外務省のエリートコースといえば、戦後長らく条約局(現在の国際法局)であったことは間違いない。条約課担当官、条約課長、条約局長を務めた人物が次官等のポストに昇進するケースが相次いできた。その意味では、条約課長の重みは、北米一課長、北東アジア課長(朝鮮半島担当)、中国課長、ロシア課長を長らく上回ってきたと称しても過言ではないだろう。
その背景には、対外的には、大東亜戦争後から少なくとも1970年代に至るまで戦後処理が日本外交の大きな課題であり、旧ソ連、韓国、中国、さらには北朝鮮といった難しい隣国との国交正常化交渉に俊秀を当てる必要が高かったことがある。
対内的には、いわゆる55年体制の下で日米安保条約体制に係る国会審議対応が焦眉の急で、安保条約、地位協定の解釈・運用に通暁した者が重宝されたことも大きい。さらに、国連PKO活動への自衛隊部隊の参加、集団的自衛権行使の限定的容認といった国策の根幹に関わる政策変更が憲法、国際法についての正確な理解と該博な知識を必要とするものであったことも預かって余りある。
だが、時代は変わった。外務官僚に求められるものが、安保条約や過去の国会答弁前例を巡る訓詁学ではなく、日本の防衛力整備を含む国防政策と外交政策の緊密な連携・調整、「日米豪印」のような既存の地域局の枠組みを超える地域横断的な枠組みを作っていく発想と対応、に転じてきた。外務省内の総合政策局、内閣にあっては国家安全保障会議事務局の役割が重要な所以だ。
しかしながら、こうした流れは法的マインドの重要性が低下したり、条約局が長年担ってきた歴史的使命が終了したことを意味するものではない。
実際、法的には片付いたはずの戦後処理の揺り戻しは、今なお繰り返し起きている。慰安婦問題、徴用工問題は好例だ。化学兵器禁止条約という多数国間条約の作成を契機として、戦後処理レジームの下では中国側の問題であった遺棄化学兵器の処理を日本が法的義務として負わされることになったのは、日本外交の「抵抗能力」の弱さを如実に示している。
日中国交正常化の際に周恩来が述べたとされる「法匪」たる優秀な条約担当官が今も必要なのである。
もうひとつの大事な課題は、国際訴訟に臨む体制の強化だ。
日本政府は岸田総理以下、金太郎飴のように「法の支配」が重要だと国際場裡で訴えてきたが、実態は伴っているのか?そうした省察が不可欠だ。「法の支配」を唱えるなら、紛争が生じた場合に法的手続きに従って解決を図るのが最優先であるべきだろう。しかし、捕鯨問題について国際司法裁判所で敗訴し、福島第一原発事故後に導入された韓国の食品輸入禁止措置についてのWTO上級審で勝てなかった日本外交は、今なお腰が引けたままだ。中国による水産物全面禁輸という言語道断な措置に接しながら、WTO提訴を求める内外の声に抗している体たらくだ。
これでは、「法の支配」が泣く。国内の大手法律事務所等の力を借りながら、まだまだ「条約局」(国際法局)を強化していかなければならないのだ。
●プロフィール
やまがみ・しんご 前駐オーストラリア特命全権大使。1961年東京都生まれ。東京大学法学部卒業後、84年外務省入省。コロンビア大学大学院留学を経て、00年ジュネーブ国際機関日本政府代表部参事官、07年茨城県警本部警務部長を経て、09年在英国日本国大使館政務担当公使、日本国際問題研究所所長代行、17年国際情報統括官、経済局長などを歴任。20年オーストラリア日本国特命全権大使に就任。23年末に退官。TMI総合法律事務所特別顧問や笹川平和財団上席フェロー、外交評論活動で活躍中。著書に「南半球便り」「中国『戦狼外交』と闘う」「日本外交の劣化:再生への道」(いずれも文藝春秋社)がある。