプレーするはずだった。

 元ブラジル代表のカフーは2001年、元日本代表の中田英寿氏らとともに、ローマでスクデットを獲得し、セリエAを制した。2002年には日韓で共催されたワールドカップで、セレソンのキャプテンとして戴冠している。

 その後、カフーは2003年にローマを退団した際、横浜F・マリノス入りに近づいた。だが、目前で破談となり、ミランに移籍。日本でその雄姿を披露することはなかった。

 当時のことを、カフーはイタリアでのイベントで、「ローマの次に日本のチームに行くはずだった。口座に入金もされていたんだ」と振り返っている。『MilanNews』が伝えた。

「だが、連絡してこう言ったんだ。『ちょっと問題が生じた。ミランから連絡があったんだ』とね。そして私はミランに行った。彼らは少し怒っていたよ。ミランが払うのは日本のチームほどではなかった。でも、あのミランだったんだ」
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 2008年にミランを離れ、スパイクを脱いだカフーは、「2006年に(当時ミランを運営していたアドリアーノ・)ガッリアーニには2008年で退団すると伝えてあった。ブラジルの父のところに戻りたかったからだ」と回想している。

「そして2008年の夏、2カ月前にガッリアーニと(幹部の)レオナルドから連絡をもらった。オフィスに行ったら、もう1年やろうと。でも、すごくうれしいけど行かせてほしいと伝えた。とてもうれしかったけど、家に帰りたかったんだ。終わりが来ていたんだよ」

 カフーはミランで2004年に再びスクデットを獲得。2007年にはチャンピオンズリーグやクラブ・ワールドカップ優勝に貢献した。世界のトップクラスで活躍した彼が、日本のピッチに立っていたら、どのようなプレーを見せてくれていたのだろうか。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部

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