防護服とガスマスクを着用して自民党本部と首相官邸を襲撃した臼田敦伸(あつのぶ)容疑者(49)は動機について黙秘を続けている。死刑反対や反原発運動の仲間との付き合いを約10年前にやめ、その後、法律の勉強をして本人訴訟を起こしたり、今回の事件で使われたとみられるポリタンクなどを買い込んだりしていた。メカとネットに強かったという臼田容疑者。そのスキルを活かして準備した襲撃が、何を目的としたのか語る日は来るのだろうか。
ポリタンクや瓶が残っていたガレージ
「ポリタンクや見慣れない工具を息子が買うようになったのは5年よりは前のことです。その後しばらくして、ここで何か“作業”をするようになったんです」
埼玉県川口市の臼田容疑者の自宅で同居してきた歯科医の臼田篤伸(とくのぶ)さん(79)は自宅の脇にあるコンテナ型のガレージ内でそう話した。
布団のような布類や空の段ボール箱、エアダクト、フードデリバリーのリュックなどがぐちゃぐちゃになって散乱している。その中に、高さ約20センチの透明なガラス瓶と赤いポリタンクも転がっている。
「事件(10月19日)の後、警視庁の捜査員が15人ほど家宅捜索に来た時、瓶が5ダースほど詰まった段ボールがあって、それを押収していきました。火炎瓶をつくる瓶じゃないですかね。ポリタンクも他に4つほどあって、捜査員が重そうに抱えて運び出していきました」
首相官邸前の柵に突っ込んで炎上した臼井容疑者の軽ワゴン車からは、ガソリン入りの16個を含め20個のポリタンクが見つかっている。
中のガソリンに引火していれば大きな被害が出た恐れがある。軽ワゴン車は普段このガレージに停められていたという。
2階にある臼田容疑者の自室も散らかり具合は似たようなもので、大型モニターが3台据えられた机の上は、書類や薬、ゲームのコントローラー、味ぽんやドレッシングの瓶などがぐちゃぐちゃに置かれ、パソコンのキーボードの上には食べ物の汁が垂れてこびりついている。
モニターはさらに1台あったが、警視庁がパソコンなどと共に押収して行ったという。
約10年前からこの自室でホームページの制作をして収入を得ていた臼田容疑者は、司法書士や行政書士の勉強も始め、篤伸さんによれば行政書士の試験に合格しているという。
その過程で得た法律知識で臼田容疑者は、かつて勤務した運送会社に未払い賃金があったと主張する刑事告訴をしたり、選挙の供託金を巡る本人訴訟を起こしたりしている。
「選挙とは2009年の衆院選です。臼田容疑者は無所属で出馬しようとしましたが、300万円の供託金を用意できずあきらめました」(社会部記者)。
2009年当時、臼田容疑者は死刑反対運動に積極的に加わり、2011年の東日本大震災以降は関西電力大飯原発3、4号機の再稼働反対行動にも身を投じている。
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「車も自分で修理していた」
選挙にも出ようとするほどの社会活動家だった臼田容疑者だが、大飯原発が再稼働され、反対運動の中で付き合った女性とも別れて川口の自宅で父と二人暮らしを始めると、死刑廃止や反原発運動の仲間との関係を絶ったという。
その後に自室で独学した法律知識で本人訴訟に打って出ていたことになる。
「裁判には私も傍聴に行きましたけど敗訴しました。本人はそれで『悔しい』というそぶりを見せたこともなく、淡々と家で暮らしただけです」
篤伸さんは敗訴をそう振り返る。ただ、臼田容疑者のものとみられるXのアカウントには、
「なにが首相公選制だよ。その前に制限選挙をどうにかしろやっ まず、選挙供託金制度を廃止しろ!」との全く同じ文言のポストが2022年末まで複数回現れる。
残っている最後のポストである2023年3月の書き込みも「合法闘争で供託金制度を打破するなら選挙無効訴訟以外にない」と記されている。供託金制度への不満は抱え続けていた可能性がある。
一方、臼田容疑者の関心の対象は広く、自室の本棚にある書籍の題材は、ヘリコプター操縦法や簿記、農業改革、兵器、古事記、枕草子、危険物取扱、金子みすゞの詩集、いじめ、脳死、原子力潜水艦、会社設立など雑多だ。
「息子はなんでも器用にやるから、モノを作るのが得意でメカに強いんですよ。(事件に使われた)軽自動車も、十数年間、あれ一筋。自動車整備もできるから、車検も自分で通していました。独学ですね。小型船舶の免許も持っていて、以前はヨットもやってましたよ」
こうした幅広い知識に加え、インターネットのスキルも動員し駐車場で“作業”を続けてきたとみられる。
「駐車場にガソリンはなかったと思いますが、灯油はあったようでしたよ。火炎瓶の作り方? ネットを見れば載っているでしょう。(息子は)調べるのも得意だから」