NBA界の英雄であるコビー・ブライアントは現役時代、ロサンゼルス・レイカーズ一筋20年でプレーした。ひとつのフランチャイズにキャリアのすべてを捧げる忠誠心を見せたが、2007年にダラス・マーベリックス移籍が成立寸前だったと、マブズのマーク・キューバン・オーナーが回想している。
1996年のドラフト全体13位でシャーロット・ホーネッツから指名を受け、トレード先のレイカーズでプロキャリアをスタートさせたコビー。3年目の1998-99シーズンにスタメンに定着すると、シャキール・オニール(シャック)と並ぶ得点源として2000~02年にリーグ3連覇を達成。
シャックが2004年に退団した後は単独エースとなり、05ー06シーズンに平均35.4点、翌06ー07シーズンに平均31.6点と2年連続で得点王に輝き、09、10年にはパウ・ガソルとのコンビで2連覇も果たした。
キャリア終盤は左アキレス腱断裂などケガにも苦しんだなか、キャリア20年間で通算1346試合に出場して歴代4位の通算3万3643得点、7047リバウンド、6306アシスト、1944スティールをマーク。そのほか、シーズンMVP1回、ファイナルMVP2回、オールNBA1stチーム選出11回、オールディフェンシブ1stチーム選出9回、オールスター出場18回、NBA75周年記念チームにも名を連ね、ヘリコプター墜落事故で命を落とした20年には数々の功績が認められ、バスケットボール殿堂入りが発表された。
そんなコビーは、2004年夏に完全フリーエージェント(FA)となり、メンフィス・グリズリーズ移籍を希望したとされるもレイカーズ残留。07年にはレイカーズフロントにトレードを要求したなかで、こちらも結果的にチームに残った。
当時のジェリー・バス・オーナーは泣く泣くコビーの要求に同意し、交渉相手を模索したが、マブズのキューバン・オーナーが殿堂入り選手のシャックがホストを務めるポッドキャスト『The Big Podcast with Shaq』で明かしたところによれば、コビーは07年にマブズ移籍寸前だったという。
「2007年にコビーとのトレードがどれだけ成立寸前だったか知っているかい? それくらい、実現に近づいていたんだ。私はジェリー・バスと話をし、どうにか解決策を見出そうとした。コビーが(レイカーズを)去りたいと言っていたからね。ジェリーは『OK、もし君(コビー)が去りたいのなら、ジーニー(ジェリー・バスの娘でレイカーズの現オーナー)らその他すべての問題に対処する』と言っていた」
キューバン・オーナーは、コビー獲得のための“幻のトレード内容”についても振り返っている。
「ジェリーと話をして、ジョシュ・ハワード、ジェイソン・テリー、そしてドラフト指名権を駒にするつもりだった。私はダーク(ノビツキー)以外は誰でもいいと言ったからね。『コビーはマブ(マブズの選手)になるんだ』と言っていたし、それは文字通り実現すると思っていた。でも、それから(当時レイカーズのゼネラルマネージャーだった)ミッチ・カプチャックが明らかに(トレード阻止に)力を入れ始め、『こんなこと(コビー放出)はできない』と言い、コビーを説得した。そのあとはご存じの通りさ」
レイカーズはその後、08年1月にグリズリーズからトレードでガソルを獲得し、09、10年とリーグ2連覇を達成したのは周知の事実だ。
一方で、マブズの象徴であるダーク・ノビツキーは2023年4月、米YouTubeチャンネル『SHOWTIME Basketball』のインタビューで、コビーからレイカーズで一緒にプレーしようとリクルートされた秘話を明かしていた。
「彼から電話をもらった時、すごく面白くなると感じた。でも、『よく聞いてほしい。私はここダラスに長い間いる。ここで自分のキャリアを終えたいんだ』と言ったら、彼はそれまで以上に私のことをリスペクトしてくれた」
レイカーズとマブズは、2010-11シーズンのカンファレンス準決勝で激突。マブズがスウィープ勝ち(4連勝)でレイカーズの3連覇の夢を打ち砕くとともに、そのまま勝ち上がってフランチャイズ史上初のリーグタイトルを手にすることになった。
もし、コビーがマブズに移籍していたら――。NBAの歴史には、また違ったストーリーが刻まれていたに違いない。
構成●ダンクシュート編集部