2024年のワールドシリーズは、大谷翔平、山本由伸の両日本人選手を擁するロサンゼルス・ドジャースと、名門ニューヨーク・ヤンキースの激突となった。アメリカ大陸の西部と東部を代表する超人気球団がワールドシリーズで対戦するのは、1981年以来43年ぶりの出来事……と聞いて、私は座っていた椅子から飛び上がるほど興奮した。まさに43年前、私は旧ヤンキー・スタジアムの一角で胸を躍らせていたのだから。
私が29歳の時だった。前年秋に成績不振から巨人の監督を解雇され、“浪人生活”を送っていた長嶋茂雄氏がMLBポストシーズンの試合を視察しているとの情報を得て、独占インタビューを取るべく渡米。モントリオールでエクスポス(現ワシントン・ナショナルズ)とドジャースの一戦を観戦していた長嶋氏を、市内の高級ホテルで直撃。まずはインタビューをモノにすることに成功したのだった(その内容は現在も『定本・長嶋茂雄』(文春文庫)で読むことができる)。
その後、ナ・リーグ優勝を決めたドジャースはニューヨークに移動。ヤンキースとのワールドシリーズを戦うと知り、このチャンスを絶対に逃してはいけないと私も深夜の特急でニューヨークへ移動。安宿に転がり込み、翌日ヤンキー・スタジアムのナイトゲームに臨んだのだった。
もちろんチケットは持っていない。そこで試合の始まる3時間ほど前から球場周辺をぶらついていたら、「Da Yah wanna ticket?」(チケットいるかい?)と小声で近寄ってくるダフ屋と遭遇した。最初は100ドルと言っていた革ジャンにヒゲ面の黒人男と交渉し、20分以上粘りに粘って、はるばるやってきた日本人の一生に一度のチャンスだと最後は泣き落としに出たら、顔に似合わず優しい彼は50ドルまで値を下げてくれた(正規価格は15ドルだったが)。
「Not second floor?」(2階席じゃないよね?)と訊くと、「Ofcourse!」(もちろん!)との答え。喜び勇んでで球場の三塁側内野席に入ると、何と私の席は3階の一番上だった。旧ヤンキー・スタジアムはグラウンド・シートとアッパー・シートの間に、7~8列程度のVIPシートがあったのだ。それを「セカンド・フロアー」と読んだ私のミスだったか……と悔やみながらも、長いエスカレーターと階段を登って席に着くと、まずはカクテル光線に浮かび上がった、眼下に広がる深緑の芝生の美しさに大感激した。おまけに最上段の席の後方に見えたのは、マンハッタンの超高層ビル群の夜景。夜空に向かってそびえて光り輝く夜の摩天楼を背景にしたボールパークは、未来都市のような絶品の眺めだった。
そうこうするうちにオープニング・セレモニーが始まり、名バリトン歌手ロバート・メリルがアメリカ国歌を熱唱するのを聞いた。「ノーマイクなのか?」と思えるほどの朗々たる歌声が広いスタジアムの隅々にまで響き渡った後で、試合が開始した。
ゲームはヤンキースの先発ロン・ギドリーの好投や、のちにイチローが入団した頃のマリナーズの監督としても有名な4番打者ルー・ピネラの活躍などで、ヤンキースが5対3で勝利。私が大好きだった球史に残る大打者レジー・ジャクソンも、当時ナ・リーグを席巻していたメキシコ出身のルーキー左腕フェルナンド・バレンズエラも出場しなかったが、2人の雄姿は以前見ていたので不満はまったくなかった。
……というわけで、美しい夜のメジャーリーガーたちのパフォーマンスに、脳内がぼーっと酔うほどひたすら感激。試合が終わった後はフランク・シナトラの『ニューヨーク・ニューヨーク』が流れ、私も大合唱に加わった……ところまでは悪くなかったのだが、その後、死ぬほどの恐怖が待ち構えていた。
何しろ80年代のニューヨークである。ヤンキー・スタジアムがあったサウス・ブロンクスは全米一の治安の悪さで有名で、殺人事件も日常茶飯事の有様だった。ベースボール・ライターのロバート・ホワイティング氏にも、「ヤンキースタジアムの1階席では、2階席からスナイパーに狙われないよう気をつけろ」と忠告されたほどだったのだ。ニューヨークの街を歩く時には絶対にビルの近くを歩かないこと、ビルの陰から何が飛び出してくるか分からないから……とも言われた。当時ヤンキー・スタジアムでナイトゲームを見た観客は、試合が終わると誰もがさっさと集団で家路についたものだった。
私と同じように日付が変わるまで『ニューヨーク・ニューヨーク』を熱唱し、ヤンキースの勝利を喜んでいたのはマイカーで球場に来た人ばかり。地下鉄でやってきた私のような人間は、絶対に集団で一目散にサウス・ブロンクスの無法地帯から逃げ出すべきだったのだ。
深夜のヤンキー・スタジアムを後にした私は、一人で恐怖に震えながら真っ暗な道を歩き、酔っ払いや上半身裸で涎を垂れ流しているドラッグ・ジャンキーと目を合わさないよう、足早に地下鉄の駅まで辿り着いたのだった。だが、いざ地下鉄に乗っても、数少ない乗客はほとんどが酔っ払いか、通路に倒れたままのドラッグ・ジャンキーと思えるような者たちばかりで、恐怖は続いた。
そんな連中から逃れるように足を忍ばせて隣の車両に移ったら、そこにはデカい男が腰に拳銃をぶら下げて立っていた。制服で分かった。彼はポリスだったのだ。私が泣きそうな顔で笑ってみせると、彼は腕を伸ばして手招きしてくれた。「You are fool!」(おまえはアホか!)。巨漢のポリスに笑顔で言われたそのひと言は、美しかったヤンキー・スタジアムの風景とともに、今も私の心に刻まれている。
43年を経た今年のワールドシリーズは、以前に比べてずっと安全な街へと変身したニューヨークで、はるかに高額となった入場料(何しろ平均価格が1000ドルを超えているのだから……)を支払う観客の前で行われる。ニューヨークと似たような歴史を歩んできたロサンゼルスにおいても、文脈としては同様だろう。
43年前とは時代背景が大いに様変わりしてしまったが、今年のワールドシリーズもまた、素晴らしいゲームとなるに違いない。ベースボールはいつでも、どんな世の中でも、その時代に合わせた最上の想い出を残してくれるものだから……。
文●玉木正之
【著者プロフィール】
たまき・まさゆき。1952年生まれ。東京大学教養学部中退。在学中から東京新聞、雑誌『GORO』『平凡パンチ』などで執筆を開始。日本で初めてスポーツライターを名乗る。現在の肩書きは、スポーツ文化評論家・音楽評論家。日本経済新聞や雑誌『ZAITEN』『スポーツゴジラ』等でで執筆活動を続け、BSフジ『プライムニュース』等でコメンテーターとして出演。主な書籍は『スポーツは何か』(講談社現代新書)『今こそ「スポーツとは何か?」を考えてみよう!』(春陽堂)など。訳書にR・ホワイティング『和を以て日本となす』(角川文庫)ほか。