■慶応大の会見場には数多くの報道陣
プロ野球のドラフト会議は、未来ある若者の進路が決まる場である。それは指名があってもなくても同じだ。
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2024年は支配下69人、育成54人の計123人が指名を受けた。だが、そこに清原正吾(慶応大)の名前はなかった。
慶応大の会見場は、日吉キャンパス協生館の中にある「藤原洋 記念ホール」に用意された。コンサートも行われるような立派なホールで、ドラフトに向けての緊張感が自ずと高まってくる。
16時からの受付の時点で多くの報道陣がつめかけていた。35社、約60名が申請していたという。ペン記者は10人ほどで、どちらかというとスチールカメラマンやTVクルーの方が多かった。座席もカメラ向けのスペースが多く取られていた。
壇上には机と椅子が設られ、清原、水鳥遥貴、堀井哲也監督の名前が書かれた貼り紙が。事前の案内によると「選手は別室で見守り、指名があった場合のみ壇上に上がる」とのことだ。
■4巡目で水鳥の貼り紙が外される
17時04分、1巡目の指名がスタート。宗山塁(明治大)が楽天、金丸夢斗(関西大)が中日へと交渉権が決まるたびに、声にならない歓声やため息がこだまする。
動きがあったのは4巡目の中盤だった。水鳥の貼り紙が外されたのだ。
チームでは三塁手兼遊撃手、1番や3番を打つ主力選手だが、「順位縛り」があったと思われる。特にアナウンスはなかったものの、このタイミングで外されたのはおそらくそういうことだろう。
長身かつ俊足強肩が持ち味で、打撃でもドラフト直前の法政大戦でリーグ戦初アーチを記録。もう少し早いタイミングで本塁打が出ていたら、展開は変わっていたかもしれない。
■最後の最後まで清原の名は呼ばれず
清原は育成ドラフトに入っても指名を受けるようだ。壇上の貼り紙はそのまま残された。プロ志望届を提出した際に「1%でも可能性があれば挑戦してみたい」と話していた通り、最後の最後まで可能性を信じるということか。
育成6巡目。まだ西武、巨人、オリックスが残っている。いずれも清原の父親が所属していた球団だ。スチールカメラマンが西武の「レオ人形」を携えているのが見えた。
また、毎年育成指名を大量に行うソフトバンクも残っている。しかもソフトバンクは近年、慶応大を卒業した選手をよく指名している。可能性は最後まであるかもしれない。
7巡目で巨人とオリックス、8巡目で西武が選択終了。やはりソフトバンクが最後の砦になった。しかし、14巡目で無情の選択終了。最後の最後まで、清原の名が呼ばれることはなかった。開始から約3時間半、20時28分のことだった。
■今後の進路は未定か
その後、堀井監督が報道陣へのお礼と今後の進路は未定である旨(あくまで雑談ベースとのことだが)を簡潔に伝え、全プログラムの終了が告げられた。
11月9日からは学生最後の試合、早慶戦が控えている。かねてからリーグ戦に集中したいとの意向が伝えられており、これが終わらない限りは次の進路も決まっていかないのだろう。
「清原和博の息子」というあまりにも大きな十字架を背負いながらもそれを運命と受け入れ、6年のブランクを経て野球に復帰。たゆまぬ努力でベストナイン受賞やリーグ戦2本塁打の実績を積み上げたことは称賛に値する。どんな進路選択をするにしても、心から応援したい。
昨日のドラフト会議では、他にも箱山遥人(健大高崎高)、高尾響(広陵高)、野口泰司(NTT東日本)といった有力選手が指名漏れとなった。会見場が準備されながら、選手が出てくることなく終了――これもまた、ドラフトの現実と言える。
ただ、多くの選手にとって、これで野球人生が終わるわけではないだろう。過去には指名漏れをバネにして1位指名を勝ち取った者がたくさんいる。プロ野球界を目指す若者の旅は続いていくのだ。
文●加賀一輝
【著者プロフィール】
かが・いっき。1988年3月6日、愛知県生まれ。成蹊大学卒業後、一般企業を経て独立。ライティング、MCなど幅広く活動する。2016年~23年まで『スポーツナビ』にて編集・編成を担当。在職中に五輪・パラリンピックへの派遣、『Number』『文春オンライン』等への寄稿を経験。趣味は草野球で、1週間で20イニング投げることも。
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