先日、現在顧問を務めているTMI総合法律事務所の京都での所外研修に参加した。弁護士の数だけで間もなく600名を超える日本トップクラスの法律事務所だ。外務省のキャリア組(かつての上級職、今の総合職)が800名前後であることに照らせば、ブレイン(頭脳)パワーでは霞が関の主要省庁に匹敵するだけの力を備えているのだ。本年新たに入所してきた76期の新進気鋭の弁護士30余名に対する研修のあり方を目の当たりにして圧倒された。

 極め付きはロール・プレイングだった。並み居る大先輩、先輩のパートナー弁護士や顧問を前にして、新入りの弁護士がクライアント(顧客)の相談を受けるとの設定。弁護士役の新人弁護士2名とクライアント役の先輩弁護士2名との間での30分近くにわたるやり取りを20名近くの大先輩、同僚らが観察し、事後に講評するのだ。

 まず強く印象に残ったのは、76期の弁護士の行き届いた準備だった。六本木ヒルズのオフィスでの通常激務の合間を縫って事前に渡された課題を調べ上げ、過去の判例まできちんと押さえていた者が少なからずいたことには感心した。

 だが、もっと驚いたのは、わざわざ研修に参加するために、多忙を極める業務を措いて京都まで赴いた先輩弁護士たちの熱意だった。30余名の「生徒」に対して、「先生」役の先輩弁護士等は40名を上回った。さらに、私を驚かせ喜ばせたのは講評の厳しさだった。

 もちろん、皆弁護士だ。「ブラック」だの「パワハラ」だのと言わせないよう、まずは褒めて持ち上げるのはお手の物だ(笑)。だが、そのあとに来る発言は、「声が小さい」「元気がない」「クライアントに寄り添う姿勢が感じられない」「質問するばかりで検事か裁判官のようだ」などなど。

 翌朝に妙心寺で座禅をし、自らの来し方行く末を見つめる稀有な機会を与えられた新人弁護士たちが異口同音に漏らしていた感想は、「これほどまでに貴重な機会を与えてもらいありがたい」というものだった。

 翻って、外務省ではとてもここまでの研修はできていなかった。

 私が大使として豪州に赴任する前に外務本省で二日間にわたって受けた在外公館長研修には、当時の次官も官房長も一度も顔を出さなかった。そもそも大使経験さえ有していなかったから説諭すべき内容を持たなかったこともあるのだろう。だが、それよりも、単純に多忙を言い訳に研修への無関心を正当化していたように思う。

 しばしば本省から在外公館に伝えられる指示が「セクハラ、パワハラに気を付けましょう」というレベルにとどまる今の外務省にあっては、外国との交渉や抗議・申入れをどう進めるかといったロール・プレイングをやろうなどという発想もわかないのかもしれない。だが、そのツケは確実に回ってきている。

 ミサイルを自国の排他的経済水域に撃ち込まれようが、10歳の同胞児童をメッタ刺しにされ惨殺されようが、相手国の大使を呼びつけて厳正に申し入れをすることさえできない外交官が日本では育ってしまうのだ。のみならず、拙い英語や我流のテーブルマナーを人前で披露しては、心ある在留邦人の多くから「あの人あれでも外交官?」という指摘を招いてしまう。世も末だ。

 小さな井戸で泳いでいる限りにおいて、井戸の遥か彼方に展開している大海が見えない。今の外務官僚がそんな愚を重ねている感を新たにしながら、京の都を後にした。

●プロフィール
やまがみ・しんご 前駐オーストラリア特命全権大使。1961年東京都生まれ。東京大学法学部卒業後、84年外務省入省。コロンビア大学大学院留学を経て、00年ジュネーブ国際機関日本政府代表部参事官、07年茨城県警本部警務部長を経て、09年在英国日本国大使館政務担当公使、日本国際問題研究所所長代行、17年国際情報統括官、経済局長などを歴任。20年オーストラリア日本国特命全権大使に就任。23年末に退官。TMI総合法律事務所特別顧問や笹川平和財団上席フェロー、外交評論活動で活躍中。著書に「南半球便り」「中国『戦狼外交』と闘う」「日本外交の劣化:再生への道」(いずれも文藝春秋社)がある。

 

 

 

 

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